2010年04月3日

日時:2010年4月22日(木)23日(金)19:30
   2010年4月24日(土)25日(日)17:00
   * 受付開始は開演の30分前、開場は開演の15分前。
会場:京都芸術センター フリースペース
料金:【一般】前売2,500円 当日3,000円
   【学生】前売2,000円 当日2,500円
URL:http://www.kac.or.jp/bi/297
『あたしちゃん、行く先を言って−太田省吾全テキストより−』2010年1月(撮影:青木司 )
『あたしちゃん、行く先を言って−太田省吾全テキストより−』2010年1月(撮影:青木司 )

テクスト:ジャン・ジュネ
構成・翻訳:宇野邦一
演出:三浦基
出演:安部聡子、山田せつ子

ジャコメッティのアトリエを基点に展開される特異な美術論『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』。ジュネの残したほとんど唯一と言ってよい演劇論『……という奇妙な単語』。パレスチナ人の無数の死体、虐殺の現場へ数少ない目撃者として訪れることになったジュネによる記録『シャティーラの4時間』。本作品では、この三篇を主にとりあげ、宇野邦一による新訳で構成します。いわゆる物語や登場人物とは無縁なこの三篇をもとにするということは、ジュネの言葉を通してジュネを照射する、三浦基の「ジュネ論」を導くことになるでしょう。

三篇に共通して描かれるのは〈死〉のイメージであり〈死体〉です。あるときは創造の源となる豊かなイメージを差し出すものであり、あるときはただ残虐な、あるときは演劇の拠って立つところのものとして繰り返し言及される〈死〉。本作品では、ナイーブというよりむしろ即物的に〈死〉をとらえ、〈死体〉としての身体を考察することで、ジュネの思考をたどりたいと考えます。そこには、ジュネの夢想した演劇のかたち、さらには非権力への志向が浮かびあがります。

脳死は人の死なのか―。他者の〈死〉さえ把握しかねる私たちにとって、ジュネが提示するもの、その鮮烈さ、未だ解決されない問題への鮮やかな切り込み方こそが、圧倒的な魅力を放つものであり、劇場を興奮に誘うものであるはずです。




—「制作室」発、実験的な2つの舞台公演。
京都芸術センターでは、芸術の新たなあり方を追求する芸術家の活動を支援するため、〈制作支援事業〉として、元教室を改修した12の「制作室」を審査のうえ無償で提供しています。使用期間は最長で3ヶ月。年間で50を超える劇団やダンスカンパニー、各ジャンルのアーティストたちが、制作室で創作活動に励んでいます。制作室使用者には、当センター以外での成果発表が求められます。

このたび、開設10周年を記念して、当センターでの本公演の機会を提供しようと、過去5年間の使用者を対象に企画を募りました。期待されたのは、制作支援事業10年の積み重ねに見合う質と、「芸術の新たなあり方を追求する」姿勢を併せもつ企画。17件の応募があり、運営委員会における審議の結果、ダンスカンパニー「セレノグラフィカ」と劇団「地点」による公演を実施することとなりました。

言葉、身体、光、物の質感といった要素を緻密に織り込み、重層的な作品世界を生み出してきた地点は、『誰も、何も、どんなに巧みな物語も』に山田せつ子を迎え、ダンサーと初めての共同作業を行います。ジャン・ジュネによるテキストを手掛かりに、ダンス/演劇という二分化を超えた表現の可能性を探ります。

開設当初より当センターの制作室で創作活動を行い、常に実験的な作品を送り出してきた2組が提示する、舞台芸術の現在進行形をご覧ください。
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