2009年06月27日

F(ビギナークラス) コンテンポラリー・ダンスって何? どんなことするの? そんな疑問に応える、毎年大好評の通称「サラダ・ボール・プログラム」。ダンスに興味ある方へのイントロダクション・レッスンです。世界で活躍する「暑い夏」人気講師による様々なスタイル、考え方のダンスに触れることができるプログラム。ワークショップ終了後には講師との交流の場「アフタートーク」。そして、講師とスタッフ&有志による「懇親会」へと流れ込みます。身体的にも知的にも刺激的な〈場〉です。


はじめに
ダンスのワークショップに参加しているというと、多くの人から「へえ、亀田さん、ダンスやってるんだあ」という声をもらう。この短い言葉にはいろいろなニュアンスが含まれていると思う。「ダンス」という自分とは縁遠い世界に目の前の人が関わっていたという驚き、どうにも踊れるようには見えない亀田という人物がダンスに関わっているという驚き、もっと言えばワークショップという言葉、ダンスにワークショップという場があるということを知った驚きということも含まれているかも知れない。ここではあえて「関わり」という表現を使ったが、「ダンスのワークショップに参加している」という言いかたは私が「ダンスのワークショップに参加できるだけの踊れる身体能力を持った人物」であると思われることは自然だし、ダンスのワークショップに参加して「踊る以外に関わりようがない」ではないか、という想像も当然あると思う。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、私はダンサーではない(どういう人がダンサーかという定義はここでは深堀りしない)。会社員を続けながら、ダンスを言葉で追いかけること(ダンス評論)を軸にしている人間である。そんな私がダンスのワークショップに参加している理由は2つある。1つは鑑賞行為だけでなく、自分の身体を動かしてみて得られる身体感覚からもダンスを言葉にしたいと考えるからである。2つめは社会人として生活をしていて感じている疑問や問題意識のヒントになることがダンスの中には存在していると推測するからである。この2つを自分の中に取り込むということが、やや大げさな言いかたになるが「ダンスと社会をつなぐ」ことだと考えている。私は「ダンスと社会をつなぎたい」という大胆不敵な想いを抱いてワークショップに参加しているのだ。

はじめて舞台でダンス作品を見た日、内容はまったく理解できなかったが、ただただダンサーの身体の美しさに感動した。その日から何か自分の求めるものがダンスにあるように感じ、ダンス作品を鑑賞するようになった。ダンスを見ていると自分の日常にくすぶっていた疑問を解くカギが眠っていると感じたからである。そしてダンスを言葉にしながら、見つけたカギを周囲の人にも知らせたいと思うようになった。まったくのお節介だと思うのだが、結果的にそれがダンスやダンスを取り巻く環境にプラスになり、ダンスにふれたことのない人にダンスを好きになってもらうきっかけになればと思い描いている。

今年で14回を数える「京都国際ダンスワークショップフェスティバル」には、ダンサーだけでなく私のように「ダンスの力=生活の中のモヤモヤを解くカギ」を求めて参加されている方もいる(*別途アンケート解析結果をご参照下さい)。そしてダンスを言葉にしようとする人たち(=ドキュメント班)がいる。今回のレポートは参加したワークショップのいくつかを比較しながら、ダンサーではない人がダンスのワークショップに参加することがどういうことなのかについて追いかけてみたいと思う。もちろん、ダンサーのみなさんに読んでいただいても参考になるような内容になることをめざして。



ダンスのワークショップってどんなことをするの?
私が毎回参加しているのは「ビギナークラス」と呼ばれる初心者対象のクラスである。このフェスティバルは約1ケ月間にわたってさまざまな講師がいくつかのパートに分かれてクラスを担当している。主なパートは下記のとおりだ。

A ダンスメソッド
B ボディワーク/ベーシック
C クリエイション
D コンタクト・パートナリング
E メディアとダンス
F ビギナークラス
G こどもとおとな

このパートの中でさらにレベルに応じたクラス分けがなされたり、海外公演に参加するためのオーディション対象のクラスなどが設定されている。参加者は自分のニーズにあったパートを選んで参加することが出来るのだが、ビギナークラスには各クラスの講師がほぼ日替わりでクラスを担当する。私がこのクラスを非常に興味深いと感じるのは講師がどのようにビギナーをダンスの入り口に導くのかを比較しながら体感できる点である。ダンスの入口は講師によって当然違う。その違いが講師のダンスに対する考え方につながっているといえるし、多くの入口が存在していることを知れば、参加者はダンスに対してより自由にアクセスできるようになると思う。また一方で、講師やアプローチが違っても共通する「何か」をその場に感じることがある。一体感や達成感……そんな言葉だけでは表現しきれない、もっと根源的に自分を喜ばせるような、「何か」。私にはこれこそがダンスの持つ大きな力にふれた瞬間なのだと思われてならない。ビギナークラスのダンスのワークショップに参加することの意義の1つは、自分や他者の身体と向きあいながら、それぞれの講師から差し出されるダンスの根源的な力を体感することがあると思う。



さまざまなワークを通して、さまざまな自分を知る
4月29日(水)キース・トンプソン (USA / N.Y. アメリカ合衆国/ニューヨーク)
prof_kieth恵まれた身体的資質に裏打ちされた伸びのあるダイナミックな動きが多くの人々を魅了する。骨格や筋肉の構造に正確に、無理なく動くことで生まれる軽やかな動きの中に、ハッとするような驚きやウィットが込められている。アメリカとヨーロッパ各地でダンスを学んだ後、リリーシング・テクニックの先駆者として有名なトリシャ・ブラウン・ダンス・カンパニーで10年間踊る。その間リハーサルディレクターも務め、現在TBDCでWSを継続する他、アメリカ・ヨーロッパ各地で指導を行うなど優れたダンス講師である。’06年、自身のカンパニー“dance Tactics”を設立。
この日のキースのクラスは、前日から引き続いての2回目。ワークは前日の流れを踏まえて行われた。私は初日ということもあり、緊張感をぬぐえないままワークに参加。いつもそうなのだが、普段ほとんど身体を動かすことのない生活を送っていることや、実は非常に運動能力に対するコンプレックスが高いことなどから、ワークの滑り出しは緊張感とコンプレックスとの葛藤の中でのワークになることが多い。「どうして参加しちゃったんだろう?」「自分なんかが参加していていいのかなあ」「わーん、どうしよう、帰りたいー」

ひとことに「ダンスってこんなもの」と言うことは難しい。ダンス作品は振付という動きの連続を組み立てる作業を行うことがほとんどだが、私はこの「振付」というものについて、とても苦手意識が強い。右腕を出して次は左足をクロスして……。身体を動かしながら考え出すと思考回路と運動系統が連携出来ずに凍りついてしまうのだ。

f-keith1 f-keith2

キースのクラスでは主に身体の自然な運び方を学ぶことで、身体に負担をかけない振付の基礎を学ぶというものだったように思う。背骨や関節の動き、それらを意識的に動かすワークを体験した。例えば立ったまま上半身を前に曲げ、ゆっくりと起こしていくときに背骨の1つ1つが順番に動いていくようにイメージするなど。意識しないで乱暴に起きあがったときと比べて、とても心地よい感覚が残る。背が伸びたような、と表現してもいいかもしれない。他には床に寝そべりながら肩や股関節、膝などが自然に連動するような動きを経験しながら、そのいくつかの動きを連続していく……、のだが、私にはこの段階でついていけなくなってしまった。前述したように、自然で効率のいい身体の運び方を忘れてしまった生活をしているのでキースの教えてくれている動きと逆の動きを無意識にしてしまい、動きづらくて戸惑い、戸惑っている間に次の動きになり、さらに動けなくなって……、という悪循環に陥ったのだ。

ワークショップに何度か参加していると、ときおりこういう状態になることがある。もちろん、これは講師が悪いわけでもないし、自分にも責任はないと考えている。自分の不得意なパターンに気付くことで見えてくる事実があるし、ダンスの持つさまざまな側面にふれたよい機会だともいえる。クラッシックバレエなどのレッスンを受けてみれば、舞台上ではおだやかな笑顔で踊っているバレリーナたちがどのくらい驚異的な動きをしているのかを痛感するのと同じで、ダンサーが易々と踊っているその背後にどれだけ厳しい訓練があるかを伺い知ることが出来るからだ。大切なのは、ここで落ち込んで終わることのないように他の経験者と体験をシェアし、それがダンスの入口のすべてではないと知ること。ワークショップには多くの参加者がいる。多くの人と体験をシェアすることで、1つのワークを何倍もの実り豊かなものにすることが出来るのだ。

5月1日(金)エリック・ラムルー (France/Caen フランス/カーン)

prof_ericカーン国立振付センター芸術監督。カンパニー・ファトゥミラムルーをエラ・ファトゥミと共同主宰する。優れた身体能力に裏付けられた大胆なムーブメントと、高い音楽性に支えられたロマンティシズム、そして実験精神に基づいたオリジナリティーの高い振付/美術で、’90年バニョレ振付家コンクールに『ユザイス』でデビューするや、アヴィニヨン演劇祭、リヨンビエンナーレなど一躍注目を浴び、国際的に活躍している。’99年フランス政府派遣アーティストとして関西日仏交流会館に滞在。『芸術祭典・京』(’99)「コーチング・プロジェクト」(’04/京都芸術センター)に作品提供するなど日本にも縁が深い。現在、日、仏、コンゴ3カ国共同製作作品を企画中。オーディションのためにエラ・ファトゥミも来日する。
私自身の状態としては初日の小さな落ち込みもあり、まだ緊張感は取り切れていなかった。「また動けなくなったらどうしよう。わーん、帰りたいー」。また性懲りもなくそんな逃亡妄想を内心描いていた。しかし、エリックのワークはものの見事にそうした緊張感を払拭してくれた。

ワークの開始時間になると、いきなりアップテンポの元気な音楽が流れ出した。やや厳しい表情に思えたエリックが大きな明るい声で参加者に声をかけていく。エリックの言葉は英語だが、ほどなく通訳者の方が日本語で伝えて下さるので大丈夫。「はい、歩きまわって」。そう言いながら音楽のリズムにのって身体を軽くゆすりながら自ら会場内を歩き回るエリック。「え? ああ、歩くのね……。何かノリノリだなあ(笑)」。私も歩き出す。軽く身体をゆらしながら歩くだけで3分も続けると汗ばんでくる。動きの傍らには音楽のリズムがいてくれるので、そこに意識をゆだねることができれば身体をどう動かせばいいかという思考回路に巻き込まれることがない。両肩を前に出しながら少し背を曲げて歩いたり、戻したり、エリックの大きなかけ声で不安がポンと出ていった。

エリックのワークは意図してビギナーの緊張感を取り去っていたように思う。具体的に紹介すると、輪になって自分の名前を大声で言う、もしくは耳をすまさないと聞き取れないほどの小さな声で言うなど、両極端な状態を行き来させるワークをはじめの段階で導入し、参加者を緊張状態から解放されたニュートラルな状態に導いた。緊張していると思うように動けないことはダンス以外でも経験することだが、やはり新しいことを体験するときにはニュートラルな状態にした方が吸収しやすいと思う。エリックのこのアプローチは緊張しやすく思考優先になりがちな私のようなタイプにはとても合っていたように思う。

他にエリックは両極端の状態を風船を使って具体的に示すことも試していた。実際に風船に息を吹き込んで手放し、大きく膨らんだ風船が小さくしぼんでいく様子を参加者にイメージさせて動きに取り入れていった。参加者の「楽しい」という気持ちを引き出すこと、「考える前に動いてしまうレベル」のワークが用意されていたことなど、エリックのダンスの入口はわかりやすく楽しいものだった。

あまり身体を動かさず机上で仕事をすることが多い日常生活を送っていると、自分の身体を動かすことにさえ頭デッカチになってしまう自分がいるのだとキースのクラスで気づいたが、エリックのワークでは「楽しい気持ちが先に出てくれば」私のようなタイプの人間でも心から楽しく動けるということが分かった。キースのクラスでもごいっしょだった通訳の方がエリックのクラスのあとに目を輝かせながら話しかけて下さった。「今日、とってもキレイな動きをされていましたね! 本当に風船みたいに見えましたよ」。風船のような自分を想像しながら、少し赤面してしまったが、彼女の反応から自分の変化を感じることができてうれしかった。同じ人物でも、アプローチが違うとこれほどまでに変化するというのも、ダンスの多様さを物語っているように思う。

photo: K.Daikai
photo: K.Daikai

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5月2日(土)ヌノ・ヴィザロ (France/ Anger フランス/アンジェ)

prof_nunoアンジェ国立振付センター附属コンセルバトワール講師。リスボンにてコンテンポラリー・ダンス、即興を始める。’90年よりポルトガルの数名の振付家の作品に参加。近年はベルギー、ドイツ、フランスにてグザビエ・ルロワ、ボリス・シャルマッツ、メグ・ステュアート、マチルド・モニエなどの現在ヨーロッパで最も先鋭的な作家の作品に出演し、エマニュエル・ユインとはいくつかのコラボレーション作品を創作している。フェルデン・クライス・メソッドに精通し、パリで定期的にダンス指導に従事している。
ヌノはB(ボディワーク/ベーシック)のクラスを担当していた。彼はフェルデンクライスというメソッドを使って自身の身体を深く見つめる(耳をすませる)ワークを展開していく。「見つめる・耳をすませるワーク」といっても瞑想のような精神的な部分に焦点を当てたものとは異なっている。身体は当然なのだが、手も足も腰もみんな1つに繋がっている。しかし、私たちの日常生活では案外この感覚は忘れられている気がしてならない。例えば今、こうして原稿を書いている私の行為も意識は指先とパソコンの画面に集中していて(もしくは肩がこったなあ、腰が重いなあといったことも感じている)くらいで、指先が文字をタイプしているときに左足の小指がどうなっているかについて考えることなどない。しかし実際はどうだろうか。同じ人物の身体において指先が動いているときと止まっているときとでは、全身の状態は程度の差はあれ何らかの影響を受けているはずだ。

ヌノのワークの前半は床に横たわり、静かに進んでいく。例えば左半身を床に伏せ、右肩をゆっくりと上下させたときの全身の状態を観察するようなワークでは、参加者は目を閉じゆっくりとそれぞれの右肩を上下させ、そのときの左足の指先や腰や胸やそれぞれがどうなっているかを静かに観察……、見つめる、耳をすませる。日常、部分的に身体を使う意識しか持っていない人ほどこの作業が難しくなる可能性はあるが、それでもこの独特な静かな時間を経験することは大きな経験になると思う。ワークは右半身だけに対して集中的に行ったが、ヌノによれば、左右両方行わなくても同じ効果があるとのこと。右をやったから左もやらなくちゃだめ……、ということでもないらしい。

photo: K.Hanako
photo: K.Hanako (B-1)

photo: ojee
photo: ojee

静かな時間から一転、後半は参加者みんなで遊ぶようなワークだった。しかし一貫していたのは「感覚を研ぎ澄ませること」だったと思う(ビギナークラスでは参加者の多くが初めての経験をする人が多いため、こうした一貫したものがないと混乱を生じてしまう。ワークをクリエションするには、ダンサーとしての豊かな経験とダンスへのきちんとした考え方を持っていることが要求される)。楽しいワークのはじめは全員が目を閉じ、会場内の「あの場所に行こう」とイメージした場所まで移動するというものだった。目を閉じたままなので当然おそるおそるになるが、なるべくサッサと動くようにとの指示がされる。こうなると考えてもムダなので、感覚だけが頼り。目を開けて現在位置を確認したときのイメージと現実のギャップに参加者からは驚きの声があがっていた。

ダンスが日常と非日常を行き来する身体を必要としているのだとしたら、ワークショップはそのためのスイッチを開拓する場所とも言えそうだ。身体にはまだまだ私たちの知らないたくさんの可能性が潜んでいると思う。その1つ1つを開拓していくことはダンスのみならず、社会生活においても魅力的ではないだろうか。「身体はおもしろい」。ワークに参加するたびにそう実感するし、そんな身体を使っておもしろいことがしたいと思う。ダンスはもちろん、会社の仕事も、家での仕事においてもいろんな身体を楽しんでみたいと思う。FAX送信しているときに左足の小指がどんなことを感じているのかなんて、本当は必要のない感覚かも知れないが、下らないことを考える心のゆとりがあってもいい。部分ごとに独立していると錯覚しがちな身体が、実は1つに繋がって影響しあっていると感じたとき、この世界も同じように互いが影響しあっていると思えてくる。部分的な思考から、全体が連携していると意識することで、世界を見る視点まで豊かに……。もちろんここまでくれば個人的な妄想になってしまうが、それはそれで大きな気づきになるように思う。身体全体を思いやる気持ちは、大らかな視点を与えてくれる……。ヌノのワークからは、そんなことに気付かされた。



これは、ほんの一例だけど

今回は3つのワークショップを並べて記録することで、主にダンサー以外の人にとっての参加意義を探ってみた。もちろん、ここに示された事例は私個人の一例であってすべての人に適用されるものではない。しかし、ダンスにふれた実践事例としては有効ではないかと考えている。なぜなら、本文の中でもふれたようにアプローチやレスポンスは個人によってさまざまだが、ダンスの持つ普遍的な力は突き詰めていけば多くの人に共通する部分があると感じているからだ。ここにあげられた小さな事例をきっかけに、ダンスの魅力が理解されるように願っている。

このフェスティバルに参加された講師や参加者、スタッフの方々に心からの感謝と親愛をこめてこのレポートを終えたいと思う。楽しかった、ありがとう!



おまけ
このフェスティバルでは、ビギナークラスのあとに「アフタートーク」を実施している。役不足ながら私もその場の進行(ナビゲーター)を務めた。これらについて少しだけふれたい。

ダンスのワークショップだから「身体で感じればいい」という考え方は当然あると思う。しかし、一方で自らの体験を言葉にすることで得られる新たな刺激(=感覚を知覚に変換する作業)を参加者みんなでシェアする体験も有効ではないかと事務局では考えている。私もこの考え方には大きく賛同している。ダンスに限らずアート作品などの鑑賞はごくプライベートなものだし、せっかくの感動をわざわざ言葉にしなくてもいいじゃないかという考えもある。だが、ワークショップという同じ興味関心を抱いた人が集まるという貴重な場をさらに豊かにする取組みの1つとして「アフタートーク」があってもいいのではないだろうか。今回のフェスティバルのテーマは「Body Wisdom–身体の叡智」だ。叡智([1] すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。[2] 哲学で、物事の真実在の理性的、悟性的認識。また、それを獲得しうる力)。……やや難しい言葉だが、人類の叡智というものは個人だけの力では生まれてこないと私は思う。みんなが小さな想いを出しあい、それらが積み重なってこそ叡智が生まれてくるはずだ。

今年のアフタートークの新たな取組みとしては、ファシリテーション(*1)グラフィックを取り入れ(日本ファシリテーション協会に所属されている参加者の方のご協力をいただきました)トークの様子を記述。トーク後に壁新聞のように会場内に張り出した。これを見ると、楽しかったワークの模様が再確認出来て、参加者には良い振り返りの材料になったようだ。また、参加出来なかった人たちにとっては雰囲気をうかがい知る参考資料にも(昨年もナビゲーターを務めたが、今回の進め方はワークでの経験をシェアするときには非常に有効だと感じた)。

ダンスを多角的な視点から、さまざまにアプローチしていくこと。ダンスが活性化し、さらにはダンスを取り巻く環境も成長していければと思う。ささやかながらその一助となるよう今後も努力していきたい。

当日の流れ 1. はじまりのあいさつ(どうしてアフタートークをするのかについてのお話をほんの少し)
2. 参加者に1グループ3~4名単位に分かれていただき、今日のワークの振り返り
3. グループごとに出た感想や意見、質問などを出し合う+講師からレスポンス
4. おわりのあいさつ
5. 有志で飲み会へ
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*1 「ファシリテーション(facilitation)とは、「促進する」「容易にする」「円滑にする」「スムーズに運ばせる」というのが原意です。人々の活動が容易にできるよう支援し、うまくことが運ぶように舵取りするのがファシリテーションです。具体的には、集団による問題解決、アイデア創造、合意形成、教育・学習、変革、自己表現・成長など、あらゆる知識創造活動を支援し促進していく働きを意味します。またその役割を担う人がファシリテーター(facilitator)であり、日本語では「協働促進者」または「共創支援者」と呼びます。分かりやすく言えば、裏方で黒子のリーダーです。会議で言えば、メンバーの参加を促進し、プロセスの舵取りをする人がファシリテーター(進行役)です」(日本ファシリテーション協会HPより引用)。ファシリテーショングラフィックは会議を円滑にするために用いられる記録手法の1つで、ライブレコーディングとも言われています。
亀田恵子(かめだ・けいこ)
大阪府出身。2005年日本ダンス評論賞第1席受賞、評論活動をスタート。2007年京都造形芸術大学の鑑賞者研究PJT.に参加、Arts&Theatre→Literacyを発足。会社員を続けながらアートやダンスを社会とリンクすべく模索する日々。
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