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【暑い夏11】講師インタビュー Vol. 22 マタン・エシュカー

2011年06月14日

聞き手・インタビュー構成:小林三悠

plof_matanMATAN ESHKAR  マタン・エシュカー (イスラエル/テルアビブ) ヨガ指導者。ニューヨークのDNA(Dance New Amsterdam)やNew York Yogaにて講師として活躍。現在はイスラエルで、インバル・ピントダンス・カンパニーや、バッドシェバなどのプロフェッショナル・ダンサーへの指導を行っている。彼のヨガは古くからあるヨガの知恵を現代生活に適応する言語に置き換えた革新的で独創的なもので、ヨガ指導者のための指導も行い、アメリカ、ヨーロッパ、メキシコなど世界各地で指導を行っている。ダンスやスポーツでの負傷や再訓練、痛みのケアなどに特化したクリニックも行っている。昨年来京し、その的確な指導が評判を呼び今回の招聘につながる。



感じることは、喜び



Q1:最近気になっていることは、ありますか?

 

エシュカー(以下、M):緊張と痛みの関係です。感情的にも肉体的な意味においても。ヨガの練習をするときもそうですが、何かを体験するためには緊張の入れ具合によって体験の質が変わってくるように思えます。緊張が低すぎれば体験すべきことを十分に知覚しづらいし、かといって緊張が高すぎると何かを体感する際にその緊張は私たちの役に立ちません。

 

小林(以下、K):日常生活においても同じようなことがいえるのでしょうか?例えば誰かと会話をしていて、どれだけ深く質問を投げかけるかとか・・・。

 

M:もちろんです。そういった精神的なことだけでなく、肉体的にもいえると思います。会話している際にどの程度相手と近づいて話すか、とか。

撮影:宇佐美偉丈
撮影:宇佐美偉丈

Q2:ヨガの先生をする前はどんな職業に就かれていましたか?

 

M: (苦笑い)前職であるといえるかどうかは分からないけど、イスラエルの政府で働いていました。政府で働く人が身につける銀の時計やネクタイ、背広などを政府で購入する役割をしていました。

 

K:その職業からヨガの指導者になることは、直接結びつきづらい気がしますが、そこからどんなきっかけでヨガに移行されたのですか?

 

M:政府での仕事の契約が終了し、NYで働かないかとある会社からオファーを受けました。そこでは、大学で学んだメディアとアートをビジネスとしていかに生かせるかが問われたのですが、両者の間につながりを持たせたいのか、数日してもはっきりしませんでした。ビジネスも魅力的でしたが、違うアングルでビジネスをみることが出来ないかと考えはじめたんです。テルアビブでは、個人セッションを始めるようになり、NYでもヨガセラピー、ロルフィング、トリガー、指圧といったテクニックを学び続けました。フェルデンクライスを集中的に学ぶようにもなったのもその頃だったと思います。そしてイスラエルに帰国し、慢性的な痛みを持った方や動きの質やパフォーマンス向上に興味のある方とワークをするようになったわけです。

 

K:パフォーマーに向けてのみのワークが中心ですか?

 

M:現状ではパフォーマー、ダンサーたちは多いですね。ヨガはNYで仕事をしていたときも続けていました。その頃よく友達や家族と、ヨガで習った概念や物事のとらえ方を応用して話をしていたのですが、そうすると、問題が解決されていったり、自分がそれを自然に伝えたりしている事に気がついたんです。これもヨガを単に練習する立場から、ヨガの指導者になるきっかけの1つだったのかもしれません。

撮影:庵雅美
撮影:庵雅美

Q3:今回の京都の暑い夏マタン先生のヨガのテーマは、大きくperception(知覚)とperfection(理想),duality(両義性)が根底にあったと感じました。このヨガの練習のテーマはダンサー、表現者、又は日本を意識したテーマ設定だったのでしょうか?

 

M:いろんな国にワークショップをしに行くのですが、どの国にも通用する普遍的なテーマを選ぶようにしています。その中で、それぞれの国の人がテーマに対してどう反応するのかに興味があるので、できるだけ大きなテーマから入ります。

 

K:何か、こう宇宙的な原理を取り入れるようなという感じですか? M そうですね。今回、フェスティバルの事務局長、森裕子さんからお話があった際に、そのテーマがダンスと環境であることを知り、自分自身が今興味のある、緊張と痛み、体験と知覚の関係などを探るワークが面白いのではないかと思いました。

 

K:そうすると、指導のプロセスは、生徒たちに知識を提供する場というよりも、マタン先生自身の興味の探索の場といっても良いわけですか?

 

M:その通りだと思います。自分自身も現在ヨガをNYで習っていて、私の師も緊張と痛みについて多くを教えてくれます。自分自身ももう少し深くそのテーマを探求したい気持ちがありました。duality(両義性)については、体験をより明確に知覚するきっかけをくれます。緊張が起こる1つのものともう1つのものの間に存在するものや、opposition(対極)を知ることで違いや変化の認識も深まります。初めは、大きすぎてつかみどころの無いテーマになるかもしれないと思ったのですが、芸術センターについてみて生徒に触れ始めるとこのテーマがしっくりき始めました。そこから少しずつ知覚することを広げるためのワークを取り入れていきました。それ以降は、大体計画した内容で練習を進めています。これがどうダンス、ムーブメントテクニックに対応する可能性があるのかが楽しみです。そればかりでなく、日常の動きでも、例えば自転車に乗ったり、歩いたり、人と話したりする際にも変化がおこるかといったことにも。

 

Q4:ヨガを通して特別に日本のダンサーに伝えたかったことはありますか?

 

M:来るまでの道中で何かあるかな?と考えていた気もしますし、今、考えている途中かなと思います。このことについて述べるまでには、もう少し日本に関わる必要があるでしょうね。ちょっと考えないとすぐに答えは出てこないです。ただ、劇的に様々な事が起こっている日本で、変わり行く環境にどのようにリアクションしてゆくか、その能力をいかにして補うかといった作業が重要なのだと感じます。

撮影:庵雅美
撮影:庵雅美

Q5:そういった考えを抱き始めた中で、全9日間の練習で一週間が経ちましたが、もし私たちと更に長い期間練習を続けるとしたら一緒に探索し続けてみたいテーマのようなものはあるでしょうか?

 

M:指導してみて気付いた事がひとつあるのですが、それは参加者がとてもオープンであることです。フロイトの言葉を借りるならば、エゴのレベルがとても低い。エゴみたいなものが参加者の中からほとんど感じられません。エゴを持つ事自体、問題ではないのですが、例えばモチベーションが高すぎて、これはこうするべきだとか、こうすればこうなるといった結果を求めた練習にみえません。私はこれが出来る!と見せびらかすような雰囲気も無いですし・・・どちらかというと、どのような事があっても、おこることを認めて受け入れるといった姿勢がそこにあるように思えます。

 

K:その理由は、ダンサーやクリエーターの参加者が多いからでしょうか?普段から、クリエーションの場で、その瞬間に起こっていることを楽しむ人たちだから・・・。

 

M:そうかもしれないけど、僕もダンサーや振付家が沢山いるような場で同じワークを提供しています。でも、そういった方々でも非常にエゴが強い場もいくつも見てきています。今回の参加者は、個々のモチベーションの度合いが、適度な気がします。どのくらい自分をプッシュして、どのくらいセーブしておこうか、みたいなやり取りがちょうど良い。トライしてみて、体験してみてその度合いを決めるといった姿勢があるのかな?私が今までに出会ったクラスの参加者は、ゴール設定が存在し、それを凄く狭めて『もし、ゴールに到達不可能だとしたら、最悪な事態。でも、もし到達したらスーパーマンになれる』といった姿勢を持っている人もいます。

 

K:この姿勢というのは、日本的だといえるのかな~と考える事があるんです。例えば、凄く小さな島国で資源も少なく、変化に柔軟に対応しないといけない。日本人の環境への対処の仕方を考えたときに、クリアーな四季があることも日本人の心や体のありように影響を与えてきたのかもしれないなと・・・なんだか、受け入れるとか、1つの固定された心身のありようを選ぶのではなく、どちらにでも転べる適応可能の身体みたいな・・・。

 

M:そこまで言うのなら世界にその日本人のありが方を広めて欲しいくらいですよ!だって私の国イスラエルは、日本よりももっと小さい国だけれど、−−もしかしたら、イスラエルにいえることではなく中東全般に言えることかも知れませんが−−、『何が大切で良いかを理解しているのは、自分自身であり、それを貫き通す!』といた姿勢があります。調整力がより低いし、その反応能力(responce-ability)も少ないと思います。単なる力と力のぶつかり合いを出来る限り続けて、『私は調整しない、この道を行く!』といった生き方を選択しています。その力と力の抵抗がちょうど良く、度合いが調節しあえたら、一緒に暮らせて皆幸せになるのですが。でも、ほとんどのケースは力同士でぶつかってしまいます。少なくとも、今の状況に対して私が感じていることです。でも、ここへきて指導してみて、こういったぶつかり合いのかかわり方をする人に誰一人あっていない気がします。

 

K:これが京都だからなのか、日本だからなのか・・・、私も日本人として分かりません。どうなのだろう?

 

M:私も日本とのかかわりがまだまだ少ないから分かりません。決して、イスラエルにはこういった人が皆無だということでもないのですが、何か、控えめで目立ちたがらない感じ。謙虚さというか。そういったものを感じました。

 

K:それは、何か日本とイスラエルの文化の中で、異なった教育方法とか、人との関わりに方に違いがあるのでしょうか。私の個人的な興味からですが、身体教育の仕方の違いがあるのではないかと。日本では、例えば、書道や合氣道などといったものがあります。イスラエルの文化には、国に根付いている身体教育のようなものは、あるのでしょうか?

 

M:なるほど。ちょっと考えさせてください。

 

K:例えば、一般の方が普段お稽古みたいに行うものなどありますか?

 

M:GAGA(イスラエルのバットシェバ舞踊団の芸術監督、オハッド・ナハリンがつくったメソッド)は、皆好んでやっています。クラブマガ(20世紀前半、イスラエルで考案された近接格闘術。現在、一般市民向けには、武道の一環として護身術に重点を置く形で取り入れられている。)いや、あれは、違うな。どちらかというとイスラエルのバイオレントな部分が出ているもので、子供の頃からイスラエルの教育システムに組み込まれているものではありません。最近では、ヨガを子供達の教育の現場で試しているという動きはありますが、これも国に根付いて昔から行っているものではありません。う~ん。もしかしたら、無いのかもしれない。あるとすれば、お祈り?でも、全ての国民が行うわけではないし、その教育の仕方は、各家庭によって異なるような気がします。

撮影:庵雅美
撮影:庵雅美

Q6:これは、私も日々考えていることなのですが、ダンスを上達させるためには、ダンスの練習だけでは不十分な気がするのです。何か、パフォーマンスとクリエーションの架け橋になるようなソマティック教育の重要性を日々考えています。そこで、今回このフェスティバルで、マタンさんはダンサーのためのボディーコンディショニングのクラスを担当されていて、しかもイスラエルやNYでもダンサーや振付家の方々にも個人セッションを提供されていますよね。こういった状況の中で、何故ボディーコンディショニングのクラスがダンサーに必要だと思われますか? また、表現力やクリエーションの力を身につけるには、ボディーコンディショニングのクラスがダンス技術向上のためにどんな役割を果たしていると思われますか?

 

M:ヨガをダンサーたちに教え始めて初期の頃に気がついたのは、多くのダンス指導者がクラスの中で、知覚について体を動かす際の緊張度について触れないという事実でした。また、いかに体をケアするかということやコンディションを整えること。コンディションといっても1つの動きに対してそれがなされるための方法ではなく、永久に継続的に身体に有機的に関わるための思考回路とでもいいましょうか。ギターを弾くことに置き換えることも出来ます。実際の演奏の前にチューニングをして、そして引いている際にもチューニングをしながら演奏をし続ける必要がある。この例を体に置き換えて考えられると思います。こういった稽古について十分に触れられていないように思われます。別にこれは、動きに関わる分野の方々に限ったことではありません。学校でもそうだと思います。こういったことに触れている教育者にかつて出会った事がありません。 ですから、今日インタビューでこういったことについてお話できたことはラッキーなことだと思います。社会では、perfectionの原理が主になっています。何が美しいか。きれいな肌、スリムなウェストライン、筋肉のついた身体、きれいなネイルのデザインなど。これらはみんなファッションです。ファッションとは変化するものです。もしその変化に賛同できなければ、折り合いのつけ方を理解していないとすると、本当に行き詰っています。 そういった状況に行き詰らないためにも、いかに変化に調整してゆくかを学んでいかく必要がでてくるのです。それを常に日常の中でも稽古をする事が重要だと思います。このフェスティバルの主旨を私が正しく理解しているとするならば、ダンスやクリエーションをする作業の中で、こういった基礎の原理や道具がいると思います。

 

K:そういった面で、ダンスの練習やクリエーションの現場では、ただ単に肉体的な要素に目を向けるだけでなく、世の中でも通用する精神的な局面にも触れる機会が必要不可欠であるというわけですね。

 

M:そうでなければならないと思います。現在そうであろうが無かろうが、そうなっているはずなのです。ただ、身体とよりよくコミュニケーションを取ればー身体とハート、精神と肉体どんな風な呼び名で呼ばれようともーそういった場所が見つかれば踊ったり、動いたり、パフォーマンスをする現場で、怪我をすることや痛みが減少します。

 

K:私もその通りだと思います。

撮影:庵雅美
撮影:庵雅美

M:痛みや怪我を負ったとしても、その回復のスピードが増します。身体がバネのようになるのです。ここから別の場所へ飛び、また元の位置に戻り、好きなときに、好きな分だけ他の場所へと旅たつ事が出来、しかも自分自身という元の場所へいつでも戻ってくる事が可能です。

 

K:ダンスのスタイルによっては、生徒が動きの形や指導者の真似をすることに必死になっていることもあるように、思えますが。指導の傾向は、ダンスのスタイルによるのでしょうか?

 

M:それは、先ほども述べたようにダンスのスタイルで決まるというよりも、各先生の指導の仕方次第だと思います。少なくとも、私が見ている限りでは、スタイルには関係は、無いと思います。

 

Q7:いろいろな勉強を今までにされてきたとおっしゃっていましたので、マタンさんのヨガのクラスの要素について少し、お話をききたいと思います。9回のクラスを通して、マタンさんのヨガクラスには、フェルデンクライス・メソッド(モシェ・フェルデンクライス氏によって体系化されたメソッド。動き方を観察する事で行動と思考のパターンに気付く身体訓練法)の“動きのレッスン”の要素や言葉がけが多く取り入れられたように感じましたが、単にヨガのレッスンを提供することからフェルデンクライスの要素を取り入れることになった”きっかけ”や”意図”を教えてください。

 

M:先ず、自分自身のヨガは、いろいろなものを吸収して、それを自分なりに練り直して構成したものです。そして、変化を加えてどうすれば、自分が達成していることをより楽しく実行できるかに趣を置いています。 特別フェルデンクライスについて言えば、ヨガの練習というのは、1つのポーズをとるのに凄く力が入ってしまいがちになると気付きました。ポーズは、かなりきついものになりがちです。ヨガのポーズの中にある、逆方向に伸ばしあうという作業もかなりの緊張度の中行われる傾向にあります。しかし、フェルデンクライスの“Awareness Through Movement”(動きを通して気付くレッスン)を取り入れることによって、そのポーズに関わる際に、そのテンションを低くする事が可能です。神経系を落ち着かせ、感じる力を高める作用がヨガの強度の緊張から身体を解き放ってくれるのです。体の中に感じるスペースを少し作ってくれる感じ。ですから、意思をもってヨガの強度の高いポーズや、パフォーマンスを舞台上で行うといった緊張度の高い状況において、どのように自分自身の中にもどってこられるか、自分自身を発見しなおす場に戻ってこられるかといった稽古が重要です。 実行したい事の意図を高く保持した状態で、高い緊張感にも対応できるソフトな心身の状態を目指すためにとりいれます。

撮影:庵雅美
撮影:庵雅美

Q8:では、全く違う質問をひとつ。ヨガの指導者になっていなかったとしたらどんなことをしていたと思われますか?

 

M:写真撮影でしょうか。ただ単に写真をとるという作業でなく、展覧会を実施したいと思います。他のメディアとのコラボレーションを写真撮影を通しても行いたいです。ヨガを今教えていないとしたら、その方向へもっと深く関わっていくと思います。

 

K:もしかしたら、来年度は、ヨガと写真・メディアといった分野を合わせたワークショップなどあると面白いと思います!いかがでしょうか!

 

M:それ、面白いかもしれないですね!実際写真撮影をしているときは、ヨガを稽古しているような気分になるんです。レンズを覗くという行為が外の環境と自分のうちの感覚と関わるといった境地によく似ているんです。この探索について異なった局面でフェスティバルに戻ってこられるとしたらそれも面白いでしょうね。世の中は、写真術やイメージといったものにどんどん移り変わっていっている気がします。YouTubeとか。世の中が大きなスーパーマーケットのようなものです。いつも沢山の情報と体が交わる状況にいると思うんです。

 

K:現在は、情報過多ってことですか?

 

M:そうは、感じません。以前よりもただ単に情報の現れ方が、強烈なだけだと思います。

 

Q9:最後の質問です。この語を聞いて思いつくものを思いつくまま答えてください。

 

K:あなたにとって身体とは?

 

M:管(pipe)です。

 

K:感じることとは?

 

M:探索すること(exploration)。

 

K:知覚することとは?

 

M:喜び(happiness)です。

 

K:お話しできてとても楽しかったです。

 

M:私も楽しかったです。

撮影:庵雅美
撮影:庵雅美

(2011年5月3日@京都芸術センター)

小林三悠(こばやし・みゆ) 2002年アメリカ留学中にBODY WEATHER LABORATORY(身体気象研究所)に出会う。その後、フェルデンクライス・メソッドに出会い、環境と身体の関係に興味を持つ。現在は、『身体とコミュニケーション』をテーマにしたフェルデンクライス・カフェ京都を主催。ダンサー、演奏家、スポーツ選手、リハビリに関わる方、知的障がいや学習障がいを持つ方々と動きや身体表現のワークショップを企画。動きをきっかけによりよいコミュニケーションについて考える日々。

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