2010年05月28日

提供:日本文化財団
提供:日本文化財団

 20世紀後半に最も議論をかきたて、最も愛された振付家、故ピナ・バウシュが36才の若さで創作した『私と踊って』(1977年初演)が、日本でも再演される。1986年の初来日より、ヴッパタール舞踊団の公演を年中行事のように楽しみにしていた方、レパートリーはどうなってしまうのかと心配されていた方には朗報。まだ観たことがない方には、ダンスはいわずもがな、人生の見方さえ変えてしまうかも知れない貴重で危険な機会とお勧めしたい。とはいえ、なぜこんな昔の作品を? ……と躊躇されている向きには、次のようなお誘いはどうだろう。

日時:2010年6月5日(土)開場:13:15 開演:14:00
会場:びわ湖ホール 大ホール
URL :日本文化財団ウェブサイト
   びわ湖ホールウェブサイト
※ 公演終了後、ピナ・バウシュの偉業を偲び、彼女と親交のあった浅田彰氏と楠田枝里子氏を迎えてアフタートークが開催されます。詳細
 

◆ “あなた”と出会う体験  よく言われることの一つに、バウシュ作品があなたの知らない(かも知れない)“私”と出会う可能性を秘めているというのがある。通常、舞台上のダンサーは観客にとって終始三人称の存在で、擬似的に二人称や一人称になることはあっても、終わってしまえば物語の中の「彼/彼女」。ところがバウシュは、この関係の線引きを揺るがせ、まさかの場面で「これは私だ!」と思わせる。それは今日コンテンポラリーダンスの定石ともなった独自の振付手法に拠ってはいるが、ハイナー・ミュラーを初め様々な著名人が述べているように、各々が内に秘めた記憶を深くえぐる瞬間を高確率で生み出し得た才能といえば、バウシュをおいて他にない。

◆ 手法の完成直前の模索  70年代の後半の作品には、演技者から素材を引き出し部分から全体を構成してゆく作舞法を確立する途上の、段階的な試行錯誤が認められる。「問いかけ、テーマ、キーワード」による素材集めは、1976年の『ブレヒト・ヴァイルの夕べ』に始まる作品の三本柱(舞踊様式、戯曲、音楽作品)の破壊、「モンタージュ」の構成原理は翌年発表の『青髭』のリハーサルに端を発する、踊ることをめぐる根本的な問いを突き詰めた成果である。以後30年にわたり変わることなく用いられたこの振付方法は、本作の次に作られた『レナーテの移住』でだいたい定まったとされる。つまり『私と踊って』は、破壊と創造が手に手をとって歩むような、一人の作家が探求し、理解を求めて闘ったプロセスのドキュメントとなる。

◆ 伝説のタレントの集結  本作は、バウシュに大きな影響を与え1979年に亡くなった舞台美術家、ロルフ・ボルツィクが手がけた舞台美術・衣裳とともに、初演と同じくジョセフィン・アン・エンディコットが演じる点でも注目される。先の創作手法は、主体の分裂と統合の終りないプロセスを職として生きるダンサーを徹底的にフィーチャーしたものだが、その成立過程でエンディコットが果たした役割は計り知れない。『春の祭典』の生贄、『七つの大罪』のアンナIIなど作品の要となる役の初演をほぼ務めているほか、『マクベス』改作では上演の続行が困難と思われるほどのブーイングを制したことでも有名な肝っ玉。『私と踊って』ではタイトルになっているドイツ歌謡を繰り返し歌いながら、バウシュの創作の原点の近くに誘ってくれるはず。この貴重な機会を、ぜひお見逃しなく。

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