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マリー・シュイナール『オルフェウス&エウリディケ』 (樋口ヒロユキ)
2009年04月1日
Orphée et Eurydice / Orpheus and Eurydice |
先日、マリー・シュイナールの公演を見てきた。タイトルは『オルフェウス&エウリディケ』。オルフェウスとエウリディケというのは、ギリシャ神話のエピソードで、日本でいえばイザナギとイザナミの神話とほぼ同形のお話。どちらも冥界に落ちた恋人を、男性が助けに行く物語だ。
面白いことに、冥界の魔物をやっつけるための手段がアートであるという点は、この両者に共通している。イザナギは櫛という美術品を投げて魔物の追跡を防ぐが、オルフェウスは竪琴を弾きながら詩を吟じ、魔物をうっとりさせて降参させるのである。竪琴と櫛は形が似ているが、これは竪琴がどこかで変形して櫛になったのではないか? などと憶測するのも楽しいが、まぁこれは余談である。
また、この2つの話には、もう1つ面白い共通項がある。冥界に落ちたイザナミは、既に腐乱死体となっている。イザナギにその姿を見られたのを恥じたイザナミは、魔物となってイザナギを追っかけてくるのだ。これに対してエウリディケは、姿は生前のままなのだが、冥界の王はオルフェウスに、彼女の姿を見ることを禁じる。この禁をオルフェウスが破り、エウリディケの姿を見たために、彼女は地上へ戻れなくなるのだ。つまり、いずれも「冥界に落ちた女の姿を見ること」が、禁忌となっているのである。
さて、そんなオルフェウスとエウリディケの物語をどう舞台化するのかと思っていたら、意外や意外、マリー・シュイナールの示したエウリディケは、日本のイザナミのイメージに近かったので驚いた。既に先に見た通り、エウリディケは「見てはいけない」ものであっても、腐乱していたり理性を失ったりしているわけではない。ところがマリーの描くエウリディケは、怪物的な立ち居振る舞いを見せ、舞台狭しと暴れ回る。彼女は舌なめずりをしながら辺りを睨み、舞台から客席へと飛び降りるのである。上半身はニプレス1つ、下半身もパンツだけ。客席の椅子を飛び越えながら、魔物のごとく吠えまくる。しかも、ご丁寧なことにこのシーンでは、舞台上から英仏日の3か国語でアナウンスが投げかけられるのだ。
「彼女は危険です! 振り向いて見てはいけません!」
恋人と黄泉路を伴走するエウリディケのイメージを、追跡する魔性であるイザナミのようなイメージに書き換えてしまう、この日本的な発想の転換! これは面白いと思って見ていたら、そのほかの振り付けも非常にアジア的なニュアンスが濃い。インド舞踊のような手ぶりを披露してみたり、歌舞伎のような見得を切ったり、古代の蛮族ふう毛皮帽をかぶったり。女性が金色のフンドシのような衣装を着けていたり、男性ダンサーの一群が模造男根をつけてピストン運動を繰り返したりするところも、ちょっと土方巽的な艶笑が見え隠れするように見たが、どうだろう?
ギリシャ神話という古典中の古典を、野蛮で原始的なものとして捉え直し、半裸で汗まみれで猥雑に演じる。神聖不可侵にしてロマンティックな賛美の対象となってきた古典古代のイメージを笑い飛ばすこの舞台は、かつてイタリアの映画監督、ピエール・パオロ・パゾリーニが、ギリシャを主題にして撮った一連の作品群で描いた、野蛮でアジア的なギリシャ像を彷彿とさせる。そこにあるのは、まさに「振り返って見てはいけない」、禁断の古代のイメージなのである。
人体こそが冥界である
もう一つこの舞台で面白いと思ったのは、作品の冒頭と終盤に出てくる、対になったパントマイムである。冒頭では金色の小さなオブジェを女性が飲み込み、体をくねらせて嚥下する動作を見せ、パンツのなかから取り出してみせる。逆に終盤ではパンツのなかに金色のオブジェを押し込み、体をくねらせて体内で押し上げ、口から取り出してみせるのである。「下」の通過腔になったのはヴァギナか肛門か、そこはご想像にお任せします、というわけだ。そこではあたかも人体が、一本のチューブであるかのように捉えられているのである。
ほかにもこの舞台では、口から無限に長い紐状のものを取り出してみせるパントマイムや、口にオモチャの蛇をくわえて踊る様が、幾度も通奏低音のように繰り返されていた。どうやらマリー・シュイナールは「チューブとしての人体」というものに、奇妙なオブセッションを抱きながら、本作を作ったようなのだ。
Orphée et Eurydice / Orpheus and Eurydice |
Orphée et Eurydice / Orpheus and Eurydice |
ダンサーたちが開陳する、この奇妙な「人体=チューブ論」を見ているうち、ふと思ったことがある。それはチューブ状の人体、なかんずく女性の胎内こそは、オルフェウスとエウリディケがくぐり抜けた、冥界の正体なのではないか、ということだ。男は詩という呪言を唱え、そのエロティックなチューブのなかへ入り込み、そこから新たに転生を遂げる。だが、自分の生まれたその「不気味なるもの」の場所、母の胎内を、人は決して振り返って見てはならない……。
逆に言うとこの神話からは、古代のギリシャ人たちが詩に対して持っていた、ある種の暗いイメージを伺うことができる。古代ギリシャ人にとって詩というものは、単に美しい言葉の連なりではなかった。詩とは、そのエロティックな魔力でもって、冥界的=母胎的チューブへと入り込む、魔術的な言語技術だったのだ。オルフェウスの語る詩は、そうした詩の根源的な「暗さ」を物語るものだったと言える。かつてプラトンは詩人を国家から追放したけれど、そこにはこうした「詩の性的魔力」への恐怖感があったのだろう。太古、詩とは性的で魔術的な危険を秘めた、禁断の呪言だったのである。
かように連想は膨らむいっぽうなのだが、要はこうした妄想が、次から次に湧いて出るほど、この日の舞台はエロティックで無軌道で、汗まみれの男女の若い肉体が激しく乱舞する舞台であった、ということだ。特に男性ダンサーの肉体はよく鍛えられていて、背面立位でのセックスのように、女性ダンサーを持ち上げて舞台を闊歩し、美しい筋肉のうねりを見せていた。まさに眼福、と言わねばなるまい。
大理石のようなエロス
とはいえ、私は少々この公演のエロティシズムを強調しすぎてしまったかもしれない。実際のところ、この公演にはセクシーな身振りが溢れていたが、性的な不潔感は一切なかったからである。そこでは性的連想をさせる動作の一つひとつが、あたかもヒエログリフのように様式化され、ダンサーたちはあるポーズから次のポーズへと、訓練された肉体を小気味よく動かしていた。それは肉体の表意文字で彫り込まれた、碑文のように硬質のエロティシズムであったと言える。
ちなみにダンス評論家、武藤大祐氏のブログによれば、マリー・シュイナールは東京公演の終演後「彫刻家が大理石を愛するように、自分はダンサーを愛している」と語ったそうだ。それにしても「大理石のように肉体を愛する」とは、なんとギリシャ彫刻的な感覚だろう!
グローバル化がいかに進んだとはいえ、日本人と西洋人では、思考や感性のOS部分に、まだまだ大きな違いが残っている(マリー・シュイナールはカナダのケベック州出身)。こうした思考のOSの差異が、ふと肉体を介して見えてしまうのが、ダンスの面白いところである。マリー・シュイナール、また次回作を見たくなる振付家だった。
Orphée et Eurydice / Orpheus and Eurydice |
マリー・シュイナール『オルフェウス&エウリディケ』
2009年2月11日(水)滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール
樋口ヒロユキ(ひぐち・ひろゆき) 美術評論家、朝日カルチャーセンター講師、大阪コミュニケーションアート専門学校講師。1967年、福岡県生まれ。芦屋市在住。関西学院大学文学部美学科卒。『AERA』、『美術手帖』、『デザインの現場』、『TH』、『週刊金曜日』などに執筆、単著に『死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学』(冬弓舎)。共著に『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)、日本はどうなる2007』(金曜日)。7月に東學らとの共著『絵金 祭になった絵師』(PARCO出版)刊行予定。http://www.yo.rim.or.jp/~hgcymnk/
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