2018年07月9日

〈C-3:川口隆夫〉ワークショップレポート

 参加日4/27〜5/6

「舞踏作品を完コピするんだ」と思いながら、川口さんクラスが行われる講堂に入りました。 それまで、舞踏のパフォーマンスを実際に観たことはありませんでした。舞踏に関して、ほぼなにも知らなかったです。白塗りのパフォーマーの奇抜な動きというような曖昧なイメージと、某写真家の展覧会で見た驚異の肉体美を示した写真作品。それが舞踏に関する認識の全部でした。 それなのに、なぜかこのジャンルにずっと惹かれていて、いつかもっと深く知りたいと思っていました。ですから、予備知識がまったくないまま、川口さんのクラスに飛び込みました。

初めてのワークショップで、川口さんはまず、自分の創作主題でもある大野一雄という舞踏家の映像をいくつか見せてくれました。そのあと、突然、「とりあえずやってみよう!」と、ビデオを見たあとの印象や、舞踏のイメージに従って踊ってみるよう指示しました。 認識が浅かったため、頼りになるのはまさしく先入観しかありません。 他の方の真似を見たあと、口を半開けにし、力いっぱい床を踏みつけて、自分なりに大野一雄を真似してみました。すると、 「それはどこのシーン?」と川口さんに聞かれました。 「んー全体的にこうゆう雰囲気かな」と、ぼんやりと答えました。

川口さんによる『大野一雄について』というワークショップは、大野一雄のパフォーマンスの一部を完全にコピーすること(以下、完コピ)を目指しているようです。最も印象的なのは、「形を完全にコピーできれば、魂もコピーできる」という川口さんの仮説でした。動きの細部まで再現することを目指して、「大野になろう」としているのでしょうか。

(撮影:菱川裕子)

完コピを目標にして、ひたすらビデオを観ながら真似をするのがワークの全部だなと思ったら、毎日、いろいろ考えさせられる新しいワークがありました。

例えば、皮膚と筋肉を覚醒させようという練習がありました。それは、スローボディといって、できるだけゆっくり動くことで、筋肉の一本一本の筋、さらに皮膚の細胞まで感じ取ろうというワークでした。自分と外界を隔てる・つなぐ器官を覚醒させる一連のワークを経て、自己と他者・外界との境界をより敏感に感じ取れるようになった気がしました。ただ、感覚器官を覚醒させるにはとても集中力が必要です。じっとしているように見えますが、30分経つとかなり体力が奪われた感じもしました。 また、別の日に、散乱するゴミ・モノと戯れるワークがありました。それは、大野一雄の映画『〇氏の肖像』(長野千秋監督1969)からインスピレーションを得たワークだそうです。モノによって生成される感覚を身にまとうことを心にかけて、ゴミの中で気の向くままに戯れるようにしました。ところが、途中で、大野一雄の完コピのワークが気になって、講堂の一角でビデオを観ていたら、「その真ん中でやるといいよ」と川口さんに勧められました。 川口さんの言う通りに、ゴミ畑に入り、大野の真似をしてみると、一人で壁に向かってやるときとまったく違う感覚が立ち上がりました。自分は大野との一体化を目指そうと、内面に向かって集中力を寄せている。しかし、目の前には散乱しているゴミと、ゴミをランダムに動かしている他者が集まっている。身体の周辺で発生している情報を、どのように処理すればよいか、最初はかなり戸惑いました。 しかし、しばらく経つと、周りの変化を変化として感じなくなり、戸惑う自分すら感じなくなったような感覚が起こりました。この場に存在している自分がいるはずなのに、自分の存在が確認できなくなりました。

ワークショップの最終日に、講堂を一般の見学者にもオープンにして、ゴミと戯れるワークをもう一度やりました。ワークの三回目となるこの日には、静物であるモノだけでなく、人間である他者との接触も増えました。しかし、頻繁に接触しても、他者の存在をいちいち気にすることはほとんどありませんでした。 一つの空間の中で、自分はいったい存在しているのか、存在していないのか。錯覚と実感のはざまに浮遊する時間でした。

川口さんは、一輪の花を手にして、大野一雄の「胎児の夢」を再現したあとで、「花を持っている」か、それとも「花に持たれている」かについて思考を巡らせました。自分自身はダンスをしているのか、それともダンスさせられているか、自己と自己以外のすべてとの関係性について考えずにはいられないワークショップでした。

(撮影:菱川裕子)

 

川口隆夫(東京/日本)
TAKAO KAWAGUCHI(Japan/Tokyo)

1962年生まれ、佐賀県出身。上智大学イスパニア語学科を卒業後、パントマイムを基礎にしたムーブメントシアター「ミーム」を学ぶ。1年間のスペイン留学から帰国して1990年、吉福敦子らとともにコンテンポラリーダンスカンパニー「ATA DANCE」を旗揚げ。96年からは「ダムタイプ」に参加。2000年以降はソロを中心に、演劇・ダンス・映像・美術をまたぎ、「演劇でもダンスでもない、まさにパフォーマンスとしか言いようのない」(朝日新聞・石井達朗)作品群を発表。他ジャンルのアーティストとのコラボレーションも多い。08年より「自分について語る」をテーマに『a perfect life』シリーズを展開。その Vol. 06「沖縄から東京へ」で第5回恵比寿映像祭(東京都写真美術館、2013)に参加。近年は舞踏に関するパフォーマンス作品『ザ・シック・ダンサー』(2012)、『大野一雄について』(2013)を発表。後者は16年秋の公演でニューヨーク・ベッシー賞にノミネートされ、18年現在も世界各地をツアーしている。最新作は『TOUCH OF THE OTHER – 他者の手』(2015 ロサンゼルス、2016 東京)、そして『BLACKOUT』(2018 東京)。
 その他、1996〜98年まで東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(現・レインボーリール東京)のディレクター。英国映画監督デレク・ジャーマンの色についてのエッセイ集『クロマ』を共同翻訳(2002年、アップリンク)。

周 思敏(しゅう すみん)

「訳者(communicator)」と自称している。本業は、博物館に訪れる異文化背景の観覧者に向けて日本美術と文化歴史を紹介することだが、同時に、多様な表現方法とコミュニケーション法を実験している。「暑い夏」に興味を持つようになったのも、ダンスを通じて、言葉だけに頼らないコミュニケーション法を探るためであった。

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