interview

山下残からきたまりへ “Take a chance!”インタビュー

2010年03月6日

協力:AI・HALL

横浜ダンスコレクションRソロ×デュオコンペティションで、最優秀賞にあたる<未来へはばたく横浜賞>を受賞したばかりのきたまり。その次の一歩となる新作『生まれてはみたものの』が、AI・HALLで上演される。数多くの才能を生み出してきた同ホールの“Taka a chance project”の01作目を飾り、文字通りチャンスを手にした山下残から、023作目に挑むきたまりへのインタビューをお楽しみください。


日時:2010年3月20日(土)15:00 / 19:00
   2010年3月21日(日)15:00
会場:伊丹・アイホール
料金:前売1,800円 / 当日2,300円(日時指定・全席自由)
   60才以上1,000円(前売・当日とも)
URL:http://www.kitamari.com/

宣伝美術 撮影:相模友士郎、デザイン:納谷衣美
宣伝美術 撮影:相模友士郎、デザイン:納谷衣美

山下:まずは、横浜ダンスコレクション「ソロ×デュオ」受賞おめでとうございます。

きた:ありがとうございます。

山下:どんな作品で受賞したんですか?

きた:太宰治の『女生徒』を、最初の動機に置いたソロ作品です。ソロは、本当はあんまり好きじゃないんですよ。でも、昨年の「We dance」でソロをという要望があったので。その時ちょうど、太宰治が生誕100周年だったので、太宰でやろうと思い、だったら『女生徒』かなと。ソロでは好きなことがやりたいのですが、その時やりたかったのが、ヒップホップとコスプレ。それで女生徒のような服装で、Dragon Ashで踊ろうと。そこから始まり、『女生徒』の小説の、言葉のリズムってダンスっぽいなと思って、言葉を言いながら踊ったりしました。でも、「言っていること」と「体」は全然違う、といったことにチャレンジしたかったんですよ。この1年間で6回ほど上演しながら結構変えてきて、今回の横浜で完成したかなと思います。あと、流行の曲でこれまで踊ったことがなかったのですがラストシーンに、今流行りの相対性理論の『LOVEずっきゅん』という曲を使いました。『女生徒』ではあえて痛いってことをやりたかった。私ももう、初々しくもない、若々しくもない、痛い年代になったとき、それをやりたかったんです。思いのほか、受けて良かったという感じですね。

『女生徒』提供;〈we dance〉
『女生徒』提供;〈we dance〉

山下:太宰治の小説をモチーフにしたり、ヒップホップを使ったり、そして今回は小津安二郎ですね。いろんな方面に目が向いているなって思うんだけど、もともと、ダンス以外に影響を受けたものって何ですか? 僕なんかだと、バンドをやっていて、そこからダンスに入っていったんだけれど。

きた:中学を卒業して、ファッション科の学校に通っていたんですよ。でも、ファッションってなんか違うなと思って、写真をすごくやっていた。暗室も作って、自分でロールを買って来て、フィルムにして、撮って現像するところまで全部やりました。写真って構成なんですよね。このフレームに何を置くかとか、立ち位置を考えるっていうか。あれは、すごく影響を受けているな。

山下:高校生の時に、そんな構図とか考えてたんですか?

きた:すごく好きで、ずっとカメラ持っていましたもん。私、フィルター越しに見てると、気分が高揚するんですよ。私しか見ていない世界に対しての高揚。舞台作品を作っていてもそれはあるなと思います。

山下:僕がトリイホール(*DANCE BOXの前身)で公演をやった時に、ボランティアスタッフで見かけていたけれど、その時は高校生だったんでしょ? あまりしゃべったりはしなかったけど、今から思えばすごく早熟な女の子だったんじゃないですかね? 写真のことを考えながら、小劇場に出入りして、マニアックなダンスを見て。その頃は、一体どんなことを考えていたんですか?

きた:そこにいたのは、本当にたまたまだったんです。ダンスに興味を持って、トリイホールに行ったわけでもないし。

山下:たまたまってどういうきっかけで?

きた:ボランティアがしたくて、社会奉仕をしようと思って、「ボランティア募集」っていうので行ったんですよ。とにかく無料で誰かに奉仕したかった。(詳しくは「中西理の大阪日記」へ)それがたまたま劇場で、ダンスの公演ばっかりやっていた。面白かったですよね、やっぱり。これまで、自分が文化系だったから体を使う経験がなかったところに、体を使って何かを表すっていう、自分にはなかった感覚を知って。スポンジみたいな感じで、何をみてもおもしろかったし、同時におもしろいのかな?と思ったり、両極端に見ていた。けど何も考えず、すごく純粋には見ていましたね。

山下:じゃあ、その頃はまだ、自分がダンサーや振付家になりたいって思わなかった?

きた: なかったです。ワークショップに参加しても何もできないし、体硬いなって。でも、できるようになりたいなというような気持ちはありました。そうして続けていくと、少しずつできていく。その体の変化が面白くて、その場にいたな、居座っていたなと思います。

山下:その頃、最初に見た、すごいなと思ったダンスは何でしたか?

きた:私は、「精華小劇場コトハジメ」で踊った由良部正美さんを見ていなかったら、ダンスをやってないと思います。あれはもう、あの瞬間、恋をしたから。トリイホールで見た残さんの作品も、すごく好きでしたよ。あと、ヤザキタケシさんとか。

『サカリバ』撮影:塚田洋一
『サカリバ』撮影:塚田洋一

山下:きたまりって、ぱっと見ため、個性的で動きも面白くて、ダンサーとしてもキャラクターが際立っている。でも話をしてみると、物を見る目や視点がすごく定まっていて、パフォーマーよりも作り手なんだなと思う。でもまた、踊っているのを見るとインパクトがあって、やっぱり自分の体で表現するパフォーマーなんだなあと思ったり。そんな風に戸惑う感じがあってそこが面白いなと思うんだけど。自分が踊ることと、つくることってどんなバランスなんですか?

きた:別物なんですよね。これまでは、作って自分で踊っていることが多かった。今は、全く分けている。自分が踊る時は、好き勝手する。何をしても自分で責任をとるっていう態度。作品をつくるときは、とにかく感動させようというか、多くのお客さんがダンスに興味を持つようなことをやるというか。お客さんへのアピール度はカンパニーの方が高いです。私のソロは、一般受けしない、マニアックな人にしか受けないだろうという自覚はあるんですよ。客観性はあるけど個人的な事をやっている。だめな人はだめだろうなと。カンパニー作品は、より多くの人に興味を持ってもらうきっかけにしたいなと思ってやっています。

山下:いわゆるダンサーらしくない体型やキャラクターの人を好んで用いるそうですが、そのへんはどうなんですか? ダンスを見に来るお客さんだから、動きとか身体を見に来るじゃないですか? そういう状況で、ダンサーらしくない人を見せるってどういうことなのか? ダンスの価値観みたいなことに抵抗しようとしているのか、それともただ好きなだけなのか?

きた:ただ、好きなだけなんだと思う。ダンスを見ていて、きれいな人にそれほど惹かれないんです。逆にこれまで、小さい人が踊っているのを見て親近感を持って、「こんな風に身体を使えるんだな」って発見があった。私自身がそういうダンスの見方をしていたから、太っている人やダンスとかしていなさそうな体の人と踊っているのって、お客さんが親近感を感じてくれるんじゃないか、何かを持ち帰ってくれるんじゃないかと思って。あと、余分なものがあるっていいなとも思います。実際に生活をしていて、体って余分なものがいっぱいありますよね。舞台での上でそれを隠さなくてもいいんじゃないかなと。

『サカリバ』撮影:塚田洋一
『サカリバ』撮影:塚田洋一

山下:作品はどんな創り方をするのですか?

きた:これまでは基本的に振りうつしでした。でも今回は、その創り方に飽きていて、自分が動かず言葉だけで振付けをしたいと思っています。少しは動きますけどね。今やっているのは、「あ」から「ん」までの音、全てにひとつひとつ動きを作って、それで「こんにちは」とか「おはようございます」で組み立てて振付けをやったり、そういう振付の仕方にチャレンジしています。

山下:その時、言葉と動きに繋がりはあるんですか?

きた:もちろん意識してやってはいるんだけど、絶対ではありません。例えば「た行」は全部足だけで動くとか、「う」は小さい動きにしていたりとか一応はあるけど、手を上げるでも下げるでも、どちらでもいいんだと思う。実際、言いながらは動かない。言いながらだったら、声と体の関係性になるのでそこを探究しないと。言葉を使ってはいるけど、言葉だけで説明したくはない部分はあります。そういうことでひねっていますよね。

山下:今まで体を使って振りうつししてきて、今回は言葉を介在させていて、どうですか?

きた:とにかく言語能力を発達させるのが、去年からの私の目標なんですよ。だから、京都芸術センターでトークセッションの企画をしたりもしているんですけれど。というのも、ダンスは体でするものだけど、人と作品を創るときに絶対に言葉を使いますよね。それを豊富にしたいんです。体で振付けられることは分かった。それはできる。でも、これからいろんなタイプの人と作業して行くことになると思う。その都度、その人に対して、一番いい言葉というか、かけるべき言葉の貯金をためたい。それを、嫌な言葉じゃないといいなと思いながら探す作業を、今やっているんじゃないかと思います。でも、饒舌になりすぎたら、嘘くさいだろうし。色んな人に出会いながら自分の言葉を見つけたいと思う。ずっと続けて行くには、大切なことだと思うから。

『OMEDETOU』撮影:阿部綾子
『OMEDETOU』撮影:阿部綾子

山下:今回、小津安二郎の映画のフレーズなども使っているんですか?

きた:使ってます。すごいんですよ。台本も素晴らしい。会話の流れなんかも計算されている。小津はすごい。

山下:90年代前半に小津安二郎の再ブームがあって、その頃にまとめて僕も見ています。それから20年ぐらい経って、若い子がまだ小津安二郎に興味があるんやなあって。僕らの頃は、ミニシアターができたりして、海外のインディーズ映画が紹介されるようになり、その監督たちが小津安二郎の影響とかを言い出したんですよ。それで、小津安二郎が再評価されたんですけれど、同年代の友達と小津安二郎で、話は合いますか?

きた:あまり…。稽古場でも私が小津話しを始めると熱くなりすぎて、みんな「あぁ…」みたいな(笑)。でも、小津の役者への体の演出のしかたがすごいんですよ。とにかくそこが感動的なんです。「この感情を体現するにはこの形なんだ」という体の演出方法がすばらしくて、体のリアリティをすごく感じます。基本的にすべて体の演出なんですよね。台詞の喋り方の間とか、立ち振る舞いとか、演出家の意図がどのシーンでもはっきりしていて、そうやって観ていると、隅から隅まで構成されていることに、鳥肌が立ってくるんですよ。

山下:ダンスでも演劇でも、何かしら公演に見に行くと客席にきたまりがいるっていうように、ものすごくよく舞台を見ていますね。演劇も。それに加えて批評性も高い人だと思うし、舞台シーンにも目を届かせている。小津安二郎って、90年代の「静かな演劇」で、サブテキストというか、見本にされた人ですよね。今、演劇では小津安二郎的なことよりもそこに少し非日常的なものが加わったものが出て来ているときに、なぜ、今、ダンスで敢えてそこにいくのか、僕は意外なところがあるんだけど。

きた:最近、ダンスでも演劇でも、せっかく舞台を見に行くのに、体のリアリティがない作品が多いなと思って。そうでなくても、体のリアリティってすごく希薄になっている。今の時代の体ってそうなんだと思うけど、私は嫌なの。人間同士が出会うって、お互いの体を確認し合う作業だし、そういうことって大切なんじゃないかな? 人が目の前にいることで、やっぱり何か感じるものがあるでしょう? きちんとそういうことを確認したい。そう考えていたら、体のリアリティをどう見せるかが、自分の中で重要な問題になってきたんですよ。舞台って全部嘘じゃないですか? だったら嘘のつき方を、すごくリアルにちゃんとしたい。実直に嘘をつく体を見たい。そこで、小津映画の体の使い方はすごく参考になるんです。あと、小津映画のテーマの一つである家族のことを、最近考えるようになったということもあります。昔は家族って良く分からなかったけど、それなりに年を重ねてきて自分の両親のこととか、家族への考え方が変わって来て、そうして、小津映画を見るとすごく泣けるんですよね。人間が生きていくって、どういうことかってことが繊細に描いている。それを舞台で、ダンスでやりたいんです。

『OMEDETOU』撮影:阿部綾子
『OMEDETOU』撮影:阿部綾子

山下:僕からきたまりを見ると、ちゃんと舞台芸術の教育を受けたことを踏まえた存在として、すごく脅威を感じるんですよね。京都造形大で勉強して、すごくいろんなことを知っていて、それで、ぽんと小津安二郎にいくのかって思う。僕らの世代では、ピナ・バウシュにやられた人が多くて、今、きたまりが言った舞台に立つ人のリアリティとかって、ピナ・バウシュ的なものに影響を受けた人がすごく多いんです。手法だって、ダンサーにインタビューしていったりね。で、ピナ・バウシュの現場だと、国籍も人種も違うダンサーが世界から集まっていてそれが成立したけど、日本で同じことをやった場合、それは個人の内面とかすごく些細なこととか、そういった方向だけにいってしまって、不幸な影響のあり方だったのかもしれない。そこから試行錯誤して、ドキュメンタリー的なダンスの創り方が出てきたりね。きたまりは、そういうところを避けようとしているのかなとも思えるんだけど?

きた:例えば感情のリアリティを舞台上にのせようと思うと、それは体のリアリティがあるからできることだと思うんですよ。だから体のリアリティを舞台に上げさせる為の方法論を見つけようとはしています。それは、どんな意識で身体を舞台上で見せるか、ということだから身体訓練に近いものではあります。あと作品をつくる上ではカンパニーでは特に観客と共有できるテーマを探そうとしています。例えば、生きていく上で感じる孤独感とかって、みんな考えている問題ですからね。舞台をつくる方法論をすぐに確立するのは難しいですけどね。でも、何年がかりでも、方法論探してやる。一生探していく問題だろうとはおもうのですけどね。続けて行くための方法論、哲学を確立したい。じゃないと今の日本のダンスの状況の中で消費されてしまう存在になるという危機感があるんですよ。

『OMEDETOU』撮影:阿部綾子
『OMEDETOU』撮影:阿部綾子

山下:アイホールでやるのは、どんな気持ちですか?

きた:勝負ですね。この3回で、何も掴めなかったら、何も見つけれなかったら、何もできなかったら、やめてしまえと思っている。

山下:僕は、3作「言葉」に焦点をしぼった。今では、「ダンスと言葉」ってわりと言われるけど、2000年代前半の頃は「良く分からない」、「なんで言葉を使うんや」ってよく言われた。アイホールって関東とは離れているし、好きなこと、狭いことを集中してできる企画でもある。それをしっかりとしたスタッフと一緒に時間をかけてやれるのは、ありがたかったね。3作、漠然と大きく捉えないで、ピンポイントできゅっと集中したほうがいいと思いますよ。3作とも、小津安二郎とかね(笑)。

きた:それはやりたいんですけどね…。そこは、いろいろ考えます。

(2月24日@出町柳・ファラフェルガーデン)


きたまり(きた・まり)
1983年生れ。舞踏家・由良部正美の元で踊り始めた後、2001年から2005年まで「千日前青空ダンス倶楽部」のダンサー(芸名・すずめ)として6カ国13都市の公演に参加。2003年ダンスカンパニー「KIKIKIKIKIKI」を設立。2006年京都造形芸術大学 映像・舞台芸術学科卒業。これまでに「TOYOTA CHOREOGRAFER AWARD2008」にて振付作品『サカリバ007』でオーディエンス賞受賞。「横浜ソロ×ディオ〈Competition〉+」にてソロダンス『女生徒』で未来にはばたく横浜賞受賞。今後は2010年より伊丹市/アイホールの共同制作支援事業「Take a chance project」に選出され1年に1作品程度のペースで計3作品の新作共同制作が決定している。 http://www.kitamari.com/

山下残(やました・ざん)
1970年大阪府生まれ。主な作品に、来場者に本を配り、ステージからのカウントに合わせて、観客がページをめくりながら本と舞台を交互に観る『そこに書いてある』、ダンサーの動きを言葉にして声にする『透明人間』、スクリーンに映写される呼吸の記号と俳句のテキストを合わせて身体と見せる『せきをしてもひとり』、揺れる舞台装置の上で踊る『船乗りたち』、動物が演劇をしているようにも見えるダンス作品『動物の演劇』など。2010年4月横浜STスポットにて新作『大洪水』発表予定。 http://www.zanyamashita.com/

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