document/a(c)tion point of view

【暑い夏13】 「ダンスが苦手だと思うのはどうしてだろう?」

2013年05月27日

撮影:森下 瑶
撮影:森下 瑶

E  ビギナークラス 5/3(祝金) コンテンポラリー・ダンスの多様性をまさにコンセプト的にも地理的にも満喫できる、イントロダクション・クラス。世界の第一線で活躍する講師による様々なスタイル、考え方のダンスに触れることができます。ダンスには興味があるけど敷居が高かった方、身体全般に興味ある方、アカデミックな関心のある方、世界のダンスに肌で触れたい方、ただただ動きたい方、それぞれの切り口で飛び込んでください。


prof_jun森井 淳 (日本/大阪)JUN MORII ラバン・センターにてコンテンポラリーダンスを学び、ヨーロッパ各国にて公演&ワークショップを行う。帰国後、演出・振付の相原マユコらと共にj.a.m.DanceTheatreを結成。国内外で様々な公演&ワークショップを行う。またMonochromeCircusやじゅんじゅん scienceなど様々な振付家・ダンサーと活動する傍ら関西を中心にコンテンポラリーダンスクラスやワークショップの指導・振付にも積極的に取り組む。近畿大学文芸学部非常勤講師。(KIDFホームページより)

 小学生のころから、音楽と算数は苦手な科目でした。音楽では教科書の譜面にひたすら“ド・レ・ミ”と読みがな(?)をふっていましたし、算数では1+1がなぜ2なのか、最後まで謎に思えて先生に呆れ顔をされていたりしました。また、今でいうところのオンラインゲーム(当時はテレビゲームやファミコン)のシューティングゲームなどにも苦手意識が強かったのを覚えています(だって、はじめてすぐにゲームオーバーになってしまうんですよ。何も楽しいと感じませんでしたし、怖いとさえ思うようにもなりました)。自分が苦手な3つに共通するものは①日ごろ使ったことのない記号や言語②自分の知らない構造や成り立ちを持つもの③自分の反応が追いつかないスピードで進んでいくもの(自分で考える余地のないもの)といったところでしょうか。ダンスのワークショップレポートの書き出しとしては、少し違和感のある滑り出しですが、今回は「どうしてダンスが苦手だと感じるのか」ということについて考えてみたいと考え、このように書き出してみました。
 今回体験したのは、ビギナークラスの7日目。J.a.m.DanceTheatreの森井淳さんと相原マユコさんのクラスでした。ワークはBGMを流しながらリラックスした雰囲気で進んでいきましたし、マユコさんのわかりやすい補足も入って、親しみやすいクラスでした。フロアを自由に歩くことからスタートして、前に倒れこむようなオフバランスでの動き方、手や足をどうフロアと関係づけながら動くのか、といったことを体験していく流れ。でも、やがて私は“いつもの苦手パターン”に遭遇するのでした。
 森井さんは今回のクラスでチャレンジをしていました。それは、ビギナーの参加者に「振り付けを体験してもらう」というものでした。8カウントで1つの動きが完結する動きを3つ、先ずはそれぞれ一人で出来るように練習します。それが出来たら3人1組になって3つの動きを合わせていく。今回体験させていただいた振り付けは、1,2,3,4・・・と8カウントする中で、3人が同時に動き始めて関係を持ちつつ、最後は動きをスタートした位置にピタリと戻るという緻密に計算された動きで、相互関係の循環を感じさせるとても興味深い短編です。こうして文字にするとあっさりと書けてしまうのですが、実際の私は文字で表現することと反してまったく動きが覚えられませんでした。1つの動きを再現しようと全力を尽くしても、次の動きに移ると頭が真っ白に・・・。何回かやれば出来るはずだと思うのですが、事態は一向に変わらず。ぎこちなく言われるままに何とか動いて、でも次がわからず固まってしまう、このくり返しでした。あまりの出来の悪さに、一時はリタイヤしてフロアの隅っこに座り込んでしまったくらいです。でも、しばらくじっと座って、動きが出来ている人を観察してみたのですが、あっけないくらいにサラサラと、本当に風が流れるように自然に動いているのです。私は自分とのギャップに驚きました。『何がこの差になっているのだろう?』考えずにはいられませんでした。もちろん、才能の差ということはありますが、それ以外にも理由があるように感じました。

 人は重い荷物を持ったり、ものすごく大きな存在を前にすると身体が緊張したり、身構えたりします。危機感を覚えるときには知覚の幅が狭くなり、必要な情報が抜けたりします。一方で、軽いものや柔らかなものを運ぶときや、赤ん坊のような存在を前にすると、自然と表情がやわらいだりしてガードが下がります。安心感を感じれば視野は広がり、ゆとりも出ます。私が振り付けに取り組んでいる状態とサラサラと動く人との間には、これくらいの差があると感じたのです。
 ワークショップでは、森井さんが最後まであきらめずに声をかけて励まして下さり、何とか最後まで参加することが出来ました。それでも最後まで出来ない自分がいることに変わりはなく、謎を抱えたまま、やや落ち込んだ気持ちでビギナークラス後のアフタートークに参加しました。トークでも、振付を覚えられないという参加者から「どうしたら覚えられるのか」という質問も出ました。私はこの間にもずっと『なぜ動けないのだろう?』と考えていました。ぼんやりと、冒頭で書いた自分にとって苦手なこと3項目がこの状況に重なるのも感じました。

撮影:森下 瑶
撮影:森下 瑶

 でも、トークも終わりに近づいたとき、思いがけず大きなヒントがやってきました。トークに参加していた森裕子さん(このフェスティバルの主催のおひとり)が「ダンスの振り付けは、ダンサーそれぞれによって異なる言語のようなもの。今日の振り付けはぢょんさん(=森井さんのニックネーム)の言葉で語るとこうなる、というイメージじゃないかな。」とコメントされたのです。私はそれを聞いて『森井さんは、ダンスを通してしゃべっているんだ!』と思いました。それは、不思議なくらいに希望を覚える感覚でした。
 幼い子どもたちは言葉を覚えるまでは意味不明な声を出したり、相手に伝わらないと泣きながら怒ったりします。でも、大人の私は理性を働かせて声を出したり怒ったりすることをせず、ただ頭の中でわからないことを膨らませていくのかも知れないと思いました。だから1つの動きを実現するのに、膨大に余分なものがつきまとって、動けなくなるのです。子どもと違うのは「話す」という行為そのものは出来るということで、“未知との遭遇状態”ではないということ(大人であることの救いはここでしょうか)。あとは新しい言葉(=ダンス)を使ってどう話すかということだけ・・・そう思えたら、気持ちが楽になったのです。そう感じたら、急に(ダンスで)話してみたくなる自分がいました(笑)。勢い、トーク後の集合写真の撮影では珍しくポーズをとり、はしゃいだ姿で写真におさまりました。新しい言葉でしゃべるということが、とても楽しいものに思えたからでした。
 大人になった私が苦手なことを克服するには、未知なものを恐れず知る楽しさを味わうということ、自分の速度であきらめずに何度も捕らえようとチャレンジすることなのだと思います。それは義務でも強迫観念でもなく、新しい言葉で広がるコミュニケーションを楽しむということがゴールにあること。話すことは楽しい。相手の話を聴いて、それを理解することはもっと楽しい。その世界の幅を広げてくれるものがダンスにあるのだと思います。ダンスというものを前にして身体をこわばらせていたのではもったいないですよね。時間はかかるかも知れませんが、いつか風のようにサラサラとダンスでおしゃべりできるようになりたいと思います。新しい言葉で話す・・・すごくステキな習慣だと思いませんか?

(2013年5月3日(金)@京都芸術センターフリースペース)

亀田恵子(かめだ・けいこ) 大阪府出身。工業デザインやビジュアルデザインの基礎を学び、愛知県内の企業に就職。2005年、日本ダンス評論賞で第1席を受賞したことをきっかけにダンス、アートに関する評論活動をスタート。2007年に京都造形芸術大学の鑑賞者研究プロジェクトに参加(現在の活動母体であるArts&Theatre→Literacyの活動理念はこのプロジェクト参加に起因)。会社員を続けながら、アートやダンスを社会とリンクしたいと模索する日々。

Translate »