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【暑い夏10】講師インタビュー Vol.20 ヴィンセント・セクワティ・マンツォエ

2010年08月13日

聞き手・翻訳・インタビュー構成:山根敬章
写真:久保花子



prof_vincentVINCENT SEKWATI MANTSOE ヴィンセント・セクワティ・マンツォエ
(南アフリカ/ヨハネスブルグ)
豹のようなしなやかさと強靭な肉体を持つ南アフリカの実力派振付家。驚異的な運動能力と、自身の属する文化や伝統、社会、自然への深い洞察力を合わせ持つ彼の身体には多くの者が深い感銘を受けるだろう。その活動は、アフリカ各地、ヨーロッパ、アメリカに及び、アフリカン・コンテンポラリーダンス、バニョレ国際振付賞に2度招聘を受けるなどその受賞歴は数え切れない。その圧倒的な存在感とスピリチュアルな踊りを記憶に留める観客は多いことだろう。




瞑想の淵から立ち上がる世界で最も獰猛な踊る詩人




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   今回は5年ぶりの暑い夏ですね。フェスティバルやダンサーに対して何か変化を感じましたか? また、この5年間でご自身に何か変化は有りましたか? 

ヴィンセント(以下ヴィン) もちろん。確かに変わったよ。個人的には、どうワークするかが、もっと深いレベルで劇的に変化を遂げている。僕はいつもスピリチュアルな在り方に依拠しているけど、それがもっとディープになってきている。自己表現の本質を見つけようとしているんだ。その見つけようとするプロセスが大切で、必ずしも見つける事自体が目的じゃない。誰しも自分らしさをみつけようとする。でも、僕が言おうとしているのはそういった意味合い以上のものなんだ。あるメッセージを伝えるためのムーヴメントを操る能力をどうやって見つけるか。そして、命のかたちを生み出す為の身体言語への翻訳の仕方。こういった点がより深く変わったよ。

暑い夏はティーチングの方向が大きく変わったね。経験者クラスとビギナークラスを分けて、テクニックの観点でワークショップのバランスを取ろうとしているんだろうね。テクニックそのものについては、僕は他の講師とは一線を画している。フランスから来ている講師が多いから、皆かなり似通った事を言っているよね。それから、5年前に見たり、一緒にワークをしたりした生徒達には、全く進展が見られなかった。たぶん、皆、以前やっていた事から抜け出せないんだと思う。もう一歩が踏み出せず、新たな価値観を見つけられないでいるのかもしれない。

僕にとって、何かを習得するプロセスとは、自身のスキルの中に一定の成長を獲得しないといけないということ。自己の内側に抱えているものの成長の事だよ。今日何かして、明日も今日と同じような事をする、では駄目なんだ。明日には別物になってなくちゃいけない。身体が溶けて再構築されるくらいでないと。より良くするために、前日のプロセスをどう理解しているか。どういう訳か僕にとっては、ある参加者達は依然として同じ方向へと同じ道を歩んでいるように見えるんだ。フェスティバル自体に新しい潮流をもたらそうとする動きが感じられない。でもフェスティバルに参加して学ぼうとする前向きなダンサーを見るのは興味深い。皆、もっとオープンになって、それぞれの講師からのメッセージを受けてほしい。自分の限界を拡張していけるようにね。

   今回のワークショップをどの様にご覧になりますか? 以前のご自身のワークショップと比較してどう違っていますか? 今回何か違う事に挑戦していますか? 

ヴィン 5年前の僕のクラスはもっとアフリカンダンスに基づいていた。けれど、この10年間はアフリカンダンサーである以上の事をして身体を変えようとしてきた。1人の人間として、ダンサーとして、そしてアーティストとして、自分というものを形作る断片を見つけようとしている。

コンテンポラリーダンス、ジャズダンス、バレエなど、異なる規範やテクニックを試している。幸いな事に子供の頃はカンフーをやった事があるし、太極拳もやった。ヨガも経験があるよ。たくさんの色んなタイプの物事が僕の体にやってきて、そして、それを受け入れてきた。個々のテクニックを辛抱強く理解している。こうした経験が、自分の在り方を完全に変えてくれたよ。伝統に根ざした生き方ではなくて、それとは違った道。僕が避けては通れなかった道なんだ。

独自の身体言語が醸成される様に、数の異なるテクニックを混交させて1つの体で共生させるんだ。個人個人がこの発想を実行することは、ダンサー自身のみならず、観客をも変えていくんだよ。観客を全く別の異なる世界で、異なるヴィジョンの影響下に置くことになる。僕は「伝統主義者」、「シャーマン」と呼ばれる事もあるけれど、自分のパフォーマンスを可能にする為には、受け手に向けて心を開いて、自分の知らないものを受け入れるスタンスを持ってる必要がある。僕は、頭はそんなに良くない方でね。科学的に考え込むのではなくて、スピリチュアルな方向に持っていく。生き方の精神性やダンスの精神性。これこそが、僕らしさなんだ。

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   「ヴィンセントらしさ」というのはとても強固なものなんですね。

ヴィン もちろんさ。繰り返しになるけど、自分の本質を見つけて確立して維持するという事が自分自身を唯一無二の人間にさせるからね。西アフリカ出身の人々が外国に行くと、完全に別の振る舞いをしたりする。そして、自分のバックグラウンドや自分の本質を忘れてしまう。でも、彼らを責める事はできないよ。僕らはその気さえあれば誰とでも結婚できる、この国籍多様化の時代に生きている訳だから。パリ、ニューヨーク、カナダなんかに行くと国際カップルをよく見かけると思う。僕の妻だって白人だけど、この事が僕の自分らしさを変える必要がある、ということにはならない。自分の本質を維持する事が非常に重要で、僕の信条としているところなんだ。そこを見失うと、僕はよりどころを失って迷走してしまうよ。変化が問題なんじゃない。僕は自分が帰属する文化の独自性を保護しようとしているんだ。

   誰しも簡単に方向性を見失う素地があります。

ヴィン そうだね。皆、誘惑もあれば弱点もあるよね。例えば僕はIT周りのガジェットにすこぶる弱い。「ノー」と言えないんだよねえ。だけど、僕の強みは自分というものを、そして、自分がやるべき事を良く分かっている事で、これが、非常に重要なんだ。変化によって自分自身を忘れてゆくということにならないから。

   ワークショップで参加者に向かって「ひとそれぞれの表現方法がある」と伝えていましたね。

ヴィン こうしてワークショップの場に立つ事の目的は皆を充電させる事なんだ。そうする事で、脳に変化が訪れて、自分自身の在り方や、どうやって自己を唯一無二の存在にしていけるかについての、今までとは違った考え方を見つけられるようになる。もっと言うと、僕がやっているように振る舞う必要は無いんだ。そうして、自分自身の内なる声や欲求を見つけないといけない。良い先生に出会うと、「同じようになりたい」と思うかもしれないけど、これは絶対に不可能なんだ。皆、それぞれ違ったDNAを持っているからね。残念な事に、出身地の南アフリカでも同じような問題を見つけてしまった。誰もが同じように振る舞おうとしていた。誰もが同じように良さげに見えるという思考方法から、自己の内なる欲求や叫びを発見するという思考へと劇的な変革をもたらしたいんだ。

確かな事は、僕が講師として誰かにある思考方法を教えると、2、3年後にはその誰かは変化しているという事なんだ。僕は身体ムーヴメントを教えるけど、これが教えてもらった事だなんて忘れてしまうくらいに消化して、完全に自分のものにしてしまわないといけない。必ずしも僕が教えたようにやる必要はないよ。そうしたヴァリアントの許容と義務が僕のやってきた事なんだ。バレエ、例えば白鳥の湖のように、型にはまる必要はないからね。皆、違っていないといけないんだ。

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 僕は風に揺れる柳を見るのが大好きです。自然はあなたをどんな風にインスパイアしますか? ワークショップで参加者に向けて「自然の力を感じて」、「画家の絵筆や指揮者のタクトのように動いて」、「体は楽器のようなものなんだ」と伝えていましたね。この考えをもう少し説明してもらえますか? 

ヴィン 自然は生命の驚異だよ。高層ビルなどの建設物、テクノロジーが氾濫しているからといって、僕たちが自然の中で生きているということを忘れてはいけないよね。僕はかなり恵まれていて、伝統文化の保護を信条とする家に生まれ育ったんだ。アーティストとして、僕の仕事は自分に固有の文化を守っていく事だと思っている。僕が「自然界の力」について話をするとき、それは、身体という楽器を、大地に眠る祖先とどう関係を築いて繋がろうとするかという事についてなんだ。

例えば、僕はシャーマン、古来の伝統的なヒーラーの家系に育っている。人はシャーマンと話をして、治癒するために何が必要かを教えてもらうんだ。医療ということだよ。シャーマンと「自然界の力」とはもっと親密な関係でないといけない。でも、この過去から重層的に編み上げられた自然界の力に耳を傾ける事は、スピリットと共に僕たちには必要不可欠なんだ。誰しも死(という自然の力)に向かって生きている。

   あなたが「自然の力を感じて」という時は、先祖や伝統という意味でもあると。

ヴィン 必ずしも伝統的である必要は無いよ。伝統的な信条は持ってないという人もいるしね。自分にとっての自然の力とは何かを、どう知覚するかは個人個人で異なってくる。僕は宗教的というより、スピリチュアルな感覚を信条としている。うまく感じる事ができずに、理解できずにいたこともあったけど、今では自分の祖先の精神性をより親密に感じるようになった。どんな風に自分のスピリットとの繋がりを見つけるかが非常に大事なんだ。

自己とスピリットの関係性を理解できたなら、身体が違った風に歌う事が可能になる。「体は楽器のよう」という言葉の別の側面は、身体で多くの別のメロディを奏でる事ができるということなんだ。その色々なメロディは、チェロや、ドラムや、ピアノ、ヴァイオリンにもなれる。違うタイプの物事が、一度にそして同時に、1つの身体に共存する事で身体性を独自なものにするんだ。

 あなたのダンススタイルはこれから変化すると思いますか? 

ヴィン どうかな。でも何事も変化するからね。15年前、僕のダンスは今とは違ってた。

   進化しているんですね。

ヴィン そう、時間と共に進化してる。大切な事は常に自分らしさの本質、エッセンスをキープする事なんだ。自分の精神性や文化的な振る舞いをね。

 誰しも何かを学び成長しようとしています。ダンサーとして、あなたが学ぼうとしている事は何ですか? 

ヴィン ダンサーとして私が取り組んでいる事は、既知の事柄の理解を深め、そしてまたそこに異なるパースペクティヴを得る事なんだ。別の新しいことを見つけようとして、そして、既知の視点の一部とし、自分がどれだけ「より高く跳べるか」トライしている。学ぶ事は非常に奥が深い。アーティストとして、僕は今もなお毎日欠かさず、身体について何か新しい事を発見しようとしている。その新しい発見は、理解できなかったり、理解するのに時間がかかったりもするよ。だけど、考えすぎる事をやめて、ただ感じようとする。すると、身体に馴染むようになるんだ。そうしたら、フィーリングの流れに身を任せるだけさ。僕が過剰な分析というアプローチを避けるのは理由があって、分析し過ぎると、身体の中の成長や発見の本質を破壊してしまいかねないからなんだ。何もかもが機械的になってしまうんだよ。僕が「ステップ1、ステップ2、ステップ3」という風に教えたくないのはそういう訳なんだ。僕は全てを同時にやろうとしてるんだ。もちろん、ムーヴメントを細分化して分析する人もいるわけだけど、僕は、紙に書いたりヴィデオに記録したりはしない。全てがこの身体の中に存在してる。

   分析するよりも、むしろ、感じたいと。

ヴィン そうなんだ。もちろん、クリエーションに関しては考えないといけないよ。でも、実際にダンスをする時には、これは当てはまらない。

 あなたは「踊る詩人」みたいですね(笑)。さて、ダンサーとして、日常生活で心がけている事は何ですか? 

ヴィン 多くの振付家やアーティストはリラックスしたい時、美術館に行ったりする。休日だっていうのに、普段と同じ領域に終始している。僕はむしろ、アートとは全く無関係な事をやるよ。映画を見たり、自転車で出かけたりとね。自分自身を普段のダンスやアートの世界から少しの間切り離すんだ。何も考えないで、ただ距離を置く。何か他の事をやる。それは、子供の面倒をみる事であったり、掃除や買い物であったりする。こうやって、京都にいる時は時間が許せば、寺社仏閣を見て回るのが大好きだよ。家で映画を見たり、自転車でふらっとでかけたりね。ただリラックスするんだ。特に生産的にあろうとはしていなくて、のんびりしようとするだけ。そして、時が訪れると、「オーケー。そろそろ、アーティストにならなくちゃ」という風になって、「もう今はアーティストだ」とスイッチが入る。ただダンスの事だけを考える。

   そうしたアートとは無関係な事で心身共に休養を得ると。

ヴィン そういうこと!

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   おかげさまで暑い夏は15周年を迎えています。今後のフェスティバルについて、何かご提言をお持ちですか? 

ヴィン 今後どんな計画があって、どこにフォーカスを当てる事になるのかは分からない。ただ、このフェスティバルはできるだけ多くのダンサーを集めようとしているね。幸運に恵まれるとオーディションを通して、フランスなど、別の教育機関で学ぶ事ができる。素晴らしい事だと思うけど、同時に、ティーチングにある種の新しい潮流が必要だとも思う。どうやってその変化を見つけるかは非常に難しいんだけど……。というのも、このフェスティバルはテクニックを深めるためのプロセスが毎年似通っているからね。指導陣の顔ぶれはあまり変わらない。ダンサーに別のパースペクティヴを提供するために、本当に教授方法の変革が必要なんだ。現在のスタイルだけが唯一の選択肢ではなくて、別の方法も可能だと思うよ。誰もがミハイル・バリシニコフやルドルフ・ヌレエフになれるわけじゃない。ある日、ここへ来て、自分の内なる声が聴こえてくる……、そうなるためには、何か新しい風が必要なんだ。誰かの真似をさせない事。皆同じに見えるんだ。それを打破するための新しい潮流が不足していると思う。床にしっかりと立つこと、そしてゆっくりいかなきゃね。

   習得の初期段階では、他者の観点を真似する事は、良い見本に従う事の別の切り口と言えるのではないでしょうか?

ヴィン そうとも言えるけど、他の誰かを真似しようとしても、同じスピリットや思考方法を持っていないのに、同じように見えるようにしようしてもできないよ。君はどうなんだい? 何か見る側に投げかけたい事や、伝えたい事は無いの? 自分以外にはできない事をね。

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(2010年5月2日 京都芸術センター)



山根敬章(やまね・たかあき)
動くものには目がない「撮り鉄」あがりのダンスファン。長期に渡る漏電期間中。



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