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【暑い夏13】わらしべ長者インタビュー《延長編》 菅井一輝さん

2013年06月3日

 菅井一輝さんは、本フェスティバルから躍進したダンサーを多く輩出する名古屋のダンスカンパニー、afterimage(アフターイマージユ)でダンサー、衣裳、制作を担ってきた。昨年、カンパニー十周年の集大成公演『the”best”「鮨」』を区切りに、ダンサーは引退して制作としての活動に力を入れている。同時にafterimageの服部哲朗さん、昨年の『Harakiri』オーディションに合格した杉山絵理さんと、archaiclightbody(アルカイックライトボディ)という名義も立ち上げた。こちらはポータブルな作品をつくり、公演回数を重ねることでブラッシュアップしてゆこうという方針だ。もう一つの顔は、衣裳制作を学んだ専門学校のショウで、舞台慣れしているのがスカウトの目に留まって始めたファッションショウのウォーキングモデル。最近の仕事は主に東京で、若手の指導に重心を移している。

撮影:中西あい
撮影:中西あい

 afterimageのダンサーを卒業されたのは意外だった。今回もハードなC-2クラスを通しで受講し、エリック・ラムルーの振付を細身の体でがっつり踊りこなしていた。「ダンスをプレイする人間としての楽しみは忘れたくない」らしい。だが「暑い夏」に通しで参加するのは、語るに1時間半を要した大きなヴィジョンにつながる「隠れた目的」のため。すなわち、若いダンサーを発掘に来たのだという。

 「スカラシップ制度が充実していることもあって、若い才能を一度にこれほどたくさん見られる機会はなかなかない。しかもダンサーが複数のクラスを受けているので、どんな作品で個性を生かせるかという見極めに必要な、いろんな種類の踊りをしているところが見られる。もっと、日本中の制作者やキュレーターが見に来たらいいのにと思います。」実際10日近く見ていると、吸収の速さやなんかでぴんと来る人が毎年必ず出てくるという。最初にオーガナイズした公演も、3年前にそうして見つけた柿崎麻莉子さん(2010年アンジェ交換留学生で、現在バットシェバ舞踊団に所属)を一年くらいフォローして実現した。演者に注目するのは、日本ではダンサーの活動が仕事として成立しにくいからだ。もっと「このダンサーにこの仕事を頼みたい」というオファーが増えて、ダンサーが職業として成立するようになればいいと思う。そのために例えば、服部さんがフランスで呼ばれた、批評家ジャン=マルク・アドルフによるクレイジーなイベントにインスパイアされて、作家と演者のマッチングイベントなども構想していきたい。

 こんな風にカンパニーの公演制作を超えて考え動くようになったのは、afterimageの10周年を機に、公成&裕子のように地域のダンス環境を意識して活動する段階に来たと、自覚したからだという。団体創設以来初めて、月一ミーティングをするようにもなった。菅井さん個人も名古屋でcassini(カッシーニ)という制作団体を立ち上げた。幸い、十年くらいイベントをやってきたおかげで、企画交渉に行って断られるか断られないかは五分五分という状況にはなっている。安くて小さい稽古場施設のような場所で公演も打てる。そこを拠点に自分の所属カンパニーの公演に限らず、ダンスや演劇といったジャンルを問わず、ショウケースやフェスティバルなど様々なイベントを開催して、アーティスト達と何ができるか一緒に考えてゆきたい。あくまで楽しんでもらうことを軸に、面白い作品があったらさくっと呼んで、それを楽しんでもらえたら「自分たちもツアーしたいな」と思ってもらえるのではないか。そうして名古屋のアーティストには、もっと発奮して外に出て行ってほしい。

撮影:中西あい
撮影:中西あい

 菅井さん自身は「今日寝た枕で寝たくない」性質で、いろんな場所に行って、いろんなものを見て、いろんなものを連れてきたいと考えている。名古屋で活動すると決めたのであって、名古屋という土地でなければできないとは全く思っていないので、常に流動して、名古屋も流動化させたい。例えば、レジデンスのカンパニーと協力カンパニーがあって、制作した作品は4、5箇所ツアーしてゆくことが決まっているフランスのCNDCのように、パフォーミングアーツの作家同士をつなげ、フランチャイズシアターみたいなものを点在させてゆくようなことを夢みる。

 近々企んでいるのは、昔afterimageがやっていたショウケースイベント「農民一揆」を、お客さんに届けやすい形で復活させること。「農民一揆」は作品を4、5本呼んで上演してもらうノンジャンル、ノンセレクトのダンスのショウケース。「農民一揆」プロデューサーのトリエユウスケさん(afterimage 演出家)をはじめとするメンバー達と共通するのは、お客さんの見る力を育てたいという思いだ。「『そんな面倒くさいことしなくてもいい作品をつくれば済むことでしょ』って言う人がたくさんいるけど、我々は必ずしもそれだけとは思わない。いいものをつくって、それが名作だったとして、発掘されなければ名作にはならない。見る人がいない現場で発掘ってどうやって行われるの? だから、自分たちが生きていくと決めた現場でイベントを起こしてシーンをつくっていかなくちゃいけないし、シーンをつくったらドラマを孵化することが必要」と力説する。ん・・・ドラマ?

 背景には名古屋のシビアな状況があるようだ。afterimageは売り文句で「名古屋でほぼ唯一のコンテンポラリーダンスカンパニー」と言い続けてきた。お稽古がさかんな土地なので、バレエやモダンダンスを踊る人はたくさんいるのに、先生の下を離れる必要がないからか、作風の似通った作家やカンパニーが切磋琢磨するといったことがなかなか見られない。そうこうするうちに、上の世代で定期的に現代舞踊協会に作品を発表していたカンパニーもなくなり、事実上「名古屋で唯一のコンテンポラリーダンスカンパニー」に。メンバーが活動的なので県外、国外でのつながりもどんどんできてゆくだけに、ホームの状況は寂しすぎる。要は、ライバルが欲しいということらしい。

 菅井さんは、名古屋は決して文化都市ではないとも言う。人口が多すぎるとか、経済の論理が強いとか、不利な条件が多いこともわかっている。でも自分たちは名古屋に地元だからと残っているのではなく、選択してここにいるので、であれば土地を耕してダンスにとって有利な土壌にしていくしかない。日本で初の舞踊の学芸員として芸術文化センターに来られた唐津絵里さんからいろいろ受け継いだところもある。(カンパニー立ち上げの弾みは、唐津さんが呼んだコンドルズ公演なのだそう)「俺たちがやらなきゃ誰がやるんだ!」という気持ちもこめて“農民一揆”らしい。お客さんにも作り手にも、わりと強い要求を突きつけている。  要求とはいっても、作品へのフィードバックのこと。しかもお客さんに楽しんで貰う仕掛けとして、それに遊びっぽく参加してもらう作戦を練っている。「ここのビギナークラスもプレイの楽しさがあって、空間を共有したっていう感覚に押されて、感想が体から反射的に出てくることがある。だからアフタートークでは、正しいか正しくないかでなく、『僕も楽しかったけど、君もそうだったよね?』となるでしょう。同じように、遊びの中からフィードバックを返してもらい、それを作家につなげ、作品を育て、かつ観客が作品を育てたという喜びへと循環させてゆければ。そうして育った作品がよその都市や、海外に行ったりすれば」・・・と夢は広がる。

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「コンテンポラリーダンスってどういう風に見ていいのか、体験をどう分かち合ったらいいのかわからないところがあると思うんです。でも僕自身はコンテンポラリーダンスを見るようになってから、作品に限らずいろんなことに楽しめるようになりました。それは価値観を自分でつくりだすことでもあると思っています。最大限に楽しむ方法は、これだと思った才能に肩入れすることではないでしょうか。例えばサロン制の時代に、後に優秀と見なされるようになったアーティストを世に送り出したのは、自分の見る目を信じ、これは価値があると決めた人たち。彼らは自分が一番楽しんでいたと思う。TwitterをはじめとするSNSで誰でも誰かのパトロンになれる。そんな時代が来てる。そういう事って人生をものすごく楽しむことにつながるんじゃないかな。」

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