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【暑い夏12】〈 番外編 〉「暑い夏」参加者へのインタビュー2012 「それぞれの踊りと暑い夏の交差点」

2012年07月3日

 このフェスティバル(以下、「暑い夏」と略す)の魅力の一つは、若手ダンサーの登竜門でありながら、多様なダンス道の通過点となっているところ。そこで昨年の「わらしべ長者的インタビュー/時代の焦点を垣間見る」に倣い、それぞれのダンスとのかかわりを、出会ったり紹介してもらったりした7人に取材しました。みなさん、どこからどんな経路でこのフェスティバルに集い、何を持って帰ってゆくのでしょうか。

カイゲン「ふだんの生活でも大事にしたいと思っています。」

 某感冒薬に由来するニックネームを持つ彼女は、岐阜県は可児・大垣市の高校2年生。4年前、可児・大垣で「オーケストラで踊ろう!」という市民事業に参加した時、坂本公成&森裕子にチラシをもらって「暑い夏」に参加するようになった。ちなみに当時は、今までやってきたのと全然違うコンテンポラリー・ダンスなるものにかなり戸惑ったというが、「最後は大垣と可児とが昔から仲間だったような、大きいコミュニティというか家族ができた感じ。舞台で踊れたことも嬉しかったけど、それ以上にすごい大人数でできたのが良かった」と。

 暑い夏での最初の年はコンタクト・インプロヴィゼーションのクラス、今年はアリーヌ・ランドゥローのC-1に始まり、ノアム・カルメリのD-2、D-3、エリック・ラムルーのC-3、さらにC-3が休みの日にもビギナークラスEのエリックのクラスとフル稼働。好奇心旺盛な彼女は、ふだんもいろんなジャンルの舞台を見て、また舞台に限らず写真や絵といった表現に関わることも気にかけているそうな。自分も表現する人に?という質問に「なりたいですね。」

 一方で、学んだことは表現だけではない様子。今年のテーマについての話題で、「ふだん学校に行って、友だち関係とか大変な時もあるじゃないですか。そういう時、いい具合につきあえる度合いというか、自分のパーソナル・スペースも守りながら、相手のも守りながらということを、ふだんから意識しているかな。例えばうざそうと感じたら距離を置いてみるとか、一人で寂しそうだなと思ったら話しかけてみるとか。私はこういうことを教えてもらったり勉強したりしているから、その感覚がちょっとはわかるのかも知れない。ふだんの生活でもそういうことを大事にしたいと思っています。」

撮影:事務局
撮影:事務局

はまちゃん「勝手に自分だけが夢の中で見ていたと思っていた景色が、すでに地上にあった。」

 劇場に行くことすらあまりなかった彼が、カフェで見かけたチラシに惹かれて足を運んだのが、坂本公成振付・演出の『レミング』だった。「自分が探していたものというか、こういうことをしていた人がもうすでにあったんやと思いました。勝手に自分だけが夢の中で見ていたと思っていた景色が、すでに地上にあったというか。漠然としていたことがすでに現実に行われていたという驚き。」それからモノクローム・サーカスのHPをチェックし始めて、思い切って参加したWSで「次はこういうのやるよ」と案内されたのが『レミング』再演のオーディションを兼ねたWS。こうしてあっという間に舞台にも立ってしまった彼は、「どきどきがまだ続いている」まま今回「暑い夏」に初参加。

 もともと何かしらスポーツをやっていたし、体を動かしながら「これって何をやってることなんやろう」と気になるたちでもあった。ただ、映画でも演劇でも、面白いものを見たからといって自分でやろうとは思ったことはない。そんな自身の巻き込まれっぷりを、「種を植え付けられた感じ」と喩える。「ダンスなのか何なのか、自分では処理できないものが、放っていたらだんだん伸びてきて、気がつかないうちに収集がつかなくなっていた。今だって、切ったほうがいいのか、水やったほうがいいのか、花を咲かそうという目的があるのかないのかもわからない。」

 で、とりあえず今回受講したのはコンタクト・インプロヴィゼーションのクラスとビギナークラス。コンテンポラリー・ダンスというものも知らないし、それとコンタクト・インプロヴィゼーションの関係ももっと知りたい。海外の講師はどういった教え方をしてくれるのか。英語がわからない状態で、通訳でクラスを受けるのも面白いかも。先立つ期待はいろいろあれど、「単純にやっぱり楽しい。広いところを走り回るとか、そうして膝をすりむくとか、忘れている記憶なんですよ。今までコンタクトを受けてきても、そういうのを体で思い出すということがあったので。」

 近頃は、友達をこういう場に連れてくるにはどうしたらいいのか、実際ここに来ている人たちはどこからやってくるのか・・・といったことも考える。

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美子さん「自然と笑顔になっていました」

 ビギナークラスEのノアムのクラスの終了後に、「今回初めて、このフェスティバルに参加させていただきました」と、メールをくださった美子さん。アフタートークの時に、ドキュメントをやっていると伝えると、その日の感想などを丁寧にまとめていただくようになりました。

 普段はフィットネスクラブのジャズタンスやバレエのバーレッスン、ヨガ等のクラスで体を動かしているという彼女にとって、初参加のビギナークラスで印象的だったのは、「言われたとおりに動くダンスとはまた違った、自由に動くことの楽しさを体験した」こと。「最初は、自由に動くこと、他者と関わることに戸惑いがあったのですが、慣れてスムーズに動けたり、ほかの人と関われたりしたときは自然と笑顔になっていました。」

 毎年「暑い夏」が開催されているのは知っていても、ダンサーではないので自分には関係ないと思っていた彼女は、「実際に体験することによって、自分が踊るのではなくても、今後ダンスを見る時の助けになると思った」という。そして、ビギナークラスのアフタートークやショウイングまで見届けて貴重なフィードバックをいただいたのみならず、この「暑い夏」をダンスが生まれて育ってゆくプロセス全体を知ることができる場と捉えてくださった模様。「ものができていく過程に興味があるので、自由に見学できるのも嬉しかったです。ワークショップの時間中だけでなく、アフタートークの講師のお話はもちろん、若い人達の気づき、それを語る様子、運営に関わる人達の色々な反応等も普段の生活にない出来事なので、まるごと楽しませてもらっています。」

撮影:事務局
撮影:事務局

ももたん「ちょっとずつ、今まで暑い夏などで受けてきたものを定期的に試してゆける場を。」

 現在福岡に拠点を置く振付家・ダンサーの彼女は、「暑い夏」には学生の頃から参加していて、2007年のアンジェ・エクスチェンジ(レポートはコチラ>>>)にも選ばれている。2008年の「踊りに行くぜ!!」巡回公演(別府と前橋)が印象に残っていて、改めて話をうかがってみれば、そのダンス道は2000年代に全国で展開されたいろんなダンスの育成企画と交差していて、ある意味日本のコンテンポラリー・ダンスの申し子。そんな彼女が今、自分の地域で自分のダンスの未来の形を模索している。

 「暑い夏」に来るようになったのは、幼い頃から続けてきたバレエを受験でやめていたところに、YCAMの市民ダンス公演に参加して、「コンテンポラリー・ダンスって何やろう?」とネットで調べたのがきっかけだ。「いろんなクラスが受けれるし、いろんな人と出会えるし」と参加したはいいものの、大学に戻ればまたダンスのない生活。ちょうど隣県にできた北九州芸術劇場の「ダンスラボ」事業に応募し、砂連尾理&寺田美佐子 (2005)、山田うん (2006)、じゅんじゅん(2007)の滞在制作で、舞台に立つことを体験した。しだいに踊ることから「踊る楽しさを形にしてゆくこと」へと関心が移ってゆき、2008年の「踊りに行くぜ!!」に演劇をやっている男性とのデュオを出品。この初振付が巡回公演にピックアップされ、半年かけて作品と向き合う中、再演とはどういうことなのか、場所が違うとどうなるかといったディープな問いをいきなり実体験することに。

 とんとん拍子でいろんなことを経験させてもらった。だからこそ、福岡でクリエイションに触れる機会が単発のWS止まりで・・・という状況を動かしたいとも考える。ここ最近は自分がWSをする機会もあり、もう2年くらいのつきあいになる北九州のおやじダンサーズや、非常勤で行っている中学校の生徒たちともダンスをする。そのためにも「自分の体にもっといろんなものを入れたいなと思って」久しぶりに「暑い夏」に戻ってきた。地域に持って帰りたいものは何かと水を向けると、自分が受けた刺激を共有できるように、福岡でも定期的に集まる時間をつくろうとしているとのこと。「このフェスティバルでは、ショウイングに向けて準備する中で、また普通のクラスを受けているだけでも、いろんな人とシェアしたり交換できて、それもいいことだけじゃなくて、これ違うんじゃないかといった踏み込んだことも指摘しあえる。そういう関係がすごくいいなと思って、そういう場を福岡でもつくりたいと思っています。」

ポール「生活には満足できて、暇な時間があり、その時間でダンスができるというのが理想です。」

 軽快な脚さばきで、一見してビギナーでないことがばればれの長身男性。実は関西のコンテンポラリー・ダンスの黎明期のカンパニー、バウム・ヴクスで森裕子さんと舞台に立ったこともある、つまり職業ダンサーとしての経歴の持ち主。今は大学で英語を教える彼がダンスを再開したのは、去年参加した瞑想の講座で、10日間沈黙して集団生活をする中、コンタクト・インプロヴィゼーションの感触を思い出したからという。コンタクトをやる人など京都にいまいと思いつつも、インターネットで検索すると、かつて一緒に舞台に立った森のクラスがヒットした。即「絶対参加します!」とメッセージを送り、行ってみたら「いいグループだったし楽しかった。」以来、コンタクト・インプロヴィゼーションの定期講座の常連となり、その流れでこのフェスティバルにも参加した。

撮影:事務局
撮影:事務局

 「コンタクトは定期講座で満足していて、ビギナーは毎日先生が替わるので面白いと思ったんです。一人のクラスを選んで失敗したら勿体ないし(笑)。実際、ほとんどは面白かったし、来年もそうするかも知れない。」でも、他の人にお勧めするなら「とにかくコンタクト」。理由は、振付を踊るクラスの楽しさは、振付を覚えられなかったりなんだりで、ダンス経験のない人が実感できるまで時間がかかると考えるからだ。「でもコンタクトはできるだけ頭を使わずに即興して、すぐエンジョイできると思います。本当にすぐ踊れますよ。」近頃、コンタクト・インプロヴィゼーションのできる場をもっと作ろうと、Contact Improvisation Kyotoを立ち上げたところ。

 様々な経験を経てダンスと再会した彼ならでわの、ワーク・ライフ・バランスのお話も。「私は生活を自分なりに分けていて、ダンスはその一部です。踊るのは好きだけど、それでお金を稼ぐことには興味がない。するといつも問題になるのは、どうやって仕事とダンスのバランスをとるかです。それは今の時代に大変なことで、お金を儲けたら時間がないし、暇であれば給料がない。時間かお金か選ばなければならなくて、みんな困っているでしょう。周りの人を見たら、どこまでやらなくちゃいけないか、どこからしなくていいか、見極めていない人が多いと思う。私はなるべくそのバランスを大事にして、非常勤だけど生活には満足できて、暇な時間がある、その時間でダンスができるというのが理想です。」

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水面「いろんな先生がいろんなことをやるけど、どの先生も言いたいことは一つなんじゃないかな。」

 ビギナークラス皆勤賞の彼女は、バレエのレッスンにもほぼ毎日通う、滋賀県の高校1年生。ちなみに去年のビギナーに参加していた妹さんは、今年はこどもとおとなクラスに出ている。参加のきっかけは、バレエ教室で週に1回受ける森裕子のクラスだ。もともと教室の先生が「バレエをやっていたら、その先にコンテンポラリーも踊ることになるのだから」という考えで10年ほど前から開講したもので、中2から受講している。高校受験が終わってバレエのレッスンを本格的に再開した今年、小さな頃からの夢「バレエダンサーになる」ことについていろいろ考えながら、そのためにも視野を広げようと「暑い夏」の受講を決めた。ビギナークラスを選んだのは、「毎日違う先生で、いろんなダンスのことを知ることができる」のと、「(こどもとおとなクラスと違って)ふつうに大人に教えることをやってくれるから」。毎日やったことは、すぐにバレエクラスの仲間と「こんなんやったよ」と試してみる。いろいろ友達と教えあいっこしたり、よくわからないところを一緒に考えたりするのが楽しいのだとか。

 元気なピンク色の服で若いエネルギーをふりまいてくれた彼女も、じつは「自由に自然に」踊るのが苦手と言う。けれどもエリック・ラムルーの日は紙をパートナーに水を得た魚のように泳ぎ回り、アフタートークでも自分から「今日は自由に動けた感じ」と発言してくれた。余談ながら、同じワークで指の股まで筋肉痛になりショックを受けていた筆者に、「それはそこに筋肉があるって体が認識したってことだから、いいんですよ。」と、目から鱗のアドバイス。一週間通しての感想を訊ねると、「最近バレエの先生とも話してたんだけど、コンテンポラリー・ダンスって、すごく広いけど・・・ある意味狭い。いろんな先生がいろんなことをやるけど、どの先生も言いたいことは一つなんじゃないかな。」そして「とにかく楽しかったので、いろんな人にありがとうございますって思っていることを書いといてくださいね」とも賜りました。

撮影:事務局
撮影:事務局

スンジャ 「人生においても、幹が太くて流れが良い川があって、その流れの中で枝葉の部分に個性が表れる」

 東京に住む彼女がここへ来たのは、一つには「別の場所に旅をしてみたかった」から。主婦でもあり、家に根を張る感覚が若い頃より強くなったと感じる。7歳から始めた民族舞踊では、今に至るまでその実践家のコミュニティの中で育てられている。そういった親しい場所を離れて体を動かすことをしたら、どういうことを感じ、どんな動きが生まれるのか興味があった。もう一つは、チラシやWSの説明書きなどから「このフェスティバルがダンサーだけでなくパフォーマー全体に対して開かれているのかなという直感が働いた」から。

 クォーターでコリアン・ダンサーという彼女は、幼い頃から伝統の舞踊と音楽に親しみ、5年ほど前からコンテンポラリー・ダンスを始めた。「伝統って長い歴史の中で知恵が集まったもの。そうして決まった型なり呼吸なりを、生涯かけて会得してゆくものだと思うんですけれど、私は時代とともにある動きと融合したりする、その良さにも興味がありまして。」伝統の持っている意味を大事なエッセンスとして捉えながらも、哲学的な意味でいろんな感じ方やあり方を探してみたくて、それがこれからもやりたいことだという。一番勉強できるんじゃないかと選んだのがクリエイション・リサーチのクラスだ。結果、「めっちゃ当たりでした」と言う。しっかり踏むっていうこと、指を感じて流れをよくするということ、その間の揺らぎを感じること・・・。民族舞踊の伝統のレッスンとの共通点も多くあり、感覚としても楽器を演奏しているときと近い。一方で人間に焦点があり、多くの選択肢が人に任せられている。「始まって展開して締めて解くというルールすら、コンテンポラリー・ダンスでは人がいるっていうことに、パーソナリティのほうに注目する、そこに自由さを感じたりもするんですね。」かつて東京で習っているコンテンポラリー・ダンスの先生に「音に合わせすぎる」と言われて衝撃を受けた。「人の表現っていうのは、こんなに進んでいるんだ。」同時に自分で考えなきゃいけないことやチョイスすることが増えた、と楽しげに話す彼女は根っからの探求者。多様性の混沌から普遍をつかみとる人とはこういう探求心の持ち主なのだろう。

 踊りにも人が動く根底にも哲学的な意味があって、例えば洋の東西による志向の違いなども経験的に知ってはいるが、そこを人間という視点で捉え直した時、大事なことは一緒だなと思う。バレエもプリエが大事だし、コリアのダンスも床を踏むことが大事で、その反動が生まれて腹筋に伝わって、結果として手先が動くのが一番美しいと言われている。巫女の「巫」の字に象徴されるように、天と地があってその間に「メディア」としての人がいる。人生においても、幹が太くて流れが良い川があって、その流れの中で枝葉の部分に個性が表れる。魅力的な踊りを踊る、魅力的な音楽を奏でる人は、接すると必ずそういったことを言っている。そんな風に、「自分の動きを持っている人、魅力的な人、意味があるなと感じられる人が、自分の中でつながってしまったので、その発見が嬉しくって、その面白さを体にしっかり入れて表現につなげていきたいというモチベーションで踊り続けています。」

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(敬称略)

文責:古後奈緒子

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