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うーちゃんとくまさんのダンス談義 2010年冬 (上念省三)

2010年03月22日

あえて、この10年または20年

 2009年も終わって、2000年代の10年間が終わったわけです。この10年、ゼロ年代とか言われてるけど、ダンスはどうだったんでしょう? くまさん、どうぞ!

 え、えぇー? だいたいそういう総括的なことは、好きじゃないというか、趣味に合わないんだけど。そもそも、今コンテンポラリーダンスは「何でもあり」って言われてるわけだし、総括することなんてできないよね。だいたいが同時代を総括するというのは、無謀なことだから、「いろいろありました」みたいなことで、どう?

 だめ。よく言われることだけど、「何でもあり」なんだけど、それにしても結局コンテンポラリーダンスは言葉の上から現代のダンス、同時代のダンスというだけで、はっきりとした実体としては「何ものでもなかった」みたいなとらえどころのなさ、説明不可能ってことから、結局何なの?ってところが、コンテンポラリーダンスを普及させない原因だ、って。

 バレエでもなくジャズダンスでもなく舞踏でもなくヒップホップでもなく、なんていう言い方をしてきたけれど、何らかの身体表現をしている人が、同時代的な、ということは同時代であることの内的な要請に向き合った上で、独自の創造的な作品を創ろうとすれば、それがコンテンポラリーダンスだ、とか言うべきだったんだろうね。何か前時代のものを否定した上で存在するような、これまでの歴史の流れとは違うんだ、っていえればよかったんだけど。そもそも、観る人にとって、ほかならぬ自分が持っているのと同じ延長線上にある身体が、どれだけ創造的で独自性をもった表現をしうるかを目の当たりにできることが、コンテンポラリーダンスの魅力なんだから。

 ということは、コンテンポラリー日本舞踊もある、っていうこと?

 新舞踊とか、日本舞踊で現代的なテーマに立ち向かう人が意外に多いことはもっと知られていいと思う。でも、門外漢だからめったなことは言えないけど、日本舞踊(というもの自体、明治初めにかなり強引に合成されたものらしいし)の身体の使い方や動きそのものが、同時代性を持っているか、持ちうるのかという問題があって、その根本的な問いかけがない限り、コンテンポラリーダンス、同時代の身体ではないと思う。それはバレエでも同じだし、50年の歴史を持つ舞踏も考えなければいけないことだと思う。もっと言えば、これまで言われてきたコンテンポラリーダンスにしても、もうコンテンポラリー性を失っているかもしれないでしょ。コンテンポラリーダンスも含めて、ダンスが同時代を生きる身体について、問うたことがあったのかどうか。

 じゃあ、コンテンポラリーダンスというジャンル特有の身体の使い方や動き、というものがあるわけ?

 それが共通項として存在しないところが、コンテンポラリーたる所以でしょう。同時代の要請とさっき言ったけど、それが単一の思想や観念として捉えられたものではなくて、個人の身体から個別の身体として捉えようとするというのがダンサーの役割であって、だから個々のダンサーによってその身体が違うように向き合い方が違うし、他人にわかりにくいものになってしまう。それがコンテンポラリーダンスの難しさだと思うよ。

 バレエや舞踏というふうに、一定のスタイルがあれば、安心して見ていられるよね。テーマが斬新で刺激的であることより、見たことのない身体への向き合い方、使い方のほうが、受け入れられにくいということかな。

 いや、舞踏にコンテンポラリー性があったのは、身体への向き合い方が、日本の、現在のということでオリジナルだったわけでしょ? それをスタイルであるかのように伝えてしまったことに問題があったんじゃないかな。それはコンテンポラリーダンスだって同じこと。いずれにせよ、テーマはどれだけスキャンダラスで斬新であっても、あっという間に消費されたり、括弧にくくられちゃうよね。

 かつて新しい局面を切り開いた何ものかが、ずっと新しくあるということは難しことなのかしらん。

 ただ、たとえば20年前から見てる誰かが、新しい誰かの舞台を見て「このような試みは以前にもあった」と指摘して評価しないでおこうとするのは、本当に素晴らしいものを見落とすことにもなるだろうね。昔同じようなことをやった人がいたとしても、まずその身体は違うわけだし、今そのことをやることに新しい意味があるかもしれない。年寄りの評論家が「寺山みたいだね」とか訳知り顔に言うのは、気をつけたほうがいいよ。もちろん、この十数年から20年ばかりを見れば、パフォーマンス的なコンセプチュアルな表現が重視されて、ダンスという言い方よりパフォーマンスアートとか、せいぜいダンスパフォーマンスといわれたり、ガーリーな(女の子女の子した)ダンスがもてはやされたり、ミクスドメディアの表現が普通になったり、まちづくりや福祉とのリンクが話題になったり、いろいろあったけど。

 ゼロ年代の話?

 もう少し前からじゃないかな。だって、珍しいキノコ舞踊団が20周年だということは、少なくとも20年前からそういうダンスはあったというわけだし。

 すごいよね。一つの時代を切り開いて、今もその前線にいるっていうのは、ホントにすごい。

「MATOMA」、「路地裏の三輪車」チラシ
「MATOMA」、「路地裏の三輪車」チラシ

 うん、言ってみれば、そういう20年だったんだよね。で、20年間の流れを、身の回りのこと中心にあげると、1991年から京都でアルティブヨウフェスティバルが始まってるよね。その一つの成果として、元々は1993年のアルティブヨウフェス特別公演のためにオーディションメンバーによって結成された「MATOMA」(振付・演出=スーザン・バージ)が、モンペリエ、アヴィニョンで、そして1996年に京都で公演をする。このメンバーは、冬樹、五十嵐勇一、ヤザキタケシ、森裕子、森美香代、進千穂、田村博子。このあたりからね、師弟関係やモダンダンスの舞踊団の枠を超えた、ダンサー個々のネットワークと共演、ま、コラボレーションが一般化したんじゃないかと思う。

 舞踊団やスタジオとしてじゃなくて、一人ひとりのダンサーの存在が押し出されるようになったってことかな。

 それまでも、そういうことはあったけど、ソロや小人数での作品が増えたり、身体の異なるバックグラウンドをもったダンサーの交流が増えたということだと思う。大阪の松本工房の演劇情報誌「JAMCi」に、ダンス批評の枠が出来て上念さんが連載を始めたのが1994年(同誌は1998年まで)。これには、編集の柳井愛一さんが、その当時のダンスの勢いを既に感知していたということがあったんだよ。この年、財団法人地域創造ができたのも、大きな出来事だよね。「文化・芸術の振興による創造性豊かな地域づくり」を目的としたもの。

 1996年に、横浜ダンスコレクションが始まってるんだね。1995年に冬樹ダンスビジョンが制作した「路地裏の三輪車」っていう公演が一つの導火線のようになって、と聞いたんだけど、翌1996年にTORII HALLの「ダンスボックス実行委員会」ができてます(フェスティバルゲートに移ったのが2002年)。「路地裏の三輪車」は、総合演出が冬樹、振付・構成が冬樹、ハイディ・S.ダーニング、上海太郎、出演がヤザキ、進、室町瞳、沖埜楽子、サイトウマコト、宮毛愛、島田櫻、かなた沙月、蘇枋蓮志郎。いまや飛ぶ鳥を落とす小原啓渡さんが舞台監督をしてらっしゃる。

 15年前だけど、隔世の感があるね。京都では、1996年に「京都の暑い夏」が始まって、質の高いワークショップの大きな流れを作った。1997年にはCDT(コンテンポラリーダンス・トライアル)が始まって、ワークインプログレスのような形で作品生成を共有して、公演後に観客と交流しようという試みがあって、Monochrome Circusをはじめ、京都のダンスシーンの一つの形が始まったようにも思えるね。

「CDT」、ロリーナ・ニクラス「新進振付家作品公開クリニック」チラシ
「CDT」、ロリーナ・ニクラス「新進振付家作品公開クリニック」チラシ

 1998年にロリーナ・ニクラス「新進振付家作品公開クリニック」が万博記念公園で開かれてるのは、最初はすごく新鮮だったよね。同じ1998年に設立準備が始まったJCDNが正式に発足したのが2001年。びわ湖ホールのびわ湖舞台芸術フェスティバルが1999年、ダンスピクニックが2001年からだっけ。

 横浜ダンスコレクションと同じ1996年に東京で始まった舞台芸術見本市が、パフォーミングアーツ・メッセin大阪として、関西で初めて開催されたのが2000年。関西でも舞台芸術について「マーケット」ということが言われるようになったのもこのころといっていいんじゃないかな。ロリーナのクリニックも、あるいはそのラインで考えたほうがいいかもしれない。首都圏から見て、関西のダンス状況が(も)マーケット化したというか。

 アルティブヨウフェスのアフタートークで、東京の評論家がマーケットを意識して見ているんだというような発言をして、驚かされたのも、ちょうどこの頃だったよね。

 そのあたりを機にというと牽強付会かもしれないけど、TORII AWARDが2001年に募集開始、2002年に決定。トヨタコレオグラフィーアワードで、2002年に砂連尾理+寺田みさこ、2004年に東野祥子、2005年に隅地茉歩、と関西勢が続々と選出されたということがあって、何だか一種の勢いが感じられたね。

 うん、関西でもコンテンポラリーダンスがブームだ、ってさかんに言われたよね。

 一方で2002年に、マチュアな(円熟した)ダンスを、ということで「ダンスの時間」が始まってるのも、この流れでみると面白いよね。

 ちょっと別の方向から見ると、近畿大学文芸学部が1989年、京都造形芸術大学が1991年にできていて、体育や教育学じゃなくて、舞台芸術としての大学のカリキュラムがだいたい20年の歴史を持ってますよ。無理に合わせようとしてるかもしれないけど、ダンスがオープンなもの、アクセス可能になってきたのが、この20年間だったって言えるかもね。



 と、長い長い枕をふっておいて、大学生のダンスについて、いってみましょうか。

 10/10の大阪体育大学創作ダンス部単独公演、10/24の神戸大学発達科学部人間表現学科学生による「GATE」(のゲネ)、神戸女学院大学舞踊専攻の10/23「Infinite time, Infinite space」、11/1「cross Point」が4回生のオリジナル作品による卒業制作発表公演で、12月10日が卒業公演。11/3に近畿大学文芸学部舞台芸術専攻の文芸学部祭「ジャメ・ビュ」、12/25の天理大学創作ダンス部、1月16・17日に近畿大学舞台芸術専攻の卒業舞踊公演「ガラバコ。」と、ずいぶんたくさん見たね。

 これまた、全部をまとめて何か言うなんてことは、無意味だし、無理だけど、ひとつざっくりと言わせてもらうと、青春って、暗いね。

 あわわ、どういうまとめですか、それは。

 うん。この5つの大学、それぞれ学部名や学科名も違うし、部活動のところもあるし、ほんとにバラバラなんだよね。しかも、大学で初めてダンスに触れた学生が多いかとか、指導教員がいわゆるコンテンポラリーダンス系の人かとか、体育の教員免許を取るかどうかとか、いろんなバラバラさがあるよね。

 神戸のいわゆるオールジャパン(全日本高校・大学ダンスフェスティバル)をめざすかどうかによっても、ずいぶん違う。

 うん、よくも悪くもだけど、「創作ダンス」といわれるジャンルと、コンテンポラリーダンスといわれるものとは、かなり隔たりがあるように見えるな。

 で、暗さって、どういうこと?

 はっきりしたテーマを、わりとはっきりと表現するタイプの創作ダンス部の作品でも、もう少し抽象的な作品でも、コミュニケーションクライシスとか、自我の抑圧とか揺らぎとか、とてもシリアスなテーマが多くて、創作ダンスの場合はたいていそこに何かしらの光を見出すか、予感を示して終わることが多いんだけど、それは根本的な光かどうかは、見ていてちょっと不安なのね。そうじゃない場合は、そのまま終わっていく。

 そりゃ、誰にだって根本的な解決はできないよ。

 そういうこともあるけど、まず彼らが、何かしらの作品をつくろうとして考えると、どうしても世界や存在の暗部を取り上げるようになる傾向があるんだな、ということ。これは青春の特権というか、特徴なんだろうね。

 目を背けない。

 うん。それから、ちょっと意地悪く言うと、何かシリアスなテーマを設定しないと、本格的な作品にならないんじゃないかという強迫観念があるんじゃないか。

 卒業制作に、コミカル、ユーモラスな軽そうに見える作品を提出するのは、本意ではないと。

 そういうこともあるし、作品に重石をつけるために、重厚なテーマが必要。

 あぁ、意地悪だなぁ。彼らは真剣だと思うよ。

 もちろん。ただ、テーマを探すのにあんまり一生懸命になると、前半で話したような、現在性のある動き、身体の発見が後回しになるおそれがあるよね。

 えぅ? 大学生のダンスにそこまで求めるの?

 もちろんだよ。時間、経済、稽古場、指導者…ある意味で最も恵まれた環境にある学生たちが、ゆっくりと現在性ということに向き合わなかったら、なんともったいないことか。それはあまりに普遍的で特徴がなさ過ぎて、一見独自性に乏しいようなものに見えたとしても、自分の身体から感じられる癖やつらさや気持ちよさから、動きが発見されて、それを仲間たちといろんな意味で共有するための作業をする、そうでないと、本当にもったいないよ。

 なるほど。じゃあ、ずいぶん長くなったし、具体的な作品については、また次回ということで。

 「ダンスの時間」の大学生バージョンもあることだし。

 はい、宣伝宣伝。 



うーちゃん:演劇や宝塚歌劇が好きな、ウサギ系生命体。くまさんに付き合って、ダンスも見始めた。感性派。小柄。

u1 kuma2

くまさん:コンテンポラリーダンスが好きなクマ系生命体。最近、古典芸能にも興味を持ち始めている。理論派。大柄。


produced by 上念省三(じょうねん・しょうぞう)

演劇、宝塚歌劇、舞踊評論。「ダンスの時間プロジェクト」代表。神戸学院大学、近畿大学非常勤講師(芸術享受論実習、舞台芸術論、等)。http://homepage3.nifty.com/kansai-dnp/




「ダンスの時間Spring 大学生版」

神戸女学院『優しさのキョリ』
神戸女学院『優しさのキョリ』

7年半、26回目を迎える「ダンスの時間」ですが、はじめて大学生だけのプログラムをご用意しました。
 学科・専攻としてダンスを学んできた人、クラブ活動として取り組んできた人、幼い頃から踊っていた人、大学ではじめてダンスに出会った人、と様々ですが、ある意味では、そのまま現在のダンスの諸相を集約していると見ることが出来るのではないでしょうか。
 卒業式を済ませた4回生が多いですが、いろいろです。卒業後、様々な形でダンスを続ける人も多いようですが、そうでない人もいるようです。
 ライフステージのある一つの節目となる公演、勢いのある舞台になると思います。
 どうぞお誘い合わせの上、多数お越しください。
◆日時 3月26日19時、27日14時・17時半
◆会場 ロクソドンタブラック
◆料金 前売・予約¥1500、当日¥2000 (2回目は、半券提示にて、当日券¥300割引)
◆出演 西岡樹里(振付。神戸女学院大学音楽学部舞踊専攻) 26日・27日夜
    天理大学創作ダンス部 27日昼・夜
    淡水(近畿大学文芸学部舞台芸術専攻、菊池航ほか) 26日・27日昼
    大阪体育大学創作ダンス部 26日・27日昼
    Akakilike(京都造形芸術大学芸術学部映像・舞台芸術学科、倉田翠・松尾恵美) 27日昼・夜
    石名智子(神戸大学発達科学部舞踊ゼミ) 26日・27日夜


「ダンスの時間Spring 2010」

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j.a.m.は、名作「SAVOY」を森井淳、高柳敬靖により再演。はじめて男性同士で上演される「SAVOY」が、どんな表情に変化するか、楽しみです。
 バリ舞踊の「根っこ」を探求し、そこから新しい表現を模索しようとしている大西さんは、自作としては初登場。
 2005年から活動を停止していたRosaさん、「5年ぶりの初舞台」という意気込みです。本番まで徐々に統合していく人格に任せている、とお便りが来ました。

◆日時 3月28日 13時半、16時半
◆場所 ロクソドンタブラック
◆出演 j.a.m.Dance Theatre、大西由希子、Rosaゆき
◆料金 前売・予約¥2500、当日¥3000(26・27日の半券をお持ちいただければ、当日券¥300割引)


※ ご予約・問合せ 06-6629-1118 ロクソドンタブラック loxo(a)thekio.co.jp ((a)を@にしてお送り下さい)
※ チケット予約販売サイト「チケ」でも取り扱っています。

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