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【暑い夏15】 E「もつれる、考」

2015年07月9日

 簡単な手の動きのパターンと足の動きのパターンとが組み合わさること。それは、頭では何となく理解出来ていて「分かる」と確信出来ているはずなのに、身体を実際動かしてみると、とたんに出来なくなる。いや、出来なくなる、という言葉よりも、「もつれる」という言葉の方がしっくりくるような気がする。
 
 「もつれる」といえば、私は最近、初めてラジオ体操を目にするこども達にラジオ体操を教えている。手は振り上げ元の位置にもどす。足は手を振り上げたと同時に曲げる。ラジオ体操をこどもの頃から何度もやっている自分の身体としては簡単な動きなのだが、初めてこの一連の動きに出会うこども達にとっては、動くタイミングがずれると上手く手も足も曲がらない、元の位置にも戻らない。二つの動きがもつれあい出来なくなる。そこで出来ない事に対しての私の関わりは、やり方を言葉で教えることは出来なくて、本人が動きに慣れるまで隣に並び一緒にやるということになる。身体が動きに慣れるまでは、ぎこちなくちぐはぐな動きである。しかし一度流れに乗るととたんに出来るようになる。習得するという事なのかもしれない。

撮影:すやまあつし
撮影:すやまあつし

 
 さて、その「もつれる」ということへの自分自身の経験をチョンさんのワークの中での体験から考えてみる。
 ワークショップの中でカウントにあわせて身体を動かすワークがあった。カウントの数に合わせて、前に進む、左右に移動する、身体を回転させる、といった決められた動きのステップを踏み身体を移動させる。ステップを踏む事は、なんとか出来る。そこに決められたカウントの時だけ両手を肩の高さまで広げるという動きが加わる。すると、手を広げる動きどころか出来ていたステップさえもつれてしまい頭の中も一瞬フリーズし、もつれる。もつれると一旦呼吸をし、落ち着いて動きの確認をする。どこで手を広げるか、足をどのように動ごかすか、それは頭では「分かる」。やってみる、しかしもつれる。そういった、頭で理解していることとそれを身体が理解するまでには、実際に身体を動かすことを何度も繰り返して、出来るまでに私は少し時間がかかる。しかし一度出来ると、何度でも「出来る」のだ。
 コツをつかむというのだろうか、身体が理解したということなのだろうか、今まで出来ていなかった時には、手をあげるときのカウントを「2 ! 3 ! 5 ! 7 ! 8 !」と頭で唱えていたことや、必死でステップの動きを確認していたことが、すっと身体に落ち着き、頭の中も少し余裕ができる。アフタートークでチョンさんが「重力を感じ、ドライブする」と言っていて確かにこのもつれた身体や頭の状態を経ていると、動きが身体に馴染んで出来るという状態になったことはまさしく「ドライブ」出来るようになったように思えた。

 「ドライブ」することをもっと繊細に捉えていくと、呼吸をすることや重力を意識することに行き着く。例えば、呼吸をする。息を吐くことで身体が緩む箇所、息を吸うことで身体に力が入る箇所や曲がりやすい箇所が出てくる。空気が入っている状態と入っていない状態では身体に変化が生まれる。この変化が手を広げる、足を曲げるといった大きな身体の動きと関わっている。そのことが身体に動きが上手く乗れたり乗れなかったりする事の要因になる。また、身体の構造や重力、また動く時の心理的状態まで「ドライブ」する時の身体に関わってくる。ラジオ体操の動きがちぐはぐになるこどもとステップが上手く出来なかった私は、同じように、頭で理解出来ていても「ドライブ」できるまで身体が動きに慣れていなかった。そして、その状態が私たちにとって「もつれる」ということになったのだ。

1_JUNG YOUNG-DOOチョン・ヨンドゥ(韓国/ソウル)JUNG YOUNG-DOO        西洋的で高度なダンスメソッドと明確なコンセプ トを併せ持つと同時に、東洋的に抑制された繊細 な動きが彼の才能を裏付けている。Doo Dance Theater 主宰。韓国新進気鋭の振付家であり、韓国 を拠点に世界各地で活躍する。韓国でも多くの賞 に輝く他、「横浜ダンスコレクション・ソロ&デュオ コンペティション」にて、「横浜文化財団大賞」「駐日 フランス大使館特別賞」を受賞、フランス国立トゥ ルーズ振付センターにて研修する。’ 14 年は JCDN 国際ダンス・イン・レジデンス・エクスチェンジ・ プロジェクトにて福岡に滞在。現在、立教大学 現代 心理学部映像身体学科特任准教授。http://cp.rikkyo.ac.jp/support/prof/jung.html(KIDFホームページより)

2015prf_nakagawa中川佐和子(なかがわ・さわこ)1990年生。手にしたものをすぐ口に運ぶ幼少時代を経て、本番に自分がいなくても成り立つことを理由に絵画を描きはじる。ダンスは「なんとなくできそう」とCIMJのチラシを見て参加しはじめた。最近は、集団や教育することと個人の身体との関係が気になる。

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