2009年04月1日

 ソウルと京都をベースに国内外で活動してきたキム・ウォン氏と黒子沙菜恵氏が、『気色あり』で再び共演を果たした。異なる地域の、ましてや海を隔てたアーティスト間のコラボレーションは、何らかのお膳立てに拠ることが少なくないが、本作の推進力がアーティスト個人の信頼関係であったことは、即興的な展開の中にもうかがわれた。ソウルでの初共演(2007年12月)から1年を経た2度目の共同作業がどのように進められたのか。近畿大学での客員教授としての滞在を締めくくる公演を直前に控えたキム氏、そして『気色あり』のディレクションを行った黒子氏に、振り返っていただいた。

黒子沙菜恵(photo: yoshikazu Inoue)

黒子沙菜恵(photo: yoshikazu Inoue)

キム・ウォン

キム・ウォン

『気色あり』4人のアーティストによるコラボレーション作品
2008年12月27日(土) 毎日新聞京都支局ビル7階ホール
ダンス:野田まどか キム・ウォン 黒子沙菜恵 バイオリン:宮嶋哉行 

『気色あり』 *「Won Kim / Group Collaboration OR in Osaka」の第一部として手を加えて上演された 2009年1月29日(木)30日(金) 近畿大学会館 日本橋アートスタジオ
振付・出演:キム・ウォン 黒子沙菜恵 チェ・ゼヒ 音楽:宮嶋哉行


+  『気色あり』で再び一緒に公演されることになった経緯を教えてください。

キム 9月に来日して沙菜恵に再会したとき、彼女がまどかと哉行さんと準備していた公演のことを聞きました。沙菜恵ともう一度仕事をすることに関心を寄せていたので、参加してもいいか尋ねてみたんです。他の出演者に会ったこともなく、作品も見ていないのにそう訊けたこと自体、幸せだと思います。沙菜恵を信頼していたからにほかなりません。彼女を韓国に招聘した一昨年から、細やかな感性を備えた人となりを知り、その人間性に惹かれました。実はそれこそ、私が誰かと仕事をする上で一番大事にしていることなのです。私は、コラボレーションにおいて、人を理解しお互いに近づいてゆくことが大切だと思っていますから。

黒子 ウォンさんにこの企画を話したのは、まだ漠然とした状態だった企画のリハーサルをちょうどスタートさせようとしていた時でした。(何かを新しくスタートさせる時は、ほとんどが漠然としたものなのですが)。ウォンさんが参加したいといって来てくれた時、正直驚きましたね。なぜならこの企画は本当に小さなものだったからです。ただ、一瞬風が吹き込んできたように私は感じたのです。そして1年ぶりの再会で作業を共にすることで、何かが生まれるようなそんな期待が膨らみ、他の2人に相談してみようと思ったのでした。私自身、それ程沢山の人との出会いがあるタイプの人間ではないので、出会えることに縁を感じまたその機会が巡って来ることを嬉しく思います。コラボレーションの面白さは、一緒に作業を重ねる事によって、色々な側面からその人の人間性をより深く感じ合えることだと思います。ウォンさんとの作業の日々はそれを実感できるものでもありました。

+  ソウルでつくられた作品と、今回京都と大阪でつくられた作品の間に連続性はあるのでしょうか。また、京都と大阪での違いは?

キム いずれもコラボレーション作品ではありますが、一昨年と今回では、出演者もコンセプトも異なる別作品です。沙菜恵が韓国に来たときは私が全体のディレクションをしましたが、今回日本では沙菜恵とまどかがしました。

黒子 1月の大阪公演では、作品化にあたってウォンさんにアイディアを出してもらったり、韓国のスタッフに映像や照明で協力してもらったりして、彼女に負う部分が多くなりました。

キム 今回京都と大阪で上演した作品は、同じコンセプトに基づいていますが、時間の長さと空間の違いに応じてアレンジし直す必要がありました。京都ではオープンスペースで65分だったのが、大阪では劇場設備の整った場所で25分でしたから、ここではより劇場作品として成立するような方向で、いくつかアイディアを出して皆と話し合いました。素材は京都で手にしていたので、始めと終りに映像を配し、照明も入れて、舞台空間をどのように使うかだけ決めてゆきました。タイミングを合わせる以外、動きを決めてしまったわけではありません。自由に動いて具合を試して見つつ、観客が一方向に座ることを考えて、様々な舞台のパターンに取り組みました。

黒子 今やろうとしているものと比べてみると、京都ではもっと即興性が強くていいと考えていました。一面が窓で、昼と夜で変化する場所の特性もあり、どのように空間を使ってお客さんを巻き込んでゆくかと考えていて、客席は2方向にしつらえました。大阪では、即興ではありながらどうやって作品化させるかが大事でした。その作業が進みすぎて戸惑ったこともありましたが、切って貼り合わせたというより、新しい道をつくった感じになりました。

+  具体的にどのように共同作業を進められたのですか。意図を伝達し合うのに不都合はありませんでしたか?

黒子 今回は、実際に動いてみてそれに対する話し合いを反映させてゆくかたちでした。その中で共有していったのは個々の動きではなく、イメージや線やエネルギーの重ね方でした。コンセプトやヴィジョンを共有するにあたり、簡単なドローイングが役に立ちました。例えば一番にあったイメージや、エネルギーが層をなしてゆく様などを、メモしていたので見てもらいました。もちろん言葉でもやりとりしますが、今回良かったのは、言葉に拘泥せずに済んだ点だと思っています。それは、ウォンさんが的確ながらもシンプルな言葉で説明できる人なので、すぐに「やってみよう」ということになったのが大きいと思っています。

+  途上で新しく見つけたことや面白かったことは?

キム 韓国での1ヵ月で、私は沙菜恵のダンスの質のようなものを見つけていましたが、今回京都では、それらの質を彼女に固有のものとしてより深く見ることができました。心と体に発する非常に繊細な動きを使えるところなどをね。それは一昨年とはまた違ったものでした。まどかもよいクォリティーを生み出す途上にあり、もっとよくなる可能性もたくさん持っています。私は、自身では気づけないようなとき、少しでも彼女を手助けできたことが嬉しいし、そうすることで私も学びました。お互いにギブアンドテイクで、よいコラボレーションができたと思います。

黒子 韓国に行ったときは、言葉の面での心配もあり、言われたことを自分なりに理解し、中に入ってゆくのに必死でした。でも今回は、出演者4人の体が全然違っていて、その違いをまず認めることから始め、それぞれのキャラクターをより深く見つけてゆく作業ができるようになりました。同じ動きを踊るのではなく、それぞれが持っている感覚レベルでどう影響し合うかですね。その過程で、ウォンさんの考えについても、韓国ではまだわからなかった部分が見えてきました。また続けてゆくとさらに理解できると思いますし、その面白さがあるので、続けることはとても大切だと考えています。



+  キムさんは、大阪に半年近く滞在されて、日本についてどのような印象を?

キム 一般的に、感性の細やかな日本の方々は好きですが、何より素晴らしいのは日本の劇場で働く方々です。彼らは仕事に対してとても明確で、段取りも素晴らしい。初めての来日公演より、彼らとの仕事はいつも喜びでした。また、沙菜恵のように、会って友になる人もいる。人々と関係を続けてゆけることもとても重要です。

+  大学やワークショップなどで教えられた印象はいかがでしたか?

キム 正直、最初、受講者の多くはダンスが何なのかがわかっていないように感じられました。1つの大学で教えたのみで、日本の若い振付家の作品を見たのも僅かなので、こんな風に言うのは失礼ですが。特に若い人は、体と取り組みそこから何かを展開しようとするのではなく、単に新しい体験を求めている。それはダンスにとってよいことではありません。ダンスで私たちが用いるのは体なのですから、まず体を考えたら良いなと思うのですが。

黒子 何度かウォンさんのレッスンを受けたのですが、あんなふうに基本からシンプルな体の構造を解剖学的な知識に基づいて教える人は、今少なくなっているような気がしています。ダンスのワークショップはたくさんありますが、作家個別の考えや視点のユニークさに惹かれて受けに来る人が多い。ウォンさんは、何故体なのか、いかに動くかを考える貴重な機会を与えていると思います。

キム もちろんコンセプトなども大事ですが、ダンスで基本となるのは体です。自身の体にとって何が新しいのかを理解しなければ。また、頭で理解するのと体得するのでは異なります。日本の若い人は新しいものを見たいのかも知れませんが、「見る」ことと「得る」ことは違うのです。

+  そのような傾向を持つ学生に教えるのは、あなたにとっても新しいことですね。どのように彼らを発展させようと?

キム 私が発展させてあげるのではありません。いつも言うのですよ。「これは私の動き。自分の体で成長してゆけるのはあなたたち。自分の体を理解すれば、体で多くを感じて見つけ、違いをいくらでも展開してゆける」ってね。大学では、まずは彼らがどこにいるのかを知ることから始め、段階を設けていったところ、最後には私の言う事を理解する学生が出てきました。自分の体で探求しようという人がともかくも現れたのは嬉しいことです。ある熱心な学生などは、自分の体に目覚め、続けたいと言ってくれました。「続けるなら韓国に来れば」って、冗談を言いましたけれどね(笑)。

インタビュー構成:古後奈緒子

キム・ウォン(Won Kim)
梨花女子大学および大学院を卒業後、1991年より全北国立芸術大学の舞踊教授を務める。1999年よりフランス文化省より舞踊教授資格を得て、パリのハモニク・スタジオにてコンテンポラリーダンスを指導。1995年には奨学生としてニューヨーク大学の芸術学部に在籍、1997年にはアメリカ・Bates Dance Festival奨学金授与、1994年にはフランス・バニョレ国際振付賞にて最終候補に選出された。受賞経歴には、1984年大統領賞、1985年現代舞踊新人賞、1993年優秀振付賞、2005年イサドラ賞、2003年・2007年最高舞踊家賞がある。

黒子沙菜恵(くろこ・さなえ)
NYでさまざまなダンスに出会いその後身体の構造に着目しリリーステクニックを学ぶ。そして骸骨の模型を眺める日々。2000年リヨンビエンナーレに招待。ソロ活動をベースに多方面でのワークショップも行う。最近の作品には「白日夢」「human case」など。2007年韓国に1ヶ月の滞在、International Collaboration Work2007に参加。ギタリストtake-bowとの「オトノカケラ」は現在進行形。その時々の出会いによって揺れる身体と心をカラダ1個で受け止める。昨年5月より黒子さなえ改め黒子沙菜恵として活動をスタートさせている。
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