2009年07月26日

チラシ画=横山裕一
チラシ画=横山裕一
構成・演出/高嶺格
出演/いとうあやり、入山明日香、河原加奈、北島由委、木村敦子、郷坪聖史、たけむら千夏、吐山若奈、宮階真紀、前田美留加、松岡由佳、峯奈緒香、三鬼春奈、宮仁介、三輪さなぎ、森松あすか、諸江翔大朗、山本早織、和田由紀子

舞台監督/葛西健一 
音響/山中透 
照明/西崎浩造(エスエフシー)
映像/小西小多郎 
舞台監督助手/磯村令子 
音響助手/奥村朋代 
小道具製作/中村仁
映像記録/木村隆志 写真記録/竹崎博人 
制作/向井智子(アイホール) 小倉由佳子
プロデューサー/志賀玲子
協力/j.a.m.Dance Theatre 村上健司 和田竜彦
主催=伊丹市 財団法人伊丹市文化振興財団
助成=(財)地域創造 アサヒビール芸術文化財団
平成19年度文化庁芸術拠点形成事業




心霊写真と戦場と弔辞
この公演は伊丹アイホールが制作するシリーズ企画「ワークショップ&パフォーマンス」の一環として上演されたもので、一般公募で出演者を応募し、ワークショップを経て作品を製作するというものだ。今年は10度目の公演で、一昨年はダンスパフォーマンスグループ「BABY-Q」主宰の東野祥子、昨年は演劇ユニット「チェルフィッチュ」の演劇作家、岡田利規(おかだ・としき)が演出を担当。そして今年、演出を手がけたのが、美術作家/パフォーマーの高嶺格(たかみね・ただす)である。

今年の公演参加者は19名、自己紹介から始まるワークショップは約100時間に及び、製作過程では参加者どうしの間を頻繁にメールが行き交う。高嶺がモチーフを投げかける場合が多かったそうだが、なかには参加者の発想が、そのまま使われた部分もある。たとえば出演者の着るコスプレふう衣装は、高嶺とはなんの打ち合わせもないまま、各自が自分で作ったものだ。つまり参加者の生み出した表現を、高嶺が自在に切り貼りして作った「行為のコラージュ」。それが本公演『リバーシブルだよ人生は』なのである。

タイトルから受ける印象を裏切って、その舞台は奇妙に暗いオープニングで始まる。開演前、客電(客席の灯り)だけが灯された会場のステージには、不規則な間隔で出演者の顔がスライドのように映し出される。ところがこれが全て下から照明を浴び、心霊写真かホラー映画のように撮影されているのである。

やがて会場が暗転すると、舞台袖のあちこちから、鬱々とした呻き声が聞こえてくる。どうやら全員が唸っているらしい。最初は低く、やがて次第に高まる唸り声とともに、出演者は1人ひとり両袖から出てくる。唸りは次第に高まって叫びとなり、人間の声量の限界に近づくが、ついにはその限界を超え、耳を聾さんばかりに高まっていく。直径1mはあろうかというパラボラ型の集音マイクが入場し、全員の声を拾っているのだ。絶叫はPAで拡大され、いよいよ場内で高まっていく。

やがて声が絶頂に達すると、出演者はステージ上に1人ずつ倒れ込んでしまう。真っ暗になったステージの上、死体のように累々と横たわる出演者。そして1人の参加者がパラボラからマイクを取り、何かをささやきだす。逆光を浴びて彼が読み上げるメモは、参加者が交わしたメールらしい。あるものは単に事務的な連絡、あるものは極度に観念的な芸術論。このおびただしい量のメールを、彼は猛烈なスピードで、だが全て無声音で読み上げていくのである。

ほとんど意味が取れないほどの速度で読み上げられるメール、そのはしばしに聴き取れるのは「戦場ジャーナリスト」という単語だ。戦争報道が「表現」と呼びうるかどうか、もしそれが表現なら倫理的に許されるのか、そして自分たちの表現は、戦争報道ほどの切迫感を持っているのか……。ステージに折れ重なる出演者に向かって無声音の読み上げは続く。出演者/戦死者への弔辞のように。

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ニュートンの予言と終末論的断章
やがて出演者たちは呻きながらゾンビのように立ち上がり、舞台は各自のソロ・パートへと進む。参加者1人ひとりが作り出したと思しきモチーフを演じていく、断章形式のパフォーマンス。だが、その行為のはしばしに、奇妙に終末論的な色彩が漂っていたのはなぜだろう? たとえば中盤以降、幾度か繰り返される「53年後」という言葉。この公演では実にさまざまな言葉が飛び交うが、この「53年後」という言葉は、そこだけスポットライトを浴びたかのように、微妙な違和感に隈取られているのだ。

公演中は「53年後」が何を意味するのか全くわからなかったが、終演後に高嶺に聞いたところ、この言葉はニュートンの「予言」に基づくのだという。ニュートンは「早ければ2060年に世界の終末が来る」と予言していたらしく、しかもこれが旧約聖書を「解読」した結果だったらしい。こうした背景は公演中には全く明示されない。だが「53年後」という時代が本当に来るかどうか疑わしくなっている現在、この言葉は何の説明もされなくとも、見る者に生理的な違和感を与えるのである。

もう1つは参加者が延々と語る「表象不可能性」についての考察である。もともと表象不可能性という概念は、ホロコーストを描いたドキュメンタリー映画『ショアー』(1985年、仏)を論じる際、盛んに使われた言葉である。9時間半にも及ぶこの映画は、ユダヤ人の虐殺を「表象」したものではない。全く逆に、虐殺の痕跡が時間の経過とともに失われ、表象できなくなっていく不可能性を描いたのである。だがこれもまた、こうした経緯を知らずとも、聞く者に違和感を感じさせる単語である。舞台芸術を演じている真っ最中に、どうして表象の不可能性を語る必要があるだろうか?

さらに異様なのは終盤近くに用意された、生々しい参加者のモノローグだ。彼女がこの公演に参加した動機を延々と読み上げるこのシーンは、もともと写真家として将来を嘱望されていた彼女が、その挫折を赤裸々に告白するものである。いわばアーティストとしての生命を一度終えたあとの佇まいを、見る者はまざまざと目撃するのである。

終幕、まるで宇宙戦争か何かのように、出演者がパラボラに向けてレーザー光を発射しながら踊り狂うスペクタクルが繰り広げられたあと、天井から巨大な金色のくす玉が降りて割れるところで、この公演は幕を閉じる。だが、その中から出てくるのは紙吹雪でも垂れ幕でもなく、主演者の1人である。嬉しくも楽しくもなさそうに、ただ単に垂れ下がるように彼女は出現する。本人がどういう気持ちで演じていたのか、私にはわからない。だが頭上から「垂れ下がる人体」は、少なくとも私には異様なものに映った。私には彼女が死体のように見えたのだ。

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セカイ系的世界のなかで救済を叫ぶ
戦争や大虐殺といった、表象不可能性の彼方の政治的・歴史的テーマと、きわめて個人的でドロドロとした、表現の挫折による内的葛藤。その両者が均等に断片化されて併置され、ホラー風の演出やオカルトまがいのニュートンの予言、コスプレふうの衣装で彩られ、レーザー光の乱舞で終わる。この舞台を私たちは一体どう見たらいいのだろう?

私自身はあまり好きな言葉ではないが、私はこの作品から「セカイ系」なるサブカルチャー用語を連想してしまう。90年代ごろからサブカルチャー全般に頻出しだした「セカイ系」の作品群では、主人公のきわめて内的な問題と、世界の危機やこの世の終わりなどの大テーマが、直結して描かれるのが特徴だ。たとえばアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』や、高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』のように。そこでは宇宙戦争や地球滅亡の問題と、主人公の内面のドロドロだけが描かれ、本来ならその間にあるはずの、地域や自治体、企業や政府といった、社会=経済的な中間項が欠落しているのだ。

セカイ系は意識的に形成されたジャンルではない。あるころからネット上で、いくつかの作品群が「セカイ系だ」と指摘されだし、気がつくとあの作品もこの作品も、セカイ系の定義にピッタリ当てはまることが判明したのである。つまりセカイ系という概念は、個別に無意識に生み出された作品群を、ネット上の匿名の論者が無軌道に論じる中で、なかば無意識的に編み出された概念なのだ。

本公演『リバーシブルだよ人生は』が、正確にはどういう経緯で作られたのか、そのプロセスを私は知らない。どの部分が出演者のアイデアで、どの断片が高嶺の発案なのかも、部分的にしか知らない。だがそれがネット上のメールによる会話で撚りあわされるうち、結果的にセカイ系の作品群とよく似た世界観を提示してしまったという事実に、私は奇妙な感慨を覚えてしまう。奇しくも今年、2007年には、『新世紀エヴァンゲリオン』の新作映画版3部作が公開されている。エヴァの初回放映から干支1回りを経て、セカイ系の価値観は舞台芸術にまで浸透したということだろうか。それとも人が無意識なままに表現を撚りあわせると、セカイ系の作品に近似せざるを得ないほど、この10年あまりで本当に世界の終末が近づいたのだろうか。

単に無責任な1人の舞台芸術の観客として、私は世界の終末が来ないことを祈るが、そのために何をどうしたらいいのか、まったく私にはわからない。世界の破滅に対する恐怖感と、きわめて個人的な問題だけを抱え、その両者を結ぶ中間項を欠いたまま、私は現在を生きている。恐らく世界中のほとんどの人がそうだろう。2007年の現在、人は好むと好まざるとにかかわらず「セカイ系的世界」を生きているのである。

Photo:竹崎博人

樋口ヒロユキ(ひぐち・ひろゆき)
評論家。『AERA』、『美術手帖』などに執筆。著書に 『死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学』(冬弓舎)。 ウェブサイト:http://www.yo.rim.or.jp/~hgcymnk/index.html
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