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「生まれてはみたものの」KIKIKIKIKIKI(樋口ヒロユキ)

2010年03月29日

撮影:阿部綾子


■女性によるセクシュアリティの表象
 詳しくはこちらを参照していただきたいが、きたまり率いるKIKIKIKIKIKIは「女性のセクシュアリティを踊るダンス・カンパニーである」というのが、これまでの大方の評価だった。彼女のダンスには特に台詞らしい台詞があるわけでもなく、パントマイム仕立てというわけでもない。だが誰もが見終わって感じるのは、女性の抱くセクシュアリティの、強烈な発露だったのである。
 そんな彼女の作品をめぐっては、賛否両論が交わされるのが常だった。私は一貫して彼女の作品を支持してきたが、一部の女性には正視したくない同性の恥部に見えただろうし、一部の男性にとっては玩弄物同然に扱われる男の肉体を目にして、堪え難い恥辱を感じたかもしれない。
 男性はセクシュアリティの表象を、男性自身のものとして独占しようとしてきた。古くは瀬戸内寂聴が「子宮作家」と蔑まれた頃から、近年の「腐女子」に向けられる男性の嫌悪のまなざしまで、女性によるセクシュアリティの表象は、いつも決まって批判を受けてきた。女性がセクシュアリティを表象し、享受する機会は、現実問題としていまなお稀だ。そんななかで女性のセクシュアリティを、しかも身体というメディアを通じて描く彼女のダンスは、それだけでも大いに注目に値する。
 とはいえセクシュアリティの表象は、現実問題として「客を選ぶ」というのもまた事実である。これは男女を問わずそうで、エロティックであるというだけでも、嫌悪感を示す人は少なくない。
 2003年のKIKIKIKIKIKI旗上げから既に7年、女性の性的妄想をこれでもかとばかりに詰め込んだ代表作「サカリバ」を、世界30都市以上で上演したきたまりにとっても、もはやセクシュアリティは「やり尽くした課題」ではないか。いつの頃からか彼女の舞台を見ていて、そう感じることが多くなった。特にそれを感じたのは2007年初演の「おめでとう」の頃からだ。主題としては従来通りなのだが、どこか捉えどころがなく不定形で、何を言いたいのかよくわからない。正直、壁にぶつかってるんじゃないかと、私には思えた。


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■セクシュアリティの向こう側
 今回の「生まれてはみたものの」は、そんな彼女のキャリアにおける、大きな転換点になるものだった。ホールでは初となる単独公演、数百名の動員を可能にする「何か」が要る。これまで通り「女性のセクシュアリティの表象を云々」という口上だけでは、この動員は難しいし、間口を狭めることにもなる。
 彼女はこうした前提を敏感に捉えて、二つのやり方で解答を出した。一つはダンスの枠を超えたキャスティングだ。従来通りの三名に加え、舞踏の竹ち代毬也、美術作家でもあるダンサーの日置(へき)あつし、そして俳優の大庭裕介を、客演メンバーに据えたのである。大庭は平田オリザの「青年団」にかつて在籍、現在は京都の劇団「地点」に在籍する俳優で、関西の演劇関係者を惹きつけるには、もってこいの存在である。
 そしてもう一つ彼女が用意したのは、映画監督の小津安二郎をテーマに据えた点だ。小津は日本映画を代表する巨匠であり、誘客する上でのフックにするには充分な素材。しかも小津は一貫して、日本の家族を描いてきた作家である。セックスをすれば子どもができ、結婚すれば親戚ができ、要するに家族が形成される。つまり、きたが描いてきたセクシュアリティの「その次」にあるのが、小津の描く「家族」なのだ。
 きたまりは、より広い場所に出ようとしている。そう考えて向かった公演当日。導入部のBGMは、ジャズのスタンダード・ナンバー「私の青空」。エノケンが歌ったものが日本では有名だが、ジャズやラテンなどを愛した小津安二郎の、愛聴した一枚としても知られている。やがて舞台は真っ暗になり、そこに踊り手が入場してくる。
 いかにも小津作品に登場しそうな衣装の男女。男たちは三つ揃えのスーツに身を包み、女たちは白いブラウスに膝下丈のスカート。照明は赤みがかったタングステンの光で、これで床が畳敷きなら、そのまま小津映画のワンシーンである。年かさの竹ち代毬也は、さしずめ笠智衆の役どころか。
 だが、そこに出現した踊り手の身振りは、小津映画に描かれる家族の様としては、あまりにも激しいものだった。まったく無表情に台詞を口にするまでリハーサルを繰り返してからカメラを回した小津とは逆に、そこでは家族を演じる全員が、互いに殴り、小競り合い、愛撫し、抱きあって、激しく愛憎を演じるのである。


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■結局人生は一人じゃ、ひとりぼっちですわ
 こうした愛憎のもつれ合いを演じた挙げ句、舞台はクライマックスに向かっていく。その終盤に演じられるのが、小津映画からサンプリングした台詞を、二人一組の踊り手が果てしなく繰り返す場面である。

   「どうです、もうひとつ」
   「あんたはしあわせだ。私はさみしいよ」
   「なにがです、なにがさみしんです」
   「いやあ、さびしいんじゃ。結局人生は一人じゃ、ひとりぼっちですわ」

 小津の「秋刀魚の味」(1962)に出てくる台詞で、いかにも小津映画ならではの、感情を抑えた言葉遣いである。ところがこの舞台では、二人の踊り手がくんずほぐれつ格闘しながら、えんえんこの会話を繰り返す。次第に身振りは沸騰し、最後は取っ組み合いのようになり、台詞も怒声になってしまう。「結局人生は一人じゃ、ひとりぼっちですわ!」。そして次の瞬間、背後のスクリーンには、赤ん坊のモノクロ映像が映し出されるのである。
 ここには家族というものが抱える、どうしようもない「仮設性」が示されている。生まれるときは父母がいるが、いつかは両親のもとを巣立ち、異なる家族とともに暮らすことになる。小津の「生まれてはみたけれど」(1932)ではないが、一組の両親のセックスから生まれ、愛憎をともにした家族という場は、再びセックスと愛によって引き裂かれ、結局ひとりぼっちになっていく。
 小津映画における家族も、もちろんそうした宿命を帯びている。だがそこでは感情がギリギリまで削ぎ落とされ、抑制された表現の中で、あるかなきかの情が描かれる。そこにあるのは家族のせつなさを描く「情緒」であり、ごく微細な感情の揺らぎ、陰影のひだである。その姿はある世代以上の、たとえば私のような人間にとっては「懐かしい伝統的な日本の家族像」として映る。
 だがKIKIKIKIKIKIの舞台は、こうした小津演出とはまったく逆に、絶対的孤絶を絶叫し、その孤絶に至る激烈な愛憎のもつれあいを描き出す。その感情表現の激しさは、ポン・ジュノ監督描く韓国の家族や、フェリーニ描くイタリアの家族のようだ。そしてそうした激しい描写は、私の知る日本の家族像とは、まったく別の姿をしている。


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■ホームドラマが消えたあとで
 私自身は小津映画を後追いで経験した世代でしかないが、それでも「ホームドラマ」と呼ばれるジャンルが、確固として存在していた時代に、子ども時代を送っている。向田邦子が脚本を手がけたホームドラマの名作「寺内貫太郎一家」は、ほとんど欠かさず見ていたほどだ。
そこで描かれるのはいつも決まって、無言のうちに意思表示をする父親であり、漬け物を漬けながら愛情を伝える母であり、無骨な体当たりで父に挑み、無言で酒を酌み交わして和解する息子であった。いわばそこに描かれていたのは、言葉では衝突するものの、身体では密かに和解しあう家族であった。
 1980年代以降、家族が食事を共にする時間が失われるとともに、テレビからもホームドラマは姿を消した。それから数十年が経過した現在、きたの世代から提示された家族像を見るとき、なんという時代になってしまったのかという驚きを、私は感じずにいられない。そこに描かれる家族の仮設性、そうした仮設集団の中で暮らす孤独、その激しい描写には、目を見張るほかないのである。
 こうした仮設家族を描く美術作家に、たとえばやなぎみわがいる。彼女は昨年の展覧会「婆婆娘娘!」で、テントを担いで砂漠を旅する、血縁を持たない仮設家族を描いた。「Windswept Women」シリーズと題された、その連作を見た当初、私は「やなぎらしい突飛な発想だな」と思っていた。
 だが、KIKIKIKIKIKIの舞台を見せられると、実はそうした家族観が、現代ではそれほど突飛でなく、既に普遍的な広がりを示すものになっているのではないか、とも思えてくる。演じている各々の踊り手は、一体どんな気持ちで演じていたのか。その気持ちを聞いてみたい気もする。
 きたの舞台を見たあとでは、ダンスというジャンルの枠組みのなかで考えるより、一人の素の自分に戻って、この作品は何だったのか、と考えることが多い。よくできた作品ほどそういう傾向が強く、今回もまた自分にとって家族とは何かということを、真剣に考えさせられた。
 おそらく今後もこの作品の練り直しや新作の上演を通じて、彼女の家族観はより深まっていくだろうし、あるいは家族のさらに外部にあるものを、彼女は問題にするかもしれない。それがどんな姿になるのか、いまの私には予想もつかない。確実なのは、この若き演出家が、新しいステップを踏み出したという事実である。


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樋口ヒロユキ(ひぐち・ひろゆき)
サブカルチャー/美術評論家。『ユリイカ』『TH』『週刊金曜日』ほかに執筆。著書に『死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学』(冬弓舎)、『絵金 祭になった絵師』(パルコ出版)など。4月から6週間限定で、京都造形芸術大にて講義を担当。http://www.yo.rim.or.jp/~hgcymnk/

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