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【暑い夏12】講師インタビュー vol. 23 アビゲイル・イェーガー

2012年05月19日

聞き手:中山登美子

翻訳・インタビュー構成・撮影:秋山義太郎

prof_abigailアビゲイル・イェーガーABIGAIL YAGER (台湾/台北)

アビーの小柄で知的な雰囲気とウィットに富んだムーブメントには誰もが魅了される。NY ポストモダンダンスを代表するトリシャ・ブラウン・ダンス・カンパニー(TBDC)にて’95 年~’02 年ダンサーと音楽アシスタントを務める。また、トリシャ作品の振付・再構成をリヨンオペラバレエなどの国際的なカンパニーで務める他、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの主宰するP.A.R.T.S.(ベルギー)や、アメリカンダンスフェスティバルなど、名だたるアカデミーで同様のプロジェクトをディレクションしてきた。また、韓国国立芸術大学、フランス国立振付センター(CCN)などワールドワイドに活躍している。(事務局ウェブサイト紹介より)

中山(以下N):私は今回あなたのワークショップを通して、キューブ・エクササイズというものを体験しました。空間に立方体を思い描くことで、その幾何学的性質を活かしながら/空間に立方体を思い描きながら体を動かし、また反動も利用することが出来るというその発想には感銘を受けました。しかし、私がそのエクササイズを通じて強く感じたことは、これは私が昔建築に携わる仕事をしていた時にも常々感じていたことなのですが、日本人は西洋人に比べ幾何学的なセンスに欠けるということです。あなたは私のこの意見についてどう思われますか?

イェーガー(以下Y):たくさんのことが挙げられましたね。キューブ・エクササイズ、幾何学、動き(movement)と反動(countermovement)あるいは反対方向に作用する力(counterforce)、建築、それから日本人と西洋人について、といったところでしょうか。しかしこれらはすべて関連しています。 

 まず、確かにワークショップで私は、動き、より正確には動線に重きを置いていて、それを知覚するのを助けるために立方体を用いています。このキューブ・エクササイズはトリシャ・ブラウンの『ローカスLocus』という作品に由来するもので、またルドルフ・フォン=ラバンが用いた立体とも同じものだと言えるでしょう。私たちがしているエクササイズはトリシャのダンスそれ自体ではありませんが、それの借用です。そして、なぜ私がキューブ・エクササイズを取り入れたかというと、生徒たちにとってムーブメントを学ぼうとする前に、動きをどのように見、どのように把握するか導入しておくことが重要だと思ったからです。かつての私には体の内と外の両方で起こるトリシャのムーブメントが数学、あるいは動く建築のように感じられたものです。そしてそれは、私自身が動きを把握するやり方とまさしく同じだったので、トリシャのダンスの題材に取り組みはじめたとき、ふと、私はまるで家にいるような感覚に陥りました。私は理解したんです。あぁ、トリシャと私は同じ言葉で話しているのだ、とね。彼女の発想は私にとってそれだけすんなりと理解できるものだったのです。

N:キューブ・エクササイズをする上で、立方体の内側と外側というのは区別されるものでしょうか?

Y:ときにはそうですね。でも、だからといって、立方体がムーブメントに制限的に働くわけではなくて、それはただ空間文節の目印となるものです。たとえば、知らない外国語を聞いても、それはただの音にしか聞こえないでしょう。あなたにはそれが理解できないし、単語の一つ一つを聞き分けることすらできないでしょう。それは、あなたがどのようにしてそれを聞けばいいのかを知らないからです。しかし、その言語がいかに構成されているのかわかり始めれば、個々の単語の意味はわからなくとも、句の切れ目や文構造は聞き分けることができるようになります。キューブ・エクササイズはムーブメントの構成を把握し、そうすることで定義づけるための方法なのです。決して好き勝手に動いているのではないということです。

 話を少し戻してもかまいませんか? あなたは日本人がムーブメントの構造をあるがままに把握する幾何学的センスに欠けるように感じるとおっしゃいましたが、それがとても興味深かったもので。結論から言うと、私はその意見に賛成できません。もちろん私は日本人ではないのでこのようなことを言う資格がないのは重々承知してはいるのですが。にもかかわらずそう言うのは、日本人に限ったことではなく、人間、誰しも単純素朴になるのはなかなか大変なことだと感じるからです。私には三歳になる娘がいます。彼女はただ私のダンスのクラスに来たり、夫の公演のリハーサルを見たりしてそれらを真似て動くのですが、それがとても美しいのです。ところが二週間前、「ママ、教えて」と言われて教え始めた途端、彼女の動きはぎこちなく不自然なものになってしまいました。見ていただけの時には出来たものが、それを意識的に為そうとすることによって出来なくなってしまった。彼女は彼女の体がすでに知っていたものを見失ってしまったのです。だから、私たちが今ワークショップでやっていることは、ビー玉を漏斗に落とすほどに素朴なことなのです。ビー玉はただ下に行きます。それが螺旋状の動線を描くのはビー玉に質量があり、そこに漏斗があり、そしてそこに重力があるからです。そして、私がムーブメントの中に見出そうとしているものは、体、質量、重力の相互間の自然な反応であると感じています。問題は、私たちが考え、意識的に動きを為そうとすることによって、その“自然な”動線を阻害してしまうということです。そして、素朴であるために結構な努力をしなくてはならないという点において、文化的、人種的背景による違いはないと思うのです。

撮影:秋山義太郎

N:これは団塊の世代に生まれた私の個人的な意見なのですが、日本は敗戦後急激に近代化し西洋文化を受容したと考えています。そして、コンテンポラリーダンスがそのような背景に根ざして育ってきたとすれば、西洋においては長い時間をかけて生成されたいわばコンテンポラリーダンスのための思想的下地のようなものが日本には無いのではないでしょうか? このことは日本人がコンテンポラリーダンスをする上で、障害となると思われますか?

Y:確かに、ある意味においては、コンテンポラリーダンスやモダンダンスは西洋で始まったものでしょう。でも私たちは現在、新しいものではなく、途轍もなく古いものに目を向けているのかも知れません。というのも、私は日本人が幾何学的センスに優れていると考えていますが、それは日本の古い建築が単純さ・明瞭さに語らせる完璧な例を示していると思うからです。京都の町家の格子戸や禅の庭などに認められるパターンは、飾りたてようとしているのではなく、自然の力に応答しようとするもののように思われる。それは単純明快、かつ考え方としては古いものです。翻って西洋の踊りを歴史的に振り返ると、その起源は王室の表現形式にあります。そこで重視されたのは、見栄え、装飾、そしてイリュージョンを見せることでした。後にドイツにおいて、それに反発する動きがあり、「ダンスとは表現だ!感情に関するものだ!」ということになったわけです。このような運動は、古代ギリシャの人間の捉え方と関係していました。そして、1940年代になると、モダンダンスの母であるマーサ・グラハムが日本に目を向けました。彼女の協力者が日系アメリカ人のイサム・ノグチであったことはよく知られていますし、彼女の美学や美的感覚は日本芸術に強く結びついていました。そして、1960年代になると、ダンスに限らず文化全般に言えることですが、ニューヨークの人々は仏教や道教、太極拳、またそれらの哲学や宗教から生じた身体的実践に関心を持つようになりました。そしてこれらが、人々の動きを特徴づけるようになったのです。なので、私はあるいは、これらのアイデアが西洋のものであり、そしてコンテンポラリーダンスも西洋のものである、と言えるかも知れない。けど、そんなのフェアじゃないでしょう? もとはと言えば東洋思想の流行に端を発するものなのですから。ダンスの世界では、その運動がニューヨークで特に顕著に起こったので、しだいにコンテンポラリーダンスはアメリカのものとして知られるようになりました。しかし、そのアイデアは東洋哲学にかなり強く結びついています。許容、無為自然、飾り気の無さ、素朴さの探求と言ったものです。もちろん東洋の文化といって十把一絡げにはできませんが、仏教と道教で共通する部分が見いだされ注目されたのですね。

N:コンテンポラリーダンスの表現が床に重点を置いているのは、天空を目指すバレエ表現の反動なのでしょうか?

Y:そのような違いがあるでしょうね。バレエにおける私たちの重力との関係性を鑑みるに、そこにはイリュージョンがあると思います。特に女性は妖精の様に軽くあるべきと考えられています。重くも強くもなく、彼女らは実際、極度に繊細に見えます。たとえ彼女らが実は筋肉むきむきだとしてもです。ええ、バレエは無重力というイリュージョンを生み出すことだと思いますね。そして、コンテンポラリーダンス—ひとつ選ぶとすればコンタクト・インプロヴィゼーションが有用な比較対象でしょうが—、それは重力を利用するのです。抗うのでも、そこに重力が無い風に装うのでもないのです。そうではなく、「これは私のパートナーだ。そのパートナーと一緒に私には何が出来るだろう?」と問いかけるのです。言い換えれば、バレエとコンテンポラリーダンスの違いは、ジェット機とグライダーのそれに似ています。ジェット機がエンジンをもって重力に抗うのに対して、グライダーはただ風に乗るだけです。実際、コンタクト・インプロヴィゼーションは重力を利用します。パートナーとして迎え入れ、その結果として彼らはまるで飛んでいるかのように見えるのです。私自身、常に身の回りの環境を体を通過させるように試みています。見目の良いものを作り出すのではなく、運動、動力、重力とともに仕事をしようと。

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N:ワークショップでリリースアウトという手法を学んだのですか、どのように意識したら動きのなかで筋肉の力を緩めることが出来るのでしょうか?

Y:リリースアウトというのは筋肉を、特に外側にある大きな筋肉を緩めることで骨を開放する手法です。そして、それは喩えるなら物干しロープのようなものです。ロープは強くない。でもロープを反対方向に引っ張ると、そのムーブメントはラインを描きます、それは重い衣服を支えるほどに強く、弾力があります。実際、強さというものは可動性、柔軟性、弾力、効率、そしてアラインメントから生まれるのです。アラインメントというのは関係性のことで、場所ではなく、動線です。例えるなら、そうですね、道路を走る自動車ですね。道路ではなく、そこを走る自動車です。

N:あなたは、トリシャ・ブラウンのダンスカンパニーで長年、音楽アシスタントを務めていたと聞きましたが、なぜ今回のワークショップでは音楽を使わなかったのでしょうか?

Y:時には、音楽を使うこともあります。でも普通は使わないですね。音楽を使うと気持ちよく動けることは確かですし、快適に気軽にそして気楽に踊ることは私も大変重要なことだと考えています。そうすることで、私たちは三歳の自分を見つけられるからです。自然と動けるんですね。しかし、一方で音楽は心地よく、それゆえに私たちの意識が体から音楽にシフトしてしまうのです。考えすぎると体の自然な動線を阻害してしまうというのもまた事実ですが、ワークショップでは、あなたたちが体に集中する時空が必要なのです。それは自動車の運転に似ています。習い始めのころ、あなたは次の動作を逐一考えなければならないが、練習を重ねるとそれが自然に出来るようになり、そして楽しくなってくるのです。

N:何人かの批評家によれば、現代においてはもはやあらゆる表現が尽くされており新しい表現は出てき得ないという意見がありますが、このような状況でコンテンポラリーダンスの展望はどのようなものと考えていますか?

Y:個人的には、もしその批評家が芸術作品をみて、それが新しいか、オリジナルかという基準で判断を下すのだとすれば、私は、彼らの言い分は的を得ていないと思います。問いの立て方が違うだろう、と。私が言いたいのは以下の一見逆説的な二つのことです。一方で、私は新しいことなどひとつも無いと考えます。芸術はすべて我々を取り巻く世界への応答であり、何も無いところから何かを生み出すものではないと思うからです。芸術とは世界を見て、そして答えることです。そしてもし私が、芸術家として、何か新しく独創的なものを創らなければと腐心するならば。それは、誤りというものでしょう。そして、それはエゴであると思います。自身の問題意識や、それへの返答について考えることなく、私は今まで誰もやったことが無いようなことをやったか? それなら私は特別か? と考えるのは間違った問いなのです。他方で、私はこうも考えます。地球上のどの一人を取ってみても人間はユニークであると。そしてどの瞬間も過ぎ去った瞬間とは違うものであり、ユニークであるのです。だから、今この瞬間にたいする私の応答は、‘今’この瞬間に対するあなたの応答とは違うものでしょう。そのような意味で、すべての芸術作品は、それがあなたの住む世界、環境への応答の表現である限りで、あなた自身そしてこの一瞬一瞬と同じくらいユニークであるのです。

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N:最後にポストモダンダンスのパイオニアであるトリシャ・ブラウンから受けた影響について教えてください。

Y:私は彼女から多大な影響を受けたと思います。彼女が作品を創る中で私に言ったことはたくさんあります。実際的であること、実験をしてみること、テクニックとしての所作を取り除くことなどです。彼女が作品を創る上で、ただその辺に座って「もしあなたがこうしたら、素敵じゃないかしら?」などと言ったりはしないだろうと思います。そうではなく、「あなたがこの題材をやって、そしてそこのあなたがこの題材をやったら、いったい何が起こるでしょう? やってみましょう。」と言うはずです。彼女はただ座って頭の中で創造活動を行う/計算しているわけではないのです。彼女は実験を行います、そして時には、衝突必至で不可能と思われるような実験を私たちにさせることもあります。そのような時私はいつも「これは無理!」と思うのですが、彼女はただ「やってみなさい。」と言います。そして、完璧に出来るかどうかはともかくとして、実際それを試してみると少なくとも何か別のものがそこから生まれるのです。彼女はマッドサイエンティストのような人だといっていいかもしれませんね。このようにして彼女はいつも私たちの想像力の限界を突破してきました。

 もうひとつ言っておきたいことがあります。私が別のカンパニーで1983年に創られた彼女の有名な作品『セット・アンド・リセット』の演出をしたりすることがあるのですが、私たちは別にその振付を教えに行くわけではなく、ダンサーたちとその作品の新しい形を模索するのです。そしてそれは演出家である私にとってとても啓発的なものでした。なぜなら、それは彼女がどのようにムーブメントの相互作用を見ているのかを教えてくれたからです。彼女のその見方は私に言わせればとてもユニークで、そしておそらくウィリアム・フォーサイスも共有しているものだと思います。彼はこの点、とてもつよくトリシャに影響されていますから。そしてフォーサイスが彼自身の作品について語るときに、時空間での体や動きの階層化について似たようなニュアンスを私は感じますね。それこそが、流動し、呼吸し、時間の中で変化しながらも恐ろしく緻密な振付をつなぎとめ、振付の神髄を損なわずに保っているのです。

N:とても深い話ですね。話せば話すほど哲学的になる。ところで今回の日本での滞在はいかがでしたか?

Y:すばらしかったです。社交辞令ではありませんよ。ここでダンスを教えられたこと、ここにこられたこと、たくさんの人々に出会えたこと、またこのフェスティバルを通してできたコミュニティに参加できたことにとても感謝しています。そして裕子(森)と公成(坂本)の創造に対する考えかたに触れることが出来たことも大きいですね。彼らは多様な視点を持ち、協力的、知識欲にあふれ、そして忍耐があると感じました。さらに今回うれしく感じたことは、私が大人数のグループレッスンを苦だと思わなかったことです、むしろ喜びですらありました。普段私はそのような大人数のグループを教えるなんて真っ平だというたちなのですが今回は違いました。それはひとえにそこに集った人々のおかげだったと思います。初心者から上級のダンサーまでが集いました。そしてそこはただ人々がやってきて探求する場でありました。だからこそそれが私にはただただ喜ばしいものに感じられたのでしょうね。

N:また来ていただけますか?

Y:そう願っています。

N+Y:ありがとうございました。

>>>revised version in english

秋山義太郎(あきやま・よしたろう)

京都の暑い夏、ドキュメント・スタッフ。ダンスの経験はほとんど無いが、格闘技やピアノ、絵画など趣味は多岐にわたる。大学では法律学・政治学を専攻しており、それらの基礎にある西洋思想にも関心がある。今回、知人の紹介でこのフェスティバルのことを知った。モダンダンス等身体表現の基礎となる近代思想に興味を持っており、語学にも関心があったため、講師インタビューの翻訳・記事構成をつとめることになった。現在21歳。

中山登美子(なかやま・とみこ)

50代からコンテンポラリーダンスを始め大野一雄へのオマージュ公演や笠井叡、黒沢美香、リズ•ラーマンのWS発表公演に参加。月一度、女性のためのボディワーク講習の講師を開業中。カフェで’ダンス’と題した活け花も続行中。

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