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【暑い夏11】自意識から自由になること

2011年06月13日

F 森裕子 コンテンポラリー・ダンスって何?どんなことするの?そんな疑問に応える、毎年大好評の通称「サラダ・ボール・プログラム」。ダンスに興味ある方へのイントロダクション・クラスです。世界で活躍する講師による様々なスタイル、考え方のダンスに触れることができます。
plof_alineYUKO MORI 森裕子 (日本/京都) ダンサー・振付家。’93~’98年までMATOMA France-Japonに参加しアヴィニョン演劇祭など数多くの国際的舞台に立つ。現在はMonochrome Circus のメンバーとして国内・国外へのツアーに参加。各地でコンタクト・インプロヴィゼーションや「身体への気づき」のワークシッョプを多数行う。踊ることの根源的な「楽しさ」を伝えたいと願っている。

 「感じる」ということ。今回覗かせていただいたほとんどのクラスに共通するテーマだったように思う。しかし、実際にクラスに参加し、初めて「感じる」ことの難しさを感じた。「感じる」ためには、「自意識から自由になること」が前提だったのだ。  これまでの私のダンス経験と言えば、高校時代にちょっとヒップホップをかじったのみ。振付を覚えるのも苦手で、全然形になっていなかった。一方で、クラスをいくつか見ていると、振付というよりも自分の本能に従って動いている感じ。「なんだか気持ちよさそう。これならもしかして、私にもできるかも・・・?」なんて甘い考えで参加した。  しかし、初心者同然の私は、なかなか緊張や動くことへの戸惑いを拭い去ることができなかった。アフタートークである参加者の方は、「イメージがないと、自意識も捨てられず、感じて動くことは難しい」と言っていた。この言葉を聞き、「ああ、私は最後まで自意識を捨てることができなかったんだ」と気がついた。 beginner_yuko mori_0429_ihori_01

撮影:庵雅美

 ワークショップ中、私たちはカメラやガイコツ、絵具、風をイメージして動いた。人によって、自意識を捨てられた瞬間は違うのだろう。ある人は、風をイメージすることで自由に動けるようになり、ある人はそれが難しいと感じたり。私の場合はと言うと、絵具になった瞬間が自意識から解放され、自由になれた時だった。人の描いた絵に自分の絵具を重ねたり、人に絵具を塗りつけたりすることをイメージすることで、自由に自分の好きなように動け、初めて人と関わって通じあえたような感覚や嬉しさがこみあげてきた。個人的な感想だが、「イメージがあること」というのは、私のような初心者にとっては、「動くため、表現するための言い訳」になるように感じた。  しかし、絵具が終わった後、私は自意識をまた取り戻してしまった。デュエットで、人前で発表しなくてはならないと聞いた瞬間、また体がどんどん硬直していくのを感じた。ペアになり、どちらかが考えた振付を覚え、同時に三組が残りの人達の前で発表するというものなのだが、私はとにかく人前で恥をかきたくないと、ペアの人が考えてくれた振付を必死に覚えようとした。  そして発表。なんとか順番通りには踊れたけれど、体がふわふわした感じだった。そして森先生から、「相手が何を伝えようとしてるのか」を知り、もう一度発表するように指示がでた。私はこの時、その言葉の意味がよくわからなかった。とにかくもう少し振付を明確に覚えることに必死だった。数をこなして覚えるしかないと思い、限られた時間でできるだけ練習した。その時に交わした言葉と言えば、「この時にもう少しお腹を伸ばして・・・」というようなもので、前回の練習とさほど変わらなかった。

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撮影:庵雅美

 そして二回目の発表。さっきよりも緊張して、間違えたらいけない!と思いすぎたのか、おもいっきり振付を間違えてしまった。どう考えても私たちの息はあっていない。終わった後、先生から「何を伝え合った?」と聞かれ、「緊張して・・・」としか答えられなかった。  そして他のペアの発表。何を伝え合ったかを説明しているのを聞き、「伝え合う」の意味に気がついた。あるペアは、「合わせるんじゃなくて、自由に踊ろうと決めた」というようなことを言っていたと思う。あるペアは、動きが完全にそろっているというわけではないけれど、息がぴったりだと褒められていた。私は完全に振付を覚えることに必死で、相手とどんな風に踊ろうと相談したり、息を合わせようと相手に歩み寄ることができなかった。コミュニケーションのかけらもなかった。

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撮影:庵雅美

 私は人見知りしがちで、よく人の顔色を伺う。相手に嫌な思いをさせたくない、悪い印象を与えたくないとばかり考えている。そのため、どんどん人とコミュニケーションすることが怖くなっていた。それがまさにダンスに反映していた。人の目を気にして自意識を捨てられないことや、恥をかきたくないと自分の事で必死で、人とのコミュニケーションを忘れてしまったり。ダンスで自分の内面がここまで現れるなんて考えもしなかった。正直、振付を間違えたのはおもいっきり恥ずかしかったし、今すぐここから消え去りたいとまで感じた。自分の欠点をつきつけられたような気がしてくやしかった。欠点を直したいと思った。  だからこそ逆に、ダンスには欠点を直す力があるのではないかと思い、最終日の打ち上げで、森先生にこの気持ちを打ち明けた。すると、それを欠点と捉えるのではなく、どんな風につきあっていくかだ、と言われた。私はいつも自意識から自由になれず、いつもなんだか苦しい。いきなり自意識を捨てることは無理でも、自由になれる瞬間をちょっとずつ増やす自分なりの方法を探ることはできると思う。自由になって、ダンスだけでなく、日常生活でも、できなかったことをできるようにしていきたい。  以上の事を気付かせてくれたダンスや言葉、人に感謝したいです。ありがとうございました。

(参加日:4月29日)

伊藤麻未(いとう・あさみ)
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