point of view series

伴戸千雅子「母ちゃんと赤ちゃんのカラダ学 第5回」

2010年01月31日

「もう一人の息子の話」
タイバンショック
「胎盤どうする?」
出産を間近に控えた頃、助産師さんにたずねられた。
「胎盤どうするって、どういうことですか?」
逆に聞きかえすと、胎盤がほしいという人もいるし、そうじゃなければ、業者に引き取ってもらうからと言われた。
「胎盤もらってどうするんですかねえ?」
「庭の木の下に埋める人もいるし、食べる人も・・・」
「えー!?」
出産を終えた猫が胎盤を食べる話は聞いたことがあるが、人間が食べた話は聞いたことがなかった。胎盤を食べる・・・。口の中に勝手に生レバーの感触が湧きあがる。でも、自分の肉(肉じゃないが)を食べるなんて、そんなことイケナイことじゃないの!? いやいや猫は胎盤を食べて産後の力を取り戻すんだから、動物的で自然な行為のはず。こんな機会でもないと、そんなものいただけないだろうし・・・。
「とにかくちょっと考えます」と返事した。

003_400 胎盤の基礎知識
お母さんと胎児はへその緒を介して、栄養分や酸素、老廃物のやり取りをしている。お母さんの血液がそのまま流れているかというとそうではなくて、胎盤が間にたって、お母さんの血液中の栄養や酸素、水分を取り込んで胎児に送り、また胎児から送られてきた二酸化炭素や老廃物もいったんここを経由して、お母さんに送られる。胎児にとっては内臓のようなもの。それだけでなく、免疫機能も備えてたり、妊娠中必要なホルモンを作るなど、お腹の中で子どもを育む「母」のような重要な臓器。胎盤を作ることは哺乳類の大きな特徴らしい。
胎盤は血液の塊で、細かな繊毛が密生している。よく未来の世界を描いたアニメーションなんかで、生命の樹みたいなイメージのコンピューターが出てくるが、私の頭の中ではそれは胎盤のイメージにつながる。
胎盤は子どもが生まれた後に出てきて、「後産(あとざん)」と言われる。円盤状で血管が張り巡らされていて、ホルモンみたい。出産後の猛烈な脱力感の中で、「これが胎盤よ」と言われても、チラ見するのが精一杯。今考えると胎盤に申し訳ないことをした。「お世話になりました。ありがとうございました」と手の一つも合わすべきであったと後悔してます。

001_400 さて、現在、日本の出産の約99%が病院や診療所などの医療機関で行われていて(厚生労働省調査)、そこで分娩された胎盤は、ほとんどが専門の業者に引き取られている。各都道府県には「胞衣産汚物取締条例」などというのがあり、「墓地、火葬場又は取扱所でなければ、埋没又は焼却してはならない」と規制されている。
また、胎盤は英語名プラセンタといい、医薬品、化粧品、健康食にも利用されている。どういうルートがあるのかよく分からないが、条例にも「消毒していない産汚物を売買し、又は贈与してはならない」とあるので、許可があれば、消毒された「産汚物」は売買できるのだろうか。ブタやウマなどの胎盤と共に美容液などにも使われているようだ。
最近は臍帯血(さいたいけつ)というへその緒の中の血液を保存するためのバンクもある。この血液は造血幹細胞という、いろんな血球に分化するような細胞を多く含んでいて、血液の難病に利用されるらしい。自分の子どもには100%一致するから、再生医療のために臍帯血を冷凍保管しておくというビジネスが米国を中心に広がっている。ちなみに再生医療とは、病気やけがで失われた体の機能を細胞から新たに作り出す医療のことです。

残りの1%はどこへ?
残りの1%、助産院や自宅出産の人に胎盤をどうしたのか、聞いてみた。
『上の子の時は冷凍してもらい持ち帰り、自宅で夫が野菜と一緒に炒め調理し食べました。一口食べた夫は体が火照ったので少しでやめたらしい。下の子の時は助産院で軽く火を通して生姜醤油味に仕立てていただきました。産後のひだちによいからと毎日食べていた方の話を聞いたような。私は20代に北海道の牧場で乳絞りしていて牛のお産にはたちあっているので、後産(胎盤)を食べることに抵抗がないのかもしれません。』
『胎盤、二人目の出産のときに、食べましたよ~。最初耳にしたときは「ええーっ?!」って感じでしたが、胎盤を食べるチャンスなんて人生にそう何度もないと思って。助産師さんがスライスしてくれて、ショウガ醤油で食べました。こりこり、まあ刺身みたいな感じで。娘も食べてました。夫は「共食いになる…」と言ってビビってましたが、味見してました。』
『出産前に「胎盤どうする?」と先生に聞かれ迷ったのですが、食べる勇気が出ませんでした』
『上の子のときは助産院で生み、「胎盤、どうしますか?」ってきかれました。そのとき、共食いするような人食い鬼のようなイメージが次々と湧き起こってきて、「絶対食べません」って答えたのを覚えています。栄養にいいとか、昔は食べたとかきいても私は食べたくない、と思いました。その後、火葬場に持って行ってくれたそうです。二人目のときも助産師さん達に告げた希望は、また、「食べたくないので処理してください」というものでした。だけど、ちょうど、そのころ法律(条例)が変わって、次男を出産するときには胎盤は持ち帰ってはいけない、ということになりました。だから、選択肢は本当はなかったんです。結果的には病院で産みましたが、そういうわけで、胎盤の処理に関しては病院からはきかれることも説明もなく、私もすっかり忘れて終わりました。』

民俗的な風習
出産の場が家庭から病院などの施設に変わったのは、高度経済成長期。1950年には家庭での出産は95%をしめていたのが、60年には半々になり、80年には施設が99%になった。それに伴って胎盤の扱いも変わってきたのだろう。
かつての日本人は胎盤をどうしていたか?1935年に行われた調査があって、「胞衣はどう始末するか。どこに埋めるか。埋めるのに一定の方式があるか。」「胞衣の埋め方によって生児の将来が決定されるか。埋め方が悪いとどうなるか」という調査項目が挙げられていた。胞衣は「えな」と読み、胎盤のことを言う。ちなみに、恵那山(岐阜県)の「えな」は、ヤマトタケルノミコトの胞衣を埋めたことからその名前がついたという伝説がある。
埋めるにもいろいろ決まりがあって、面白いものをいくつか紹介すると・・・。

●たくさんの人に踏んでもらうと丈夫に育つ、力がつく、賢い人になる。
●胞衣を埋めた上を最初に踏んだ人を子どもが恐れるようになるからと父親が踏む。
●埋め方が悪いと、夜出てきて梁の上を歩く。
●男女によって埋める場所や添え物が違う。

また、こんな俗信も。

●胞衣を酒で洗うと誰の生まれ変わりかが分かる。
●胞衣を洗うと父親の家紋が現れる。
●胞衣を水につけておくと、水面にその子の父親の顔が浮き出てくる。

このあたりの記述は女性としてはちょっと複雑な気分。

胞衣を埋める時に笑う「えなわらい」という習慣もある。これは子どもが大きくなって、よく笑う愛嬌のよい子どもになるように、との願いが込められているそうだ。笑うことで、胞衣と子どもを分離させ、子どもはこの世のものとして、胞衣はあちらの世界へ戻して再生を祈るという意味が込められているという説もある。
胞衣がこのように、ある意味大事に扱われたのには、新生児と胞衣が一つのものと捉えられていたという解釈がある。子どもというのは胞衣やなんかもひっくるめて他界から異人としてやってきて、新生児(本体)はこの世の存在として迎えられる一方、胞衣はこの世の秩序に脅威を与える危険なものとイメージされたから、その処理に細心の注意が払われたというのです。

DSC_0049_200 この説を読むと、胞衣はもうひとりのしんしん(息子)のように思える。お腹の中で一緒に育ち、前後して生まれて、片方はこの世に、もう片方は再び異界に。どこかで息子の成長を見守ってくれているかもしれないし、運命の糸のようなものを引っ張っているのかもしれない。

胎盤、後産、胞衣。個人的には「胞衣」という呼び方が好きです。胞衣にまつわる風習は、良い悪いは別として、かつての日本人が持っていた命にまつわる豊かな心を感じ、ひかれます。
さて最後に、私の胎盤はどうなったのか。それはご想像にお任せします。

(つづく)

「母ちゃんと赤ちゃんのカラダ学」バックナンバーはこちら
伴戸千雅子(ばんど・ちかこ)
ダンスグループ花嵐のメンバー。ダンサー・振付家。一児の母として子育てにアタフタしつつ、子連れ参加のワークショップ「なんちゃってアフリカン」(京都)、「カラダとココロのストレッチ」(高槻)をやっている。
Translate »