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コンタクト・ゴンゾ 「下山のち爆音」(樋口ヒロユキ)

2010年11月1日

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■文化系暴力の敗北宣言

 というわけで、ついにコンタクト・ゴンゾのパフォーマンスを見てしまいました。ずっとずっと避け続けてきたのに。

 だってそうではありませんか。私は常にコム デ ギャルソンやジャン=ポール・ゴルチェの黒いスーツに身を包み、崇高美学とゴシック文化を論じる、お耽美な美術評論家なのですよ? それが常にジャージ着用、イガグリ頭で殴り合う、野蛮なパフォーマンス集団を話題にするなんて、自分の美意識の敗北を宣言するようなものじゃないですか!

 暴力的な表現が嫌いなのではありません。医療用メスの輝きや、皮膚に突き刺さるフックの黒光りは大好きなのです。赤黒い流血も大好き、傷ついた少女たちの涙も大好き、世界の認識構造そのものを破壊するかのような三島の文学も、破壊を賛美するバタイユの哲学も大好き。でも、イガグリ男子の殴り合いなんて、そんな体育会系の美学なんて絶対イヤ、絶対に絶対にイヤ! ……だったのです。

 そういうわけで、さんざんいろんな人に誘われながらも、私はひたすら誘いを固辞して、コンタクト・ゴンゾを拒否してきたのでした。だってもし見て良かったら悔しいもの。負けたみたいで。

 そうやって避け続けているうちに、ゴンゾはどんどん活躍の場を拡げ、やがていやでも視界に入ってくるようになりました(もちろんYou Tubeとかではこっそり見てたんだけれど、六本木クロッシングで彼らの作品を見たあたりで、これはもう無駄な抵抗しててもしょうがないなと観念した)。

 ……で、ついに彼らのパフォーマンス、生で見てしまいました。正直に宣言しましょう。私の負けです。コンタクト・ゴンゾ、良かったです。公演当日、私は一張羅のコム デ ギャルソンの黒いスーツを着て行きましたが、彼らのヨレヨレ、汗まみれでペンキまみれのジャージの方が、はるかにかっこ良かったです。汗でピカピカ光るイガグリ頭、渋かったです。文化系暴力、完敗でした。

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■体育会系の暴力的表現の何が面白いか

 今回ナマで見てみて思ったのですが、彼らのパフォーマンスの面白さは、かなりの部分「音」にあると思います。You Tubeやプロジェクタで見てるだけだと、あの殴り合うときの重々しい「音」が、なかなか伝わってこないのです。ビンタのパシーン! という音も結構面白いのですが、やっぱりドン! と殴ったときの音、ドラムでいえばキックの音の重低音が、彼らの最大の魅力だと思います。

 それともう一つは客席への挑発や煽りです。これはやっぱりナマで体験しないとわからない。足許に置いてあるペットボトルなんかをスパーン! と蹴って、客席に投げ入れたりするのですが、大して危険な行為というわけでもないのに、これが観ている方のアドレナリンを逆流させる。

 あと、たまにメンバーがリングアウトして、客席に雪崩れ込んだりしてくるんですが、これがまた興奮するんですよね。「こんなのプロレスの場外乱闘と変わんねーじゃねーかよ!」などと、頭では「いかにも文化系」なツッコミを入れて相対化を測ろうとするのですが、実際に現場でこれをやられると、どうしようもなくコーフンしてくる。面白いんです。

 そして存外に面白かったのが、みるみるうちに紅潮してくる彼らの皮膚、そこから噴き出す玉のような汗です。なにせ殴り合いなわけですから、赤くなるのも汗が出るのも当然なわけですが、ふつう美術館とかギャラリーで、玉の汗を流してる作家の姿なんか見ないですよね(搬入、搬出時除く)。これがやっぱり新鮮に見える。たぶんフェロモンとか匂いも関係してるんでしょうね。観てると理由もなく興奮してくる。理屈じゃない部分ですね。

 当日はプロジェクタで画像を壁面に投影しながらのパフォーマンスだったのですが、このプロジェクタにガンガン手足が当たりながらの公演だったのも面白かった。ヒップホップ系のミュージシャンやDJが、サンプラーやレコードプレイヤーをステージで扱うときの乱雑な手つき、その暴力性に似ているといえばいいでしょうか。テクノロジーを暴力的に酷使するというイメージですね。

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■ハイファイな暴力、ローファイな暴力

 今回のパフォーマンスは、オーストラリアを拠点に活動するアーティスト「ステラーク」との二組展「Stelarc × contact Gonzo BODY OVERDRIVE」の一環として上演されたもので、会場にはステラークの作品や資料も数多く展示されていたのですが、双方の展示を比べてみると、現代における身体や暴力とは何なのかと、改めて考えさせられる展示になっています。

 ここでちょっとだけステラークについて説明しておくと、彼はもともとフックを体に突き刺して宙吊りにする「サスペンション」というパフォーマンスで知られた人で、のちに機械を使ったパフォーマンスに転向。筋肉に電流を流して不随意運動をさせたり、逆に空気圧で動く義手を装着したり、六本足のロボットに乗って操縦したりといったパフォーマンスで、世間を驚かせてきました。

 最近では腕にシリコン製の「耳」を外科手術で埋め込み、将来的にはこの耳からピンマイクで採取した音を、ネット上で中継しようとしているとのこと。身体、暴力、テクノロジーというキーワードはゴンゾと共通していますが、受ける印象は全然違っていますね。

 一言で両者の違いを説明するなら、ステラークは非常にハイファイ、逆にゴンゾはローファイです。実際、ステラークの作品には、非常に奇抜なアイデアが盛り込まれていますが、よく考えると現在の社会に流通しているハイファイなテクノロジーの、カリカチュアのようにも見えてきます。ボディピアスやBMI、iPhoneやUSTREAM中継といった、現代社会に流通するスマートなテクノロジーと、ステラークの作り出す作品は、実はよく似ているのです。

 これに対してゴンゾの作品はローファイで、テクノロジーを無理矢理に肉体でフォールドするかのような乱暴さがあります。実際、この展覧会で彼らが出品したのは、ハイテク兵器でもネットテクノロジーでもなく、実際に使用可能な投石機という、見るからに野蛮なローテクの産物でした。こんなもの現代社会ではとうてい流通するわけがありません。暴力性では段違いにゴンゾの方が上なのです。

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■世紀の凡戦か、世紀の大決戦か

 現代における暴力とは、身体とは、テクノロジーとはどのようなものなのか。この三者の関係はどのようなものなのか。そして今後それはどう変化を遂げていくのか……。こうした本展のテーマについて、ここで早々と結論を出すのはやめておきましょう。本展の会期は11月28日まであるのですから。

 パフォーマンス終了後、私はゴンゾのメンバーたちに、ちょっと不躾な質問をしてみました。「今回のvsステラーク戦、ゴンゾの勝ちだったと思いますか?」と。彼らはニヤリと不適な笑いを浮かべただけで、明快な答えは返しませんでしたが、かなりの自信を持っていた様子だけは伺えたような気がします。

 けれども、実はこの11月18日には、今度は逆にステラークのパフォーマンスが、本展会場でweb中継される予定になっています。ひょっとするとそこで大逆転が起こるかもしれませんし、そこでは本展の持つ意味自体も、がらりと変わって見えてくるかもしれません。勝敗の行方はまだまだ不明なのです。

 ……と、気がついたらやたら勝敗の話ばかりをしていますね。アートをこういう「勝ち負け」で論じることは、私はふだんはほとんどありません。なのについ「勝敗」という概念を想起してしまうのは、この展覧会の孕んでいる、異種格闘戦のような暴力性と、その魅力の故なのでしょう。

 ある意味で私は本展の企画者である山本麻友美アート・コーディネーターの戦略に、まんまとハマってしまっているのかもしれません。本展がアート版の異種格闘戦であるとするなら、さしずめ山本コーディネーターは、あの伝説の「猪木vsモハメド・アリ」を仕掛けたプロモーター、康芳夫さんにも例えられるかもしれません。

 「猪木vsアリ」は「世紀の凡戦」という不名誉な代名詞で呼ばれる結果に終わりましたが、果たして本展はどのような評価を収めるのでしょうか。試合はまだ第一ラウンドが終わったばかり。運命の第二ラウンドは11月18日(日)、ゴングは19時30分に鳴り響く予定です。


樋口ヒロユキ(ひぐち・ひろゆき)

サブカルチャー/美術評論家。『ユリイカ』『TH』『週刊金曜日』ほかに執筆。著書に『死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学』(冬弓舎)、『絵金 祭になった絵師』(パルコ出版)など。
http://www.yo.rim.or.jp/~hgcymnk/

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