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「もう一人のダンサー ベルリン4月のダンス・シーンから」(中島那奈子)
2011年05月24日
1.ヘレーナ・ヴァルトマンによる「revolver besorgen」
来日もはたしている振付家・演出家ヘレーナ・ヴァルトマンHelena Waldmannnによる「revolver besorgen」という作品では、痴呆というテーマが取り上げられた。(4月21日、Radialsystemにて)1993年から国際的に注目されはじめたベルリン在住のヴァルトマンは、2003年ブラジルの振付家と制作した「Headhunters」でユネスコ賞を受け、2005年にはイラン人の女優たちと制作した「Letters From Tentland」の演出が反響を呼び、2009年は日本人ダンサーの川口ゆい等と、日本の緊縛とアフガニスタンのブルカを掛け合わせた「Burkabondage」を発表した。ドイツ人からの「他者」をテーマに作品を作ってきたヴァルトマンは、この作品でまた別の「他者」である「痴呆症の老人」をテーマに扱う。ドイツでは130万人にのぼると言われるこの痴呆症患者は、高齢化に伴って2050年にはその2倍の数に膨れ上がると言う。一昨年亡くなったヴァルトマン自身の父親が、8年間痴呆であったことから生まれたこの作品で、ヴァルトマンは痴呆のポジティブな側面を扱いたかったと言う。「痴呆になるより死んだ方がましと人は言うけれど、私は戸惑いながらも父と一緒に、知覚モデルがずれていく新しいコミュニケーションのあり方を経験したのです。」(Berliner Zeitungインタビューより)
作品には、ドイツ各都市のバレエ団で20年踊っていたバレリーナBrit Rodemundが一人だけ登場する。ここでは、以前にできたことが出来なくなっていく痴呆の世界と、加齢に伴ってかつて出来ていた動きが出来なくなるバレリーナの世界とが、重ね合わされている。舞台隅に積まれたオレンジのビニール袋を背景にして、木靴を履いてロボットのように動くバレリーナに、タイトルにもあるリボルバーの拳銃音や、大砲の耳をつんざく音が重ねられる。突然靴を脱ぎ、靴に向かって話しかけるこのバレリーナに、男性のアリアが重なる。意思もなく片方の手が上にあがってくるのを、もう一方の手で持った靴ではたき落とす断続的な動きの狭間に、ピルエットなどのバレエ的な動きが挿入される。ズボンを半分おろしたままで音の外れたコーラスと共に踊り、時には、ナット・キング・コールの歌う「Unforgettable」の曲に重ねて、彼女は動き、跳ね、止まる。そして、後ろ向きで客席を見つめながら性器をさすり、舞台で自慰行為を見せる。「気を付けてね、すごく敏感なの。」「もうちょっと上よ。」「こうかい。」高齢の痴呆の男性とセクシャルワーカーの女性による性的な会話が、そこに重ねられる。すると突然、バレリーナは立ち上がってボードヴィル風のダンスを踊り出し、舞台奥に積まれたオレンジのビニール袋をかき集め、その山の中に飛び込む。何かにとりつかれたようにワルツを踊り、バッグを踏みつけ風船のように投げ合う。バレエ的なポーズをとりながら、不必要に大きな音を立てて呼吸する。そして、老眼鏡のような凸レンズのプラスチック板を掲げながら、舌を出して顔を大写しにする。このような動きの繋がりの中に関係性が見つからず、見ている方は当惑する。カチャカチャとメスの音がしたかと思うと、痴呆の患者とその記憶について説明する、神経病理学者の会話がここに挿入される。「痴呆とは病気なのでしょうか。」「高齢まで生きることが出来る現代になって初めて、多くの人が痴呆の症状を持つと言えます。」次第に、身体のコントロールが利かなくなったバレリーナは、凸レンズのプラスチック板を持ったままオレンジの袋の山に潜り込み、倒れこむ。そこに、子供の笑い声と共に、作品の冒頭でも聞こえたリボルバーの音が響いてくる。
この作品の幕切れまで、振付家のヴァルトマンは見る者を感覚的に楽しませないことを貫き通し、見る側の安易な価値判断自体に疑問を投げかける。ヴァルトマンは言う。「私の作品を見る人はこれを面白い作品だとは思わず、見終わってのどに何か物がつかえたかのように感じると思います。」現役を離れたバレリーナを舞台作品で見ることが稀なだけでなく、痴呆の人間が観客としてダンスを見に来ることもおそらく稀であろう。今まで美しい、面白いと思っていたダンスは、限られたダンサーが限られた観客に向けて作った過去のものなのかもしれない。現代の高齢化社会において大きな問題である「痴呆」をダンスのテーマにすることで、実はこれまでヨーロッパのダンスの美しさを成り立たせてきた美学とそれを成り立たせる構造がどんなものであったのかにも、この作品は問題を投げかけていた。
2.ジラ・ダンサによる「A Cure」
ブラジルのコンテンポラリーダンスをベルリンで紹介するフェスティバルbrasil move berlimは今年5回目を迎え、4月7日から17日までヘッベル劇場を会場に開催された。その中で、ブラジル東部の都市Natalで活動するジラ・ダンサGira Dançaというカンパニーによる作品「A Cure」が上演されていた。(4月13日、ヘッベル劇場1にて)2005年から活動を始めAnderson Leãoの率いるこのグループには、9人の様々な人種、背景のダンサーが所属し、そこにはプロとして訓練を受けたダンサーに加え、片方の足が短かったり、盲目であったり、身長が120㎝ほどのダンサーも含まれている。しかしこのカンパニーは、福祉を目的とした劇団ではなく、ダンスの更なる可能性を追求する芸術家の集まりだという。アフタートークの際にも、カンパニーのメンバーはブラジル政府からの助成が受けられない厳しい状況の中で、振付家という役割は尊重しながらも、全員で議論を重ねて作品制作を行ったことを強調していた。今回の作品「A Cure」はダンサー全員による共同振付作品で、ここで彼らは、「愛情」や「好意」といったものが「抑圧」や「恐れ」の感情にすり替わり、伝染病や不平等、暴力や偏見がはびこる現代の資本主義社会に生きる私たちにとって、自らの内と外とを癒すとは一体どういうことか問いかけたかったと言う。
劇場に入ると、透明なビニールの幕がかかった舞台の奥でオレンジの照明の中でスモークがたかれているのを目にする。サーカスのスティルトのような竹馬に乗った黒ずくめの人間が数人、舞台上を無言で歩く奇妙な光景が続いている。開演すると、客席からガスマスクに雨用コートを着た男が掃除機を振り回して登場し、不気味に笑いながら舞台を横切っていく。暗転して、車いすに乗った男性と、白杖をもった女性、小柄の女性が、舞台後方から叫びながら飛び出してきて、ビニールの幕をばんばん叩き出す。耳をつんざくベースや様々なラジオ局から流れる音に合わせて、目の下を黒く塗ったダンサー達は、時に集団となり時に個となって、宙にとび上がり、手をモノのようにぶらつかせ、急にバタバタと舞台上に倒れこんでは、起き上がる。
振付の中には、車いすのモビリティを活かしたものが多い。車いす自体をメンバー全員でバスケのように取り合ったり、車いすダンサーの上に別のダンサーが走り込んできて飛び乗ったり、また車いすからおりたダンサーが別のダンサーにかつがれて踊る部分も多くみられる。異なった身体技法を持つダンサー同士がペアになって身体のバランスを取ることで、初めて可能になる試みが随所に見られ興味深い。出演するダンサーの身体を支えまた時に身体をぶら下げる、舞台後方に置かれた鉄筋パイプによる骨組みは、Anderson Leãoによる舞台装置で、照明の下で時に鋭い冷たさを放ったかと思うと、時にキラキラと照り輝いて、その印象を大きく変える。加えて、舞台照明のストロボを用いて踊りの流れをコマ送りのように見せたり、ペアによる二人羽織の振りをスポットライトで身体を部分的に切って見せたりするなど、身体の動きにおける視覚的なトリックも多用される。
その後再びスモークが舞台を覆うと、ダンサー達はガスマスクをして、舞台上で咳こみ始める。覆面をして松葉杖で舞台を歩きまわる者、舞台を走り回る女性の泣き声や叫び声。幕の中では、封印していた記憶が解き放たれたかのような光景が続き、見る側は突如恐怖と戸惑いに襲われる。舞台前面にかけられたビニールの幕をくぐり抜けて、次第にダンサーは客席のこちら側に侵入してくる。そして、向こうからやってきたダンサーと幕のこちら側に座る見る者が手を握りあう時、この「癒し」という作品の幕が降りる。統率するAnderson Leãoの洗練された美意識を強く感じながらも、多様なダンサーの身体能力が振付のアイデアの中に取り込まれている秀逸な作品に目を奪われた。
3.ゴブ・スクワッドによる「Before Your Very Eyes」
これまでダンサーとしてみなされなかった者は、加齢に伴う病気や心身における障がいを持つ者だけではない。コミュニティダンスにおける参加型のプロジェクトに加えて、ピナバウシュの作品「コンタクトホーフ」のティーンエイジャー版やコンスタンツァ・マクラス&ドーキーパークの「Hell on Earth」など、子供たちを実験的パフォーマンスに組み込もうとする流れが、近年出てきている。イギリスのノッティンガムとベルリンをベースにした6人の主要メンバーから成るアーティスト集団ゴブ・スクワッドGob Squadは、1994年からアートと日常の境を越えるパフォーマンス作りを続けているが、最新作「Before Your Very Eyes」は、マジックミラーで囲まれた舞台上の小部屋の中で、オランダの8歳から15歳までの子供たち7人がパフォーマンスを見せるものだった。(4月30日、ヘッベル劇場1にて)
開演直前、ソファやビデオカメラ、扇風機やテーブルのような小道具が乗せられた居間で、子供たちはソファに座り、ギターを弾き、テレビを見る。その両脇の舞台上には大きなスクリーン二つが置かれる。客席から子供たちは見えるが、子供たちから客席は見えない。パノプチコンを思わせる覗き見の空間の中で、子供たちはどこからか響く姿を見せない声と対話し、その指示に従いながらパフォーマンスを進行する。「皆さん、ゴブ・スクワッドが正真正銘の、生き生きした子供たちをお見せします!」サーカスの開幕のようなこの掛け声でパフォーマンスはスタートする。アナウンスの声は子供たちに呼びかける。「調子はどう?用意できた?みんな君たちを見ているよ。」子供たちは一人ずつ自己紹介しつつ、舞台右側のスクリーンに映し出された数年前の自分(のビデオ)と対話するように、舞台左側のスクリーンに繋がっている小部屋に設置されたビデオカメラに向かって話しかける。モーリスは言う、「お父さんが手伝ってくれればだけど、僕はサッカーができるよ。」そんなコメントを受けて、アナウンスの声が言う。「成長しなさい。」そう言われて子供たちは、背伸びをしたりお祈りをしたり、お互いの体を引き延ばすかのように引っ張りあったりする。そう、子供たちにとって成長するとは、まず身体を拡張することなのだ。
しかしそのうち子供たちは、突然煙草を吸い始め、パンクの服装に着替えて黒い口紅をつけ、鏡の前で次々にポーズをとっていく。反抗期である。「ビキニを13着買えます。」「セックスして妊娠できます。」彼らは、年をとることで出来てしまうことを、次から次に挙げていく。「成長する」ことはまた、「出来ること」が自分の中で変化していくプロセスなのだ。「成長したって、どうやってわかるの?」スクリーンに映された、少し前の自分と対話する。「年をとるってどういうことなの?」ちり紙を手で振り回して全員で踊りだしたかと思うと、パンクの化粧を落としてサイケデリックでポップなファッションに着替え、部屋はホームパーティーの雰囲気になる。アナウンスの声がこう告げる。「あなたたちは皆、40歳です。」「お隣の人に、持っているワインボトルのラベルを自慢しなさい。」「タッシャ、会話に入れないお客を持てなしなさい。」それは、大人であることから期待される社交のルールなのだ。
別の少年が、スクリーンに映った過去の自分から、質問を受ける。「まだスパゲティが君の好物なの?」「まだ同じ彼女と付き合ってるの?」そのビデオ会話と同時進行で、タッシャと呼ばれる少女が一人、舞台上の小部屋から出て、客席に面した舞台上に初めて姿を現す。マジックミラーを通さないで見るタッシャは、体のつくりが華奢な少女から女性になる段階で、彼女は「外の世界」である客席を初めて目にして動揺する。「睡眠薬を飲むことが出来ます。」「彼と別れることが出来ます。」彼らがオランダ語(ドイツ語字幕)で話していくこの「出来ること」の羅列は、作品の後半で「出来たかもしれないこと」の羅列にすり替わっていく。「もっと多くの人と知り合うことが出来たかも知れなかった。」「本当はダンサーになれたかもしれなかった。」子供たちは今度、暗い色の衣装に着替えて、老人の段階へと突入する。「若作りするのは意味ないよ。」「いつも同じ話をすることになるけど、でもいつも別の人に話すんだ。」全員でとりつかれたようにその場で足踏みを始めるが、足踏みに力尽きたかのように、次々に地面に倒れこんで動かなくなっていく。「一人で取り残されるのはどういう感じ?」「私は一人で死にたい。」全員が倒れこんで動かなくなると突然、両端のスクリーンに映された映像が冒頭まで巻き戻され始め、倒れこんだ子供たちが再び息を吹き返して、この作品が始まった時の状態へと時間が戻されていく。
通常ダンサーは、年をとっていくと「出来たこと」が出来なくなる。しかし、この作品では終始一貫して、年をとっていくことと「出来るようになること」との関係が話される。ただ、子供たちが話す「出来るようになること」は、必ずしもハッピーなことだけではない。それは、大人になったら起きてしまうかもしれない「子供らしくなさ」でもある。冒頭のアナウンスで告げられたように、これはゴブ・スクワッドという大人のアーティストが大人の観客に向けて作っている、監視下にある「正真正銘の」子供たちである。「子供らしさ」というものが、「大人らしさ」や「女性らしさ」同様、年齢に沿って社会的につくられたイメージに過ぎないということ。それを、この作品をスペクタクル(見世物)にすることで、見事に曝け出してしまったゴブ・スクワッドの手腕に感服するばかりだった。
中島那奈子(なかじま・ななこ)
ダンスドラマトゥルク、ダンス研究者。2004年からダンスドラマトゥルクとしてNYの実験的な作品制作現場で活躍し、ルシアナ・アーギュラーとの作品は2006年度NYベッシー賞受賞、2008年にベルリンで立ち上げた『劇団ティクバ+循環プロジェクト』は2011年神戸で初演。2006年よりニューヨーク大学客員研究員、Jacob’s Pillow Dance Festival研究フェローなど歴任。ドイツ学術交流会(DAAD)の支援を受け2007年よりベルリン自由大学で『踊りにおける老いの身体』で博士号取得後、2011年から日本学術振興会特別研究員(PD)に着任。www.nanakonakajima.com(制作中)
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