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【暑い夏13】E 感じ合うコミュニティ〜動きとは身体の中で起こる流れである〜
2013年06月7日
E ビギナークラス 4/27(土)-5/5(日) 18:30-20:30 全9 回 コンテンポラリー・ダンスの多様性をまさにコンセプト的にも地理的にも満喫できる、イントロダクション・クラス。世界の第一線で活躍する講師による様々なスタイル、考え方のダンスに触れることができます。ダンスには興味があるけど敷居が高かった方、身体全般に興味ある方、アカデミックな関心のある方、世界のダンスに肌で触れたい方、ただただ動きたい方、それぞれの切り口で飛び込んでください。(KIDFホームページより)
はじめに
今回のワークの中でどの先生方にも共通する学びがあった。それは、「動く」ことが「流れる」という感覚に近いということだ。この感覚は、自分で「動かそう」とする動きには緊張があり、本来の身体の動きではないと気づくきっかけにもなった。例えばマタンは、動くことについて次のように喩えていた。「バスタブの水の中にタオルをつけるとする。そのタオルの先を指で摘まんで、水の中から引き上げる。その時、タオル自体は、力も何も入らずに、ただ引き上げられる方向に向かって、一つ一つの動きがまるで、タオルの中を流れているように伝わるでしょう。彼の言うとおり、どのように動きが伝わっていくか意識してみると、普段「身体」として認識していたものが、実は全て連結済みの車両のように繋がっていて、ある一つの動きをする為にもあらゆる部分が作動し、リンクし合って、動きから形へと成り立っていくのが感じられた。
このワークを受けて、私は自身の日常生活における意識についても考えるようになった。生きている中で、私は、当たり前のように「身体」を支配していると感じていた。例えば、歩く行為や、歯を磨く行為は「出来て当然」だと思っており、身体に不調が出ると「どうしてこんな時に」と責めてしまう。また、テニスをやっていた頃は、敏捷性に欠ける自身の身体に対し、無理を重ねていたように思う。ビギナークラスは、日常において、何気なく動かしている「身体」について改めて、深く掘り下げて考える機会になった。ワークを通して今の自分の身体の状態を知ること、その状態を受け止め、向き合うことの大切さを学んだ。同時に自身の「身体」へご褒美をあげたくなるような感謝の念に駆られた。
そこで学んだことを、一日ずつ振り返ってみたい。
1、他者と溶け合う感覚 (4月27日 講師:森裕子・坂本公成)
初回は、参加者全員が輪になり、互いの足をマッサージするところから始まった。初対面だらけの空間ではあったがマッサージが始まると、そこには1つの繋がりがあるように思えた。自然と心に温かさを増し、もう何年も共に過ごす集まりのように周りには笑顔がこぼれていた。この魔法のようなダンスの力にただただ包み込まれるワークであった。
2、自身の身体に耳を傾ける(4月28日 講師:フランチェスコ・スカベッタ) フランチェスコの身体の動きやワーク中の言葉は、とても美しい。その姿は、フランチェスコ自身が耳を傾け、常に、身体と対話をしているように映る。その振り付けはどうにも覚えられないが、彼は「身体の動きを感じながら、行こうとするところに動くだけだ」と述べる。やっとの思いで1フレーズだけ身体が覚える。そのフレーズを踊ると、身体が「気持ちいい」とお目覚めのように発声している感覚が湧きおこる。まさに芸術である。
3、今ここに存在することを改めて感じなおす(4月29日 講師:マタン・エシュカー) マタンのワークの間、常に意識するよう促されていたことがある。それは「呼吸」だ。普段は、「呼吸をしよう」なんて思いながら私は息をしていない。でも、今ここに私が居るということは、きっと私の意識とは別に身体が「呼吸」してくれていた証であろう。 そんな有難い「呼吸」を見直すことで、改めて気づいたことがある。呼吸のエネルギーが伝わる過程で、筋肉の緊張と緩和があり、身体は動けるということ。その目に見えないエネルギーを感じるということの大切さ。彼のクラスを受け終わった後、「私はここにいるのだ」と改めて、自身の存在を感じた。
4、最小限のエネルギーのみ使うことで広がるもの(4月30日 講師:アビゲイル・イェーガー)
アビーが身体の動きについて説明する時、その眼差しは真っすぐだ。私も含め、多くの参加者を魅了したことであろう。
彼女のワークで印象的だったのが、握りこぶしだ。こぶしに力を入れた状態だと、手首を回そうと思ってもぎこちない。しかし、身体をリラックスさせて回すと、可動域はぐんと伸びる。このことを彼女は、身体全体の関節のしくみの説明へと繋げていた。自分でどうにかしようと力んでしまうと動きは緊張のせいで固くなってしまう、と。ならば、人間でいう「成長」は、力を入れる量に比例せずブラブラと完全に脱力しない程度の必要最小限のエネルギーのみを用いて「あるがままの状態」であることに関係するのではなないだろうか。その「あるがままの状態」に近づける為、身体の流れを掘り下げて感じることで、滞りを取り除くことが大切であるのだ。
5、考えすぎず、感じるままに(5月1日 講師:エリック・ラムルー)
この日はそれまでのワークとの関連性も見つけられないまま、ただひたすらに、彼の指示通りに踊り続けた。30分ほどしてふと脳裏を過ぎったのは、学生の頃のマラソン大会だ。陸上競技の訓練をしていない私にとって、ゴール間近に来た瞬間は、目の前のゴールと、今走っている自分の他には何も存在しない「必死」な世界であった。しかしこの日呼び覚まされた「必死」は、「苦」ではなかった。身体は限界を感じていて、翌日は膝にはあざがあり、足の甲の皮はめくれていたというのに、何故だろう。
それは、思考が制御されたからではないかと後々思いついた。人は生きる中で思考を余儀なくされる。現代においてはなおさら、効率を求められコンピューターがどんどん進化し、人間はだんだん「感じる」ということを制限している。けれども動物である人にとって、考える前に感じることが大切なのではないか。私は、自分が今、何を感じて、何を欲しいと思っているのか、よく見失う。その感情の喪失の連続によって、人前で話すことが苦手になり、緊張するようにもなった。そんな私が、彼のワーク後のアフタトークではペラペラ話していた。彼のワークは一見、シンプルなように見えたが、その中には彼からのプレゼントが詰まっていたのだ。
6、子どものような喜び、好奇心を持って(5月2日 講師:エマニュエル・ユイン)
ここからコンタクトのワークに突入した。これまで、自身の身体を感じることをやってきた私にとって、他者と関わるワークは不安を感じるものであった。しかし、ここで彼女はワークの課題をゲームであると告げた。相手の動きを真似する真似っこゲームであるそうだ。
ワークが進む中で、自分の中でも心情に変化があった。他者に対して、いつからか感じてしまうようになった恐怖心が少しずつ消えて途中からは、目の前の「人」について考えず、その身体の動きにばかり集中していた。そして、ペアの相手だけでなく、もっと視野を広げてフロアを見た瞬間、そこに広がったのは、未知なる動きをする集団であった。ここで「他者」に対する認識が少し変わった気がする。
しかし、まだまだコンタクトの動きにはぎこちなさを感じる。コンタクトの面白さは、お互いが交渉し、提案を重ねる中で、発見することだとアフタートークでもお話があった。その発見する場をもっと経験したいと素直に思った。この「コンタクト」が私の中の滞りを溶かしてくれるツールになるかも知れないと感じたワークだった。
7、オーガニックな動きを持って、他者の言語を学ぼう(5月3日 講師:森井淳)
ぢょんさんこと森井淳さんのワークでは、これまで習った要素があちらこちらに見受けられた。
まず、自身の身体を最小限のエネルギーを使って動かし、最大限のものへと繋げるというオーガニックな動き。「ECOな動きが好き」と言うぢょんさんの振付の中では、常に風を感じた。自分の身体がエネルギーによって動かされているのか途中分からなくなるくらいに、動きの中に自分がいる感覚だ。時にはそれが、風の勢いだったり、床へと進む重力であったりと、彼のワークでは、常に「何か」に動かされていた。 そして、そのオーガニックな動きで、他者と関わる。振り付けが予め用意されていたのだが、驚くことは、一人として同じ動きの人が居なかったことだ。それぞれが、伸ばし方だったり、進む距離だったり、そういったコンテンツが違ったものになっていた。そして、3つの違う振り付けの3人が横に並び、同時進行でそれぞれの振り付けを行った瞬間は、動きの違いというものが、膨らみを増したように感じた。そして、その動き自体が、その人の言語であり、「その人」であるということも学んだ。
このワークを通じて「違い」の捉え方の視野が広がった。私は、人と接する時に、「自分はどう思われるかな」と気にしてしまう。しかし、今回「違い」があるが故の広がりを知って、目の前の人を、その言語を知ろうとしてみようかと感じたのである。
8、身体も心もオープンに、今の自分から始めよう(5月4日、5日 講師:ノアム・カルメリ) ノアムは、ワークの中で、常に身体が「快適」と感じることを大切にしていたように思う。彼の姿勢を通して私も、「快適」な状態でこそ自分の存在を肯定しながら、他者と関わりあえるのだと学んだ。
実際、彼は常に落ち着いていて、その波長は周囲にも作用しているように感じられた。人を選ばない無償の愛のような彼の波長は、私の心にも作用した。彼に話しかけると、その落ち着いた表情で、じっと向き合ってくれた。その瞳の温かさは、彼の言葉が、ただ口という身体の一部からではなく、身体全体から湧きおこっていることを物語っているようだ。アフタートークの言葉も、まるでセラピーのように私の心を優しく包んでくれた。「人は、誰もが恐怖やトラウマをもっているが、大切なのは今ここにいることを受け入れることである」そして恐怖に対しては、「少し距離をとって、決して力まず、観察する」そうだ。すると、太陽の光のように、ある瞬間に、「気づき」がやってくる。これらの言葉の一つ一つに、私は救われた気がした。「今の等身大の自分で、自分のペースでいいのだ」と勇気を与えて貰えたと思う。
○ジャム・セッション ビギナークラスのみ受講の初心者である私にとって、経験者の方々とコンタクトの出来るジャムは、刺激的な時間であった。そこで私は、洗濯竿の上に干された布団のように 、我が身を預けるという行為に専念をしていた訳だが、そんな無防備で力の向けた「私」という存在を、周りの皆さんがあらゆる形に持って行って下さった。今まで体験したことのない、その身体の感覚に、私はただただ驚いていた。初めて、ジャムの中で宙に浮いた時は、思わず「あー」と叫んでしまうほど、興奮していた。それは幼少期に父親に高い高いをして貰った時の感覚に似ている。
様々な動きを体感する中で、強く感じたことは、コミュニケーションについてだ。私が就職活動を行っていた頃は、コミュニケーションが1つのスキルであるかのようにうたわれ、力をつける爲の研修が開催されていて、関連する本も多数あった。研修や書籍といっても様々な内容のものがあるが、当時私が目にしたものは、面接や説明会といったある場面を切り取って「こういった場面では、こういった言葉や行為が好感を生む」といったものだ。一方で大学の精神分析の教授は次のように語る。「現代人は、何でもスキルとみなしがちだ。もとより、動物というものは、感じ合って共存していた。人間の能力の中で失われつつあるものがある。それは今、自分が何を感じたのか、という素のままの感情である」 今回のジャムで感じたのは、後者であり、前者が通用しない空間でもあった。何故なら、自分がある動きを行っていても、セッションが始まる相手によって、その切り口が何通りにもなり、同じモノが1つもなかったからだ。この空間では、「この場では、これだ」という固定された答えが存在せず、今ある現状をどう感じるか、その現状に対して身体はどう反応しているかを聴きとることを余儀なくされた。そして、ある人の身体が辿る動きには答えもなく間違いもない。ジャムの空間では、どんな動きも認めて貰えた。勿論、初めてジャムを経験する立場としては、経験者とセッションすることに緊張も感じていて、動きのレパートリーの狭さも痛感していた。しかし、そんな私ともセッションをしてくれる人達を通して、もっと自身の身体の可動域を広げたい、色んな方と今までにしたことのない身体の動きを共有したいと前向きに現状を捉えられていた。セッションの中盤では、失敗が楽しく感じられ、ドーンと床に落ちてしまっても、「恥ずかしい」という感情よりも「今度こそ!」「今の感覚、楽しかったなー」と、物干し竿な自分とは一転、身体は動き始めた。 人間におけるコミュニケーションの在り方にも結び付けられるジャムは、その時に起こった動きの再現が難しい。ジャムを行う相手と、その時のタイミングによって、動き方が全く変わる。それは、人間関係と同じように、1つとして同じ関係性は生じない。その中で、生まれた動きは、一期一会の出会いであり、「奇跡」のようなものであり、ジャムをしてくれた方との良き思い出として残っていった。セッションして下さった皆さん、有難うございます!
○ワークを終えて
今回、ビギナークラスを受講して、身体の動きだけでなく、心の癒しや解放といった深い部分まで学び考えることが出来ました。生きてゆく中で、今何を感じているかに耳を傾けることが大切で、感じることをどう表現するかは、必ずしも言語だけではないのだと感じました。裕子さんは「言語よりも先に、身体は動く」とおっしゃっていて、土に埋もれつつあった感情に気付き、自分と向き合うきっかけにもなりました。
また、コンタクトやジャム・セッションを通して、コミュニケーションについても考えることが出来ました。最近では、コミュニティについては、全国各地で活動がされています。それぞれの個性を活かしながら関わりあえる関係性、そんな素敵な繋がりについてのヒントが今回のイベントで出会った空間や人々、講師の方々のお言葉にあり、大変刺激的でした。 言語と動作、思考と感性の関係性は、それはそれでまた、面白いものになりそうですが、ひとまず、考えすぎることなく、最小限のエネルギー で、感じることに耳を傾ける等身大の自分で、心をオープンにする意識を持ちたいと思います。
井出圭名子(いで・かなこ) ビギナークラスで知り合った井出さん。文章を書くことがお好きだとうかがい体験レポートを書いてみないか訊ねたら、快くOKしてくれました。「このワークショップに行くことで、何か新しい出逢いや発見があるのではないか」と参加を決められたそうです。その成果はレポートに。(編集部より)
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