2019年07月3日

〈Dビギナークラス:ルイス・ガレー〉ワークショップ・レポート

 4月30日(火)@京都芸術センター、フリースペース

 

 人がダンスに関することを知りたい・学んでみたいという理由はそれぞれでしょう。ある人は未知なるメソッドにふれる非日常な体験をするため、ある人は自分のダンスの表現力を拡げるため、というように。私個人としては、ダンス鑑賞が大好き過ぎて、ダンスが作品になっていくプロセス(作品コンセプトがどのように生まれるのか、ダンサーがどのようにコンセプトを血肉化していくのか)を知りたいという好奇心からワークショップに紛れ込んでいます。暑い夏には毎年のように参加させて頂いているのですが、いつも新鮮な気づきや発見があり、ダンスの可能性や奥深さに『すごいなぁ』と感激しています。

 が、しかし。ルイス・ガレーのワークショップでは、気づきや発見だけではないものも感じさせられる自分がいます。彼のワークショップは今回で2度目ですが、やはり今回も“小さな裏切り”に遭遇し、顔がニヤニヤしてしまいました(*注:私にとっての“小さな裏切り”は、顔がニヤけてしまうほどの楽しさ、という意味になります)。

 

 1度目のルイス・ガレーのワークショップは2016年。その時は集まった参加者に「せっかく集まってもらって申し訳ないのだけど、着替えなおしてくれないかな?」というひと言からワークがスタート。ダンスのワークショップだから参加者は当然、スポーツウェアなど体を動かしやすい服装で集まるのですが、ルイスはその姿ではなく、着替える前・・・普段着に戻らせる、ということからワークをはじめたのです。その時の詳細は割愛するとして、私はその時「ダンスをするんだから」という心構えというか、ダンスに臨むマインドを大いに裏切られたのです。裏切りというとネガティブな印象が強いものですが、アートという領域で捉えなおした場合には“裏切り”は最良の認識転換という言い方も可能です。「こうだろう」とか「こうに決まっている」とか「こうあるべきだ」という考え方を覆し「どうしてだろう?」「なぜだったのか?」「もしかしたら・・・」という循環する思考回路へと導き、考えた人やその人が接する世界に新陳代謝をもたらすからです・・・と、前置きが長くなりました。今回のワークへとレポートを戻しましょう。

 

今回のワークは次のような組立で行われました。

① 問いかけと語りかけ

② 動物のワーク

③ 紙上でのペンを使った1対1でのやり取り

④ 空間の中にたくさんの人が散らばった中でのペアのやり取り

これだけだと何のことかわからないと思うのですが、ワークの大半はルイスが参加者に問いかけたり、語りかける時間として費やされます(①のワークで恐らく半分以上の時間)。問いはダンスそのものというよりも、ダンスという行為を行う自身に対して視点が向けられ「身体はどこにあるのか」という問いに対する彼の思考が展開されます(それは彼の出自などから辿られる進行中の仮説のようなものかも知れません)。

自分が生まれた国、さまざまな場所で生きた(暮らした)経験、場所に縛られない感覚などから「自分の身体そのものが“国”」という考えを持つに至ったこと、そこからさらに「では、“国”とは何か?」と再び問いに舞い戻るといった具合です。参加者は彼の思考プロセスにふれ、彼が興味を抱ていることをいっしょに実験してみる、という流れでした(ダンスメソッドを享受することを期待していた参加者はきっと大きく戸惑ったでしょうね)。

 

 ②のワークでは美術館らしき場所で行われた彼の作品(3時間強)の一部、数種類の動物の動画(キリンがのんびりしている姿や、カンガルーの子供が親カンガルーの袋の中から顔を出したりひっこめたりする姿など)を見ました。前半のパフォーマンスは3名の男性が何らかのルールに基づいてパフォーマンスをしている映像でしたが、このときルイスは「単なる忘却ではなく、覚える前・学ぶ前に(退化ではなく)どのように戻れるか/常に驚きを生み出すにはどうすれば良いか?」というようなことを語りかけていたので、3人の男性のパフォーマンスでは“常に、今、経験した瞬間の感覚を原動力にして動き続ける”といったルールが適用されていたのでしょう。

 それらの映像を見たあと参加者はペアになりました。1人が床に寝そべり、もう1人は目の前に横たわっているのが初めて見る生物だとしてふれ、その動きや受ける印象などを観察しました。

そこから続けて寝そべった方の人はさきほど見た動物の姿をトレースし、観察する人はさらにその姿がなんの動物をトレースしているのかを推察しました。やってみて感じたのは、知っていると思っていたニンゲンの肌の質感(やわらかい、あたたかいなど)の新鮮さ。ペアになったモモちゃんがお肌美人だったせいかも知れませんが(笑)、ニンゲンというものをいったん知る前に戻して観察するという視点は新鮮に思えましたし、動物の動きをトレースするニンゲンは明らかにニンゲンではないような、でも模している動物そのものでもない、奇妙な存在感を得ていたことが興味深く感じました。

 

③のワークは1枚の紙にペンを手にペアで向かいあい、緊張感を保ちながら駆け引きをするようなワークでした。

感じ方は個々に違うように思いますが、私は相手の方のペン先が震えてなかなか動き出さないことから、段々気分が肉食獣のようになってしまい(苦笑)、ワークでは相手のペン先を追い詰めるハンティングのような様相になりました(ワークが終わって描きだされた軌跡は参加者ごと、ペアごとに違っていましたから、組み合わせや捉え方によって、このワークで得ることは違っていたかも知れません)。私はペン1本で自分のマインドと遊べるおもしろい内容に思えました。

極論を言えばペン先に緊張感というインクを滴らせながら行う感覚格闘技というような感じでしょうか。

 

④のワークは③で感じた緊張感をペアで維持する・・・互いにエネルギーの糸を張り詰めさせ、その影響を受けながら動くワーク、みたいな感じでしょうか。会場となったフリースペースいっぱいに参加者が広がり、ペアと遠く離れます。このとき、なるべくペアとの間に他者が入るような位置でワークを行うのですが、これは離れた相手の手と自分の手の間をエネルギーの糸が張っていると意識し、相手が手を動かせば自分も同じように動くということを経験します。そのような動きを参加者全員が行うので、視界の中には他者が入り込んで集中力を妨げられますが、そこを途切れさせないで行うのがポイント。紙1枚の中で起きていたことが空間いっぱいに広がって行われている、というのが④のワークのイメージでしょうか。

 

 今回のルイス・ガレーのワークショップではダンス的な動きはあまりなく、大半が思考する・・・問いかけに対してレスポンスする、という内容だったように思われます。これは恐らくルイスにとってダンスというものが“常に問い続ける先にある存在”だからなのかも知れません。なぜ人は踊るのか、踊るとは何なのか、踊りという行為の先にあるものの意味とは・・・私たちが経験したのは、そんな“果てしない問いの一瞬に立ち会うこと”だったのかも知れませんね。

ルイス・ガレー(ブエノスアイレス/アルゼンチン)

ルイス・ガレーは KYOTO EXPERIMENT を始め、ウォーカー・アート・センター(ミネアポリス)、ウィーン・フェスティバル、マタデロ・マドリード、ポンピドゥ・センター・メス、テアトル・ド・ラ・シテ(パリ)、マルタ・フェスティバル・ポツナン(ポーランド)他で作品を発表してきた俊英。エクササイズ、タスク、労働といった概念を通して身体が同時に快楽と虚無の状態に置かれるような環境の構造を探求。共有されたフィクションの素材、すなわち、想像力や知覚、記憶の実物性をいかに顕然たらしめるかを研究している。彼が関心を持っている問題とは、追放にあって、身体がどこにあるのか、身体が何を想像することができるのかということ。こうした「局在化」に関わる関心は、注意喪失(注意散漫、退屈)、集中、非生産的時間、座標を持たない主観性の絶えざる変容の限界を辿るものである。過去には Outras Dancas residence programme for artists of Funarte Brasil のディレクターを務め、協同プロジェクトの LOTE1(サンパウロ)に参加した。

亀田恵子

大阪府出身。2005年、日本ダンス評論賞で第1席を受賞したことをきっかけにダンス、アートに関する評論活動をスタート。会社員を続けながら、個性と創造力とで人生を渡り切るべく奮闘中。

 

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