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関典子×白河直子(H・アール・カオス)ダイアログ 薄井憲二バレエ・コレクション企画展「蘇る白鳥〜『瀕死の白鳥』舞踊譜をめぐって〜」
2015年06月13日
ダンス・アーカイヴは、一部の舞踊研究者やクラシック・ダンスマニアの関心事と思われがちだが、じつはコンテンポラリー・ダンスのシーンで近年、歴史的な作品資料の読解が振付の手法を広げており、アーカイヴは主要なインスティテューションの関心事ともなっている。そのような観点からも興味深い企画が、2015年3月24日(火)から5月10日(日)まで兵庫県立芸術文化センターで行われた。薄井憲二バレエコレクションの企画展「蘇る白鳥~『瀕死の白鳥』舞踊譜をめぐって~」だ。
展示は、1907年にミハイル・フォーキンがアンナ・パブロワに振り付け、現代まで踊り継がれている同作の記譜、初演、来日公演、今日に至る再演の資料を一般に公開している。さらに会期中4月28日(火)、29日(水)には、所蔵の舞踊譜に新たにアプローチしたリコンストラクションとリクリエーションに、H・アール・カオス版の再演を加えた三つの『瀕死の白鳥』の上演が行われた。
当日配付資料 提供:関典子 ※クリックで拡大いただけます
この機会に、昨年10月に同コレクションのキュレーターに就任して初の企画を手がけたキュレーターの関典子氏と、H・アール・カオスの伝説的第一舞踊手で『瀕死の白鳥』のとりをつとめた白河直子氏に対談いただいた。
◆ 上演と展示 企画の意図
+ 本展は、クラシックとコンテンポラリーの両ジャンルに広がり、研究、教育といった今日の劇場に求められる機能を兼ね備えていました。企画の意図は?
関:プログラムなどにも書かせていただいたのですが、キュレーターのお話をいただいた当初から、上演を絡めたいという思いがずっとありました。それは、劇場に所蔵されているという当コレクションの性質、そして劇場内に素敵な空間があることを再発見していただく機会になればということ。そして、踊ること、見ること、研究することいずれもダンスに関わる上で欠かせない私のアイデンティティにもよっています。
今回『瀕死の白鳥』をメインに資料を展示する運びになったとき、バレエ版はもちろん、関も新作をやりたいと考えました。H・アール・カオス版は、生では見られなかったものの、それこそ伝説的公演だったとうかがっていたので。最初は映像上映のために資料をお借りしようと考えていたのが、連絡をさしあげたらいろんな条件が重なって、白河さんに踊っていただけることになったんです。
白河:今回の依頼は、H・アール・カオスの体験をともにして、信頼関係のある典子さんだからお引き受けもしました。二十歳くらいで入ってこられて、きれいなダンサーさんでしたよね。今回、薄井さんのコレクションがあり、典子さんが企画してくださった、そんな場で踊れて光栄です。
関:カオスには、ひよっこみたいについてゆくだけだったんですが、そこでの体験は私にとってかけがえないものでした。それは研究対象としていたからということも大きくて、あの舞台に立って、ダンサーとしての経験が先にあり、これを研究したいって思ったんですね。あの宙づりに惹かれたのは、今企画のテーマにも関係してくるのですが、生まれ落ちてから命を落とすまで、この地球上では重力に引かれて、比喩的ではあるけれど落下してゆく。また、一般にバレエは重力に抗い、モダンダンスや舞踏は重力に従うと言われますが、コンテンポラリー・ダンスはどう重力と戯れられるのかという問いがあって、その一つの切り口が宙づりだったんです。
+ H・アール・カオスは『春の祭典』などの古典作品の大胆な現代化も手がけていますね。
白河:歴史的な作品を下敷きにしていても、現代社会とどう繋がりを見つけるかということは、大島早紀子が振付で大事にしていることでもあります。この作品ではそれが特に強く出ている。『瀕死の白鳥』って、白鳥が羽をひとつひとつもがれてゆく、そういうぎりぎりのところにある状態ですよね。それを現代に置き換えたらどうなるんだろうというところに、振付家の彼女なりの読み解き方がありまして。プログラムにも書かれているように、それはネットワークに繋がっている状態がどんどん増えてゆく一方で、肉体が希薄化してゆくといった現代の捉え方と関係している。そういった状況は今、この初演の2010年の時よりさらに進んでいるとも言えます。ひきこもりというか、世界や社会とのつながりを持てない、孤立感を大きく打ち出したいなということがありました。それで、自分で自分の身を割いて生きている実感を得ているような感覚で、羽をもいだり、リストカットを暗示するような振りも入っています。さらに今回は美術館のような場所でやるということでしたので、そういった生々しさをお客さんに間近に見てもらえる。白鳥が白い血を出しているというイメージで、衣裳も新調し直しました。踊っているうちにぽろぽろと朽ちてゆく、支えられないような体で、最後は私は―――大島さんの振付では、死にゆくというのではなくて・・・・・・
関:抵抗しましたよね。
白河:ええ、めいっぱい(笑)。逆に、そういった感覚を抱えて生きてゆくのだということで、抗っていく感じですね。大島さんの作品に独特なのですが、みんなの深層心理――誰もが抑えている共通の部分ってあるじゃないですか――そこにに、こう、ぐっと入ってゆくような感じですね。踊りって言葉がなくて、沈黙の中で何が始まるんだろうって目をこらす。そこで自分ですら言葉にできない感覚っていうものにぐっときたときに、お互いに深いところでコミュニケーションがとれてゆくと思うんです。だから、三本とも見て下さったお客さんが、すごく感覚を動かされたっておっしゃってくださって、とても嬉しかったです。
◆ おなじとちがい 版から見えてくるもの
+ 踊り手の解釈や技巧の細かな差異への感覚が研ぎ澄まされるクラシック・バレエと、振付家の数だけある視点の多様性に目を開かれるコンテンポラリー・ダンス。両方の方向で楽しめる企画だったと思います。製作中の発見は?
白河:三人とも全然違う音源を使っていることもあり、全く違う作品になりましたね。オリジナルは2分半ほどのクラシックであり、典子さんはテルミンを使った曲。私は初演が生演奏だったので、振付・稽古用に音源を探していて、図書館で見つけたCDがたまたま4分バージョンだった。そうすると時間の流れ方が全然違う。
関:全くの別物でしたね。楽屋で音楽を流していても、他の二人の版のものだと、同じメロディなのに自分の振りがよぎったりということは全くない。
資料を見直しての一番の驚きは、フォーキン版と今踊られている版がこんなにも違うということでした。また、パブロワの映画も上映していますけれど、振り返ってみれば、小さな頃からずっと見ていて、ダンサーの人生ってこんなに壮絶なんだということを、幼いながらに痛感した記憶があって・・・・・・この企画を整理していく中で原体験に触れてゆくようなところがありました。
そうしたとき、今踊られているプリセツカヤの版はパブロワの版を、彼女の死後20年ぶりに復活させたものであったのですが、テクニカルな部分で『白鳥の湖』でもやられているような、お客さんが期待するであろうフォルムなどを美しく見せている解釈のようにも思えました。時代ごと人ごとに『白鳥』のどの部分を捉えているかといった違いは、パブロワ版、ザハロワ版、コンテンポラリー版と並べることでも見えてきました。
また、学生にも映像を見せたのですが、彼らにとっては予備知識の全くない状態。例えば知っている人はすんなり受け止めているけど「これが瀕死?」って驚くようなまっさらな目で見た時に、「パブロワが最も瀕死を感じた」とか「ザハロワ版は、白鳥はわかるけど、死にそうに見えない。見せる意識があるね」といったいろんな感想が出てきました。トロカデロ版は、現版があるからこそ遊べる、現代のリアリティに近いとか。リル・バックっていう黒人のブレイクダンスの版は、ムーンウォークのような足運びやアイソレーションが、羽や波を感じさせるといった感想も。
それぞれの作家が『瀕死の白鳥』に含まれているいろんな要素を取り出して増幅し、それがまたお客さんのいろんなセンサーにひっかかるんですね。
白河:一方で、どの版を見ても、フォーキンの波打たせる動き、独特の表現は入っている。曲じたいは万人が知っている名曲でも、『白鳥』でしかなく、死ぬわけではない。そこに「瀕死」という要素を入れ、さざ波出す何かを表現したところがフォーキンの偉大さだと思います。
当時の写真も昨日拝見したら、すごいアバンギャルドですよね。ポジションなども自由奔放で、決まった型にはめてゆくのでなく、もっとこうだ、もっとこうだと創っていった作品なんだなと、改めて感じました。まさにその当時のコンテンポラリー。だからみんなこうやって後の世にも何かやってみたくなるのでしょうね。
+ 今回の資料は言葉や記譜や写真などいろいろですが、イメージってすごいですね。言葉より画像のほうが、記憶との親和性が強い。観客の記憶も引き出しやすいというところがあるらしい。
白河:写真だから、余計イメージをかき立てられるのかも知れないし、埋めなくちゃならないとなる。
関:つながりが大事で。
白河:ここは重心をどう移行しているんだろう、とか考えますよね。
関:1907年初演というとバレエ・リュス以前なので、当時のバレエを見慣れたお客さんにどれだけの衝撃を与えたかということも考えさせられました。
+ 確かに、初演の場所は貴族の邸宅とあって、大劇場へのオルタナティヴな空間で、一人のダンサーをまるごと近くで観察させる。
白河:まさに私達が踊ったような。
+ 身体運動の可能性に目を開く要素が組み合わさっている点で、本展は『瀕死の白鳥』が生まれた状況と呼応すると思います。
◆ アーカイヴの課題と可能性
+ この企画は、研究、創造、教育と、劇場あるいはアーカイヴが今日求められている機能をいきなり全部やってしまわれましたね。
関:どうしてもこれがやりたかったということを、みなさまの力で可能にしていただいた感じです。ダンサーと研究者のバランスをとるのが難しいのですが、両方であることでしか踊りにアプローチできないという、私でしかできないことがあると思って。それが私のアイデンティティでもありますし。いくつかの人格があって、それが集大成として出せたのは今回が初めてかも知れません。
アーカイヴは今とても大事で、でも資料をどう保存するかどう展示するかということだけではなく、そこに別の振付家のもの入れて表出するダンサーの体をどう関わらせるかっていうことも、システムとしてのアーカイヴにとって重要だと思っています。
今回、授業のレポート課題にしたのですが、それは大学で会うとどうしても「先生」となるので、それも大事だけど、一個人として踊る私をありのままにライブで見てもらうのがフェアなんじゃないかと考えたからなんです。だからお手本のように見てほしいわけではない。「こんなもんか」と思われるかも知れないし、「なかなかやるね」なのかわかりませんが、どう捉えるかは自由です。育てるというより、お互いに交換して、私も刺激をもらう感じですね。
+ ダンサーの人生と重なる作品という点も、本企画のポイントなのかなと受け止めましたが、お二人にとっては、踊ることと生活はどのようにつながっているのでしょうか。
白河:私は舞台に出ると「H・アール・カオス(の表現)だね」と必ず言われます。それは、ずーっと大島さんの作品を踊ってきたので、当然、にじみ出ているものだと。私のアイデンティティはそこにある。それでいいんだと思っているんです。
ここで踊った『瀕死』は2010年に踊った『瀕死』よりよくなっていると思います。踊りって経験が積み重ってゆくものだと思うので、自己満足かも知れないけれど、経験がこの場をつくるという意味で。
+ H・アール・カオスの創作や再演では、資料を使われることはあるのですか?
関:レパートリーや再演のときは映像で予習してからリハーサルにのぞみました。新作のクリエーションでは、一日でも練習を抜かすと結構大変です。なぜこの動きが生まれたのかっていう大事なところ、動機がわからないとなかなか・・・・・・
白河:それをわかっててついてくるのと、形だけなぞるのとでは全然違う。なぜここで右手が上がるのかということをわかる人がいなくなったときに、作品は崩れてゆきますね。
関:あと、ダンサーの解釈能力にもよると思っていて、振付家が直々に自分のために振り付けてくれたのではない振りであっても、それがすっと入る人だと、リアリティを持つ。ダンサーのタイプにもよると思うんだけど、コンテンポラリーは特に。
+ 何かが生まれる瞬間に居合わせることは、踊り手にとっても観客にとっても重要なわけですが、一方で、コンテンポラリー・ダンスも創作と受容の両方の段階で間接的に仲介されることが増えてゆく傾向にあります。
白河:体験の質が違ってきているということは、社会全体の経済的な状況も関係しているような気がします。特に震災の前後は公演数が減ってしまったりということもありますが、その前から、一時間ものの作品をつくって勝負するところってなくなってきている。10分、15分の小品を持ち寄って1時間なり2時間なりという公演を打つものはありますが。
私達が見ていた時代はそういうものがたくさんあったんですね。海外からレスキスが来て、アンジュラン・プレルジョカージュが来て、フォーサイスもがんがん来ていて、「何とかショーケース」なんてなかった。フォーサイスはもっと舞台を使い切るじゃないですか。だからこれはやっぱり経済的な部分。あのかっこよさに痺れて作品を創っていたところがある。ところがピナも亡くなり、ベジャールも亡くなり、フォーサイスもカンパニーがなくなった。今は混沌としているというか、ショーケース形式が当たり前になってきているのでしょうね。
関:15分ならアイディアで勝負できるけれど、1時間の作品を創るとなると・・・・・・。
白河:それもまた時代の流れなんだろうなって思いますけれども、今は作品じゃなくて、肉体がどう語ってゆくか、と肉体が中心になっている気はします。私は今の自分って、作品によってつくられたと思っているので、「どんな風にダンサーになったのか」と聞かれると、「作品によってつくられた」っていつも答えるんです。『春の祭典』あり『カルミナ・ブラーナ』ありの大島さんのコンセプトの中で、いろんな刹那みたいなものが重なっての第一ダンサーなのかなって思っています。
+ その一時間以上の時間体験を、安易にできないですよね。資料を用いても・・・・・・
白河:できないです。創設の頃って、やはり何かあるんですよ。典子さんもいた頃なんか、いつもぎりぎりの状態でつくっていた。例えば『眠りの森の・・・』の時は、横浜に「ベリーニの丘」っていうのがあって、そこにギリシャの神殿みたいな水が張ってある円形劇場のような場所があるんですが、30メートルくらいの水を張った場所をデッキブラシで掃除しながら、リハーサル中は蚊に刺されたり、ボウフラと泳いだり・・・・・・、泣きながらやっていましたよね(笑)。
+ 関さんは、そういったカオスでの体験を含め、どうしても保存できないものを知ってしまった上で、それでも何かを蘇らせようと。
関:今の現動力でもあるのですが、踊ること、見ること、記述していくこと、その三つがないと私はダンスに取り組めないって思っているんです。コンテンポラリー・ダンスは消えてゆくものだとか、瞬間の共有がパフォーマンスにおいては最も大事とか、記録など後の人がやればいいって、振付家の方はおっしゃる。コンテンポラリー・ダンスの定義はなんですか?って聞いても、それは研究者がやればいい、言葉が残らないジャンルとして将来の舞踊史に残らないとしても、それでもいい、と。私はその気持ちがダンサーとしてはわかりつつ、この空間、この時代を感じたものとして、何かを留めて引き継ぎたいという気持ちも、同時にそれと反対のベクトルで過去の創作を読み解きたい、追体験したいという気持ちもある。それでこんな企画になったんだと思います。
白河:おっしゃるような意義は、あったと思いますよ。今、集客を重視したプロデュース公演が多くなっている。それはそれでいいし、胸をうつものは胸を打つものとしてあるし、それが今の時代なんだけれど・・・・・・例えば今回、オープンスペースで踊るという話で、典子さんの依頼だからとお引き受けするにあたって、一つだけ床をつくって欲しいってリクエストを出したんです。そうしたら、床だけじゃなくて後ろのパネルの壁も建ててくださった。すると目の前にいる人がただ踊るっていうんじゃなくて、一つの額縁が、お客さんとの境界線がきちんとできるんです。そうするとわずかな照明でも、作品を見るっていう何かフィルターのようなものができて、お客さんの集中度が違ってくる。それがお互いに自分の中に入っていっての、深いところでの交流につながるんですね。その大事なところをわかってくれる典子さんだからこそ、引き受けたというところがあります。
関:パネルや舞台設営は「よしやろう」って言ってくださった芸術文化センターの方がいたから実現したんです。それは、このコレクションのつながりでやってくださるっていうことだったり、趣旨だったり、「あの白河さんが来るのですか!?ここに?!」っていうことだったり。全部が噛み合ったからうまくいったんだと思います。
白河:舞台監督の方をはじめ職員のみなさまも、本当によくやってくださいました。
関:実現の過程には、薄井先生ご自身がダンサーでいらしたので、「僕も実演の人間だから」ってことを時折仰ってくださって、その言葉が本当に励みになった。いろんな先生方いらっしゃいますけれど、実演家であり研究者であり、その動機はダンスが好きで好きでたまらないというところ。そんな薄井先生に出会えたことも、これだけの資料をちゃんと表に出してゆかなきゃって、強く思った動機です。
ひとまず一日目は無事に終えて、もっともっと来て欲しいなと思うと同時に、見そびれてしまったことを悔しがってもらえたら、これが伝説になって、コレクションの広報にもつながればいいななんて思いました。
(4月28日第二回目終演後 兵庫県立芸術文化センターにて)
文責:古後奈緒子
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