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砂連尾理/劇団ティクバ+循環プロジェクト 『劇団ティクバ+循環プロジェクト』

2012年09月8日

 作品というフレームには、とうてい収まらない。劇団名とプロジェクト名を足して”括弧”に入れてみせたタイトルは、まずはその事実を思い出させる。
 「障がいのある芸術家と障がいのない芸術家とともに行う芸術的実験」を掲げる劇団TIKWAが、ベルリンの演劇風景の一部をなすに至る道のり。「走りながら考える」スタッフワークで劇場のあり方を更新してきたDANCE BOXの2007年に遡るプロジェクト。ディスコミュニケーションも含む他者との拘わりを探求し、最近は人間という枠まで振り切ってどこまでゆくのかわからない振付家。「老いとダンス」という過去10年単位で考えても最もインパクトのあるテーマの世界的第一人者として、研究者の社会的な役割を変えてゆきつつあるドラマトゥルク。理系のキャリアはよくわからないけど、2011年の公演で絶妙のテクノロジーのかませ方をして、「障がい/健常」という二項対立に新たな次元を加えた天才ハカセ。・・・この調子で紹介してゆくと大変なことになる、知る人ぞ知る出演者たちそれぞれの道のりが、KYOTO EXPERIMENT 2012というフェスティバルに合流する。
 そこでは何語が飛び交うのだろう。劇場でカラダを耳のように澄ましたら聴こえてくるのだろうか。
 異言語の使い手たちに、プロジェクトとの関わりを振り返ってもらいました。

提供:KYOTO EXPERIMENT 2012
提供:KYOTO EXPERIMENT 2012

日時:2012年9月22日(土)-23日(日)
会場:元・立誠小学校 講堂
URL:http://kyoto-ex.jp/program/jareo_thikwa/ ☆9月23日(日)16:30-
フォーラム「身体/障がい/ローカリティ -劇団ティクバ+循環プロジェクトをめぐって」 元・立誠小学校 職員室


2011年3月5日〜6日の公演のプレビュー

対話—Thikwa+Junkan Project 2009〜2012

砂連尾理

 作品の基本コンセプトは異文化間における対話に加え、健常と障がいといった差異のある身体の対話です。私たちはThikwa+Junkan Projectの中で様々な対話を試みてきました。
それは例えば、
それぞれが母国語のみを使用する対話。
身振りを真似しあう対話。
握手をし続けることで展開される対話。
車椅子の人と健常者の対話。
車椅子とダンスの訓練を受けた人との対話。
これらの対話を通して私たちは、身体の違いや相手の感じ方の背景、それぞれの価値観を学んできました。しかし、このプロジェクトを始めて3年が経過し、今年の7月にベルリン公演を終えた今、改めて対話とはどういう事なのか、そこで繰り広げられてきたダンスとは一体何だったのかという根本的な問いに、私自身が突き当たっています。

 思えばこのプロジェクトを始めた2009年当初、対話というのは異なる文脈を持つ者同士が理解し合うための作業だと思っていました。また、対話や身振りを重ねることでお互いの理解が深まる、少なくとも自分自信は相手を分かるようになるのではないかと思っていたのです。実際にそれぞれが親しくなり、ある一定の理解が深まったことは確かです。しかし、同時に理解しようとしていることの不自由さに気づきはじめたのです。 

新しい対話についての妄想メモ。
最初は、お互いがただただひたすら喋り続ける対話。
その次は、相手の言っていることに耳を傾けられるようになる対話。
そのまた次は、言葉がなくなり、身振りだけの対話。
そのまたまた次は、身振りもなくなり沈黙の対話。
そのまたまたまた次は、身体が消えかかり輪郭だけで交わす対話。
そして最後は、存在が消滅しあうことで響き合うような対話。

 対話をするためには、どうやら対話する身体=ダンスを一旦放棄しなければならないのかもしれません。対話の彼方へと向かうThikwa+Junkan Projectはますますカオスへと向かっています。

砂連尾理(じゃれお・おさむ) JAREO_small振付家・ダンサー。1991年、寺田みさことダンスユニットを結成。近年はソロ活動を行い、舞台作品だけでなく臨床哲学者や、映像作家、情報・ロボット工学者と様々なプロジェクトを行う等、ジャンルの越境、文脈を横断する活動を行っている。2002年7月「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2002」にて、「次代を担う振付家賞」「オーディエンス賞」W受賞。2004年度京都市芸術文化特別奨励者。2008年度文化庁・新進芸術家海外留学制度研修員。立命館大学、神戸女学院大学、近畿大学非常勤講師。http://www.osamujareo.com/

ベルリン研修中のことを寄稿いただいた「ベルリンゆらゆら日記」




「わからない」を楽しむという豊かさ

望月茂徳

「わからない」を楽しむという豊かさを感じている。

 正確に言えば、「(はじめから)わからない」と「わかっていたつもりだけど、わからなくなってきた」ということのふたつがあって、僕は『劇団ティクバ+循環プロジェクト』に舞台美術として参加することで、このふたつの「わからない」に戸惑いを含めながら向き合ってきた。

 例えば、『劇団ティクバ+循環プロジェクト』ベルリン公演の制作のために、飛行機の長旅は苦手なんだよな、と思いながらえっちらおっちらと到着して、先に入っていたメンバーの稽古を見学し、今日はこの辺で、じゃあ、ご飯でも、と食べに行った時に、どのビールを頼むべきか、という「わからない」。豊富な種類もそうだし、ドイツ語でなんて書いてあるのか、注文の仕方はどうするのか。前者のタイプの「わからない」。

 それで僕は、ドラマトゥルクの中島さんが注文しようとしているビールの、その名前の響きと、私はこれを飲むんだ、という中島さんの軽やかな決意に、じゃあ、僕も、と乗っかることから始めてみた。あっ、美味い。でも、1杯、2杯と重ねていくうちに、他のも…という気持ちになる。そうすると、どれがいいのか、そもそも僕はどんなビールが好きだったんだっけ?という、後者の「わからなくなってきた」に、吸い込まれていく。

 ビールの件は、さておき、わからないということは、大事な出発点であると思う。僕が勤務する大学教育の場で、専門知識と技能を学生に教授すること、も重要だけど、一方で、わからないことを探すことの重要性も感じている。わからないことへの問いかけ。ユニークで興味深い問いかけは、必ずユニークで興味深い答えを引き出す。それが、次のユニークで新しい「わからない」へと連鎖し、「わからない」と「わからなくなってきた」の円環は、らせん階段のように、いつのまにかより遠くの地平を見渡せる高みに登らせてくれる。

 『劇団ティクバ+循環プロジェクト』に2011年の滋賀、神戸公演から初めて参加させていただいたときは、本当にわからないことばかりだった。例えば、「障がい者、健常者」「ドイツ、日本」といった掛け算のパラメータがあったり、「福祉、芸術」という枠を超えたいという砂連尾さんや中島さんの文脈を僕は把握しきれていなかったと思う。そもそも、舞台芸術って一体なんだろうか。更には、僕が専門としていたインタラクティブ・メディア研究も、ちょうどわからなくなってきたという個人的な背景もあった。そんな、インタラクティブな舞台美術として参加するという「わからない」尽くしでもあったように思う。

 2012年のベルリン、京都公演に向けて、僕なりの出発点として始めてみたいと思ったことは、パフォーマーの福角さんが操る車椅子だった。2011年の公演を見ていて、2つの「わからない」を僕の中に引き起こした、ダイナミックに急発進・急停止、回転し、緊張感と共にリフトアップしつつ、繊細に軌跡をなぞる、その車椅子の「ダンス」。そして、機械性と身体性の魅力を両性的に持つその姿のカッコよさ。インタラクティブ・メディアを専門としている自分なりの対話の取っ掛かりとして、車椅子というテクノロジーが福角さんと共に在ることを考えることから始めてみた。
車椅子DJシステムで考えていることを図にすると・・・
車椅子DJシステムで考えていることを図にすると・・・

 一般的に、テクノロジーとは何だろうか。ひとつは、できなかったことが、できるようになる、という可能性の開拓だろう。そういう意味では、車椅子は、自律的な移動を可能にするテクノロジーである。だけれども、移動能力の単純な補完ではなく、車輪というテクノロジーは、従来の身体が持たない動きやダンスを可能にする。これは、車椅子が身体の拡張と考えて良ければ、「障がい」という観点を転倒させもしている。つまり、車椅子に乗らなくてはいけないからこそ、できることがある。こんな風に、テクノロジーがモノの見方を変えることができる、そんなことを『劇団ティクバ+循環プロジェクト』の中に埋め込んでみたい。かくして、車椅子は、車輪をレコード盤に見立てた「車椅子DJ」に、秘密の回転センサーとプログラミングによって改造された。そして、この車椅子DJを媒介に、『劇団ティクバ+循環プロジェクト』に関わるみなさんと別の対話をはじめることができている。

 インタラクティブ・メディアを用いた舞台美術。と、それを媒介としたメンバーとの対話。今、もう一つわからなくなってきていることがある。舞台を見守る観客とも対話ができないだろうか。実は、インタラクティブ・メディアは、それに直に接している人とそうでない人で、対話の温度差が激しい。そういう意味では、舞台美術として向いていないとも言える。でも、そのテクノロジーが持つ視点の転換力に僕は期待したい。今、うまくいくかわからないけど、それを出発点とする新しい試みを京都公演のために準備し始めている。

 舞台制作に関わらず、生きていくことって大体「わからない」だらけだ。僕らは日々決断に迫られて、「わかったこと」にして生きていく。でも、わからないことが内包する豊かさを、もう少しだけ味わい、勇気をもって「わかっていたつもりが、わからなくなってきました」と言い合えるように、なりたい。

望月茂徳(もちづき・しげのり) mochizuki_small1977年生まれ。筑波大院、博士(工学)。2005年、独立行政法人 情報処理推進機構より「天才プログラマー/スーパクリエイタ」認定。テクノロジーから見た身体・舞台芸術表現へのアプローチとして研究室学生(目次護、椎橋怜奈、小原光洋ら)と『劇団ティクバ+循環プロジェクト』に参加。また、快快-faifai-『SHIBAHAMA』など舞台美術制作にも参加している。立命館大学映像学部准教授。http://mochi.jpn.org/



ベルリン公演提携シンポジウム
「踊りと老いー欧米と日本の文化比較における身体のエステティックスとポリティックス」

中島那奈子

「劇団ティクバ+循環プロジェクト」の2012年7月のベルリン公演と提携して、その議論の場を提供した、6月末のベルリンでの国際ダンスシンポジウム「踊りと老いー欧米と日本の文化比較における身体のエステティックスとポリティックス」に関する報告を掲載します。

 2012年6月28−30日に、国際ダンスシンポジウム「踊りと老いー欧米と日本の文化比較における身体のエステティックスとポリティックス」を行いました。これは、ベルリン自由大学主催で、舞踊学を教えるガブリエレ・ブラントシュテッターさんと中島の2人が共同で企画し、ベルリンのヴェディング地区にあるウーファースタジオで実施したものです。シンポジウムが行われたウーファースタジオというスペースは、もともと工場として使われていましたが、2010年の開館以来、タンツファブリックが劇場を構えリハーサル用のスタジオを提供するだけでなく、ベルリン芸術大学の舞踊学科が校舎を共有し、その他にもタンツビューローベルリンなどダンス関係の機関がオフィスを並べる、一大ダンスコンプレックスとなっています。
 このシンポジウムでは、ダンスにおける老いというテーマを考える為に、アメリカのポストモダンダンスのアーティストが立てた二つの問いから議論を始めました。つまり、1、誰がダンスを踊ることが出来るのか、そして2、誰がダンサーとして認められる(identify)のか、という問いです。この二つの問いを巡って、シンポジウム全体の議論は構成されています。欧米の多くの文化において老いのテーマはタブーであり、それはダンスという芸術分野において最もはっきりと現れています。ダンサーは老いることで円熟するのではなく、ただ動けなくなると考えられ、老いても舞台に立つダンサーは欧米では非常に稀です。通常ダンスの歴史において、ダンスのテクニックとはどういうものか疑問を投げかけたのは、NYジャドソン教会派のイヴォンヌ・レイナーであるとされます。訓練されたダンサーの動きではなく、日常的に歩くこと自体をダンス作品として提示したレイナーは、このダンステクニックへの問いかけから、近年の自身のダンス作品で老いの問題に取り組むようになっています。また、障害学という分野では、何かが出来る(Able to do)とはどういうことなのかを考察しますが、こういったアプローチは近代社会のどのような条件や政治との駆け引きの中で、ある人が障がい者と見なされるかを、私たちに教えてくれます。また、日本の舞台芸術において、老いを慈しむあり方は、高齢になっても踊り続ける大野一雄さんら舞踏家にも見られるでしょう。それ故に、ダンスで老いを取り上げることは、日本の美学から立ち上げる欧米のダンス文化への問題提起なのです。このシンポジウムではこのような話の流れを、4つのセクション(1. Contextualizing Postmodern dance, 2. Alternative Dancability: Disability and Performance, 3. Aging and Postmodern dance, 4. Intercultural Perspectives)を通して辿りながら、理論と実践の双方の立場からの学術講演、レクチャーパフォーマンス及びパフォーマンスを行いました。
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 6月28日にガブリエレ・ブラントシュテッターさんと中島が行ったオープニングでは、それぞれ花柳寿々紫を撮影したロバートウィルソンのビデオインスタレーションと大野一雄の息の例を挙げ、踊りにおいて老いの問題が紡ぎだす様々な状況や問題を提示しました。それに続く「第1部:ポストモダンダンスにおける老い」では、パフォーマンス・スタディーズでの既に歴史的な研究者であるスタンフォード大学のペギー・フェランさんが、ピナ・バウシュとマース・カニングハムの2人の亡き巨匠を、「ダンスの終り」というテーマで精神分析などの角度から分析していきました。その後、ヨーロッパでのポストモダンダンス再考を担う英国のダンス史家ラムゼイ・バートさんが、イヴォンヌ・レイナーの作品Convalescent dance (1967)をめぐって歴史考察を行い、1日目の夜には振付家ジェス・カーティスさんが、クラッチを用いるパフォーマーと作った作品と、老いがテーマの作品に関するレクチャーパフォーマンスを行い、観客を魅了しました。
 2日目の6月29日は、「第2部:もうひとつのダンスする力-障がいとパフォーマンス」に入り、アメリカ・オーバリンカレッジで教鞭をとるダンス研究者アン・クーパー・オルブライトさんが、これまで行ってきた障がいとダンスに関する研究に、重力と身体に関する研究視点を交えた素晴らしい講演を行いました。その後、ベルリン自由大学で舞踊学を教えるスザンヌ・フェルマーさんによって、「身体のボーダーライン―舞台でのディス/アビリティ」というタイトルで、演出家ロメオ・カステルッチや振付家マリーシュイナールの作品で用いられる障がいや老いの表象について、秀逸な作品分析が行われました。その後、アメリカ・ミシガン大学障害学研究所を統率するペトラ・クッパーズさんが、ドイツ、英国そしてアメリカへと障がいを持つが故に辿ることになった自身の経歴を話しながら、ホスピスにおけるコミュニティ・ダンスのプロジェクトとその研究成果について講演を行いました。
 2日目の午後は、「第3部:ポストモダンダンスにおける老いと身体のポリティックス」というテーマに入り、まずベルリン芸術アカデミーでキュレーターをつとめるヨハネス・オーデンタールさんが、ドイツの振付家ゲルハルト・ボーナーの老いに関する作品を紹介した後、埼玉大学で芸術学を教える外山紀久子さんが、老人、弱者、そして傷病者を巡って、日本や欧米における民俗、伝統芸能やシャーマニズム及びポストモダンダンスでの膨大な例を用いて考察を行う講演を行いました。2日目の夜は、振付・砂連尾理さんに加え、西岡樹里さん福角宣弘さん星野文紀さんカロル・ゴレビオウスキさんゲルト・ハルトマンさんニコ・アルトマンさんによる「劇団ティクバ+循環プロジェクト」のパフォーマンスの一部が公開され、シンポジウム来場者から多くの喝采を浴びました。公演後のNPO法人DANCE BOXの大谷燠さんを加えてのポストトークでは、循環プロジェクトからの歴史が紹介され、また、振付のアイデアが振付家と出演者の誰からいつどのように生まれてきたのか、星野さんの作品での存在はどのようなものかなどへの質問と、活発な議論が行われました。
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 最終日の6月30日(土)は、最も多くの観客動員を記録し、また日本の舞踏や伝統芸能における老いの視点が、議論された日となりました。まず、イギリスの劇作家でディスアビリティ・アーティストでもあるケイト・オライリーさんによる発表で、彼女のプロジェクト「サイレント・リズム」が紹介され、作り手の感覚障がいが、創作とインスピレーションの源として働いていることが、本人の手話のパフォーマンスと共に紹介されました。それに引き続き、92歳で現役の米国のダンサーアンナ・ハルプリンの第一人者である、アメリカ・スタンフォード大学のジャニス・ロスさんによる発表が行われました。「セクシャリティと老いる身体―アンナ・ハルプリン、人生の終りにエロスを踊る」という、亡き夫ローレンス・ハルプリンを追悼するハルプリンの近年の作品に関する考察が行われ、米国ダンスにおける老いとジェンダー、そしてエロスという問題が、貴重な資料とその緻密な歴史考察の上に明確に浮かび上がってきました。「第4部:インターカルチュラルな視点」では、アメリカ・カリフォルニア大学のダンス研究者マーク・フランコさんによる、大野一雄、マース・カニングハム、マーサ・グラハムにおける老いと手の動きとの関連が分析され、また、イヴォンヌ・レイナーの作品We Shall Run (1963)と当時のドイツにおけるコミュニティ・ダンスでの興味深い影響関係が、初めて指摘されました。
 最終日の午後のプログラムでは、舞踏家大野慶人さんによる、「命の姿」というレクチャーデモンストレーションが行われ、震災後の状況に祈りを捧げるソロと、シンポジウム参加者と一緒に踊るワークショップ形式の部分とが組み合わせられ、見る者の心を揺さぶる感動を残しました。そして、歌舞伎批評の渡辺保さんによる講演「老いの花」では、中村歌右衛門や井上八千代等の名人を取り上げ、伝統芸能での老いの美学を支える「虚構の身体」や「芸」といった日本の美学の感じ方が、ビデオを見せながら明確に説明されていきました。伝統芸能の公演は行われても、その批評的視点や美学は国外ではあまり紹介されないため、この講演はベルリンの観客に日本の老いの美を理解する貴重な機会を与えていました。シンポジウム最後のプログラムとして、「劇団ティクバ+循環プロジェクト」を巡るラウンドテーブルが企画され、神戸大学で文化政策を教える藤野一夫さんの司会により、振付の砂連尾理さん、劇団ティクバからゲルト・ハルトマンさんとニコル・フンメルさん、NPO法人DANCE BOXから大谷燠さんが、老いた身体と障がいを持つとされる身体において、それぞれの国の文化政策における差異をふまえての討議がなされました。
 この踊りと老いという初めてのテーマでの国際ダンスシンポジウムに対するドイツメディアの反響は大きく、西ドイツ放送(WDR3)の番組“Resonanzen. Die Welt aus dem Blickwinkel der Kultur”や、ドイツ全国放送(Deutschland Funk)のラジオ番組“STUDIOZEIT” Alter und Tanz. Über Ästhetik und Politik des Körpersで、インタビューや当日の模様が紹介されました。また、オーストリアのダンス批評サイトTanz.at にもレポートが掲載されました。シンポジウム後の7月5-7日には、NPO法人DANCE BOXとベルリンの劇団ティクバとの共同制作 “Thikwa plus Junkan Project: Teil 3″ が上演され、振付は砂連尾理さん、私もダンスドラマトゥルクとして参加しました。こちらの公演の様子については、京都エクスペリメント公式サイトに掲載しておりますので、ご参照下さい。そしてこのコラボレーションは、2012年のKYOTO EXPERIMENTに続いていきます。
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中島那奈子(なかじま・ななこ)
(c) Gerhard Schabel
(c) Gerhard Schabel
ダンスドラマトゥルク、ダンス研究者。2004年からダンスドラマトゥルクとしてNYの実験的な作品制作現場で活躍し、ルシアナ・アーギュラーとの作品は2006年度NYベッシー賞受賞、2008年にベルリンで立ち上げた『劇団ティクバ+循環プロジェクト』は2011年神戸で初演。2006年よりニューヨーク大学客員研究員、Jacob’s Pillow Dance Festival研究フェローなど歴任。ドイツ学術交流会(DAAD)の支援を受け2007年よりベルリン自由大学で『踊りにおける老いの身体』で博士号取得後、2011年から日本学術振興会特別研究員(PD)に着任。http://www.nanakonakajima.com/


出演者へのクエスチョン 01 ベルリン公演ではどんなことが印象に残っていますか?
02 旅行全体を通してご自身が変わったと感じることはありますか?
03 KEXでは何を試みたいと考えていますか?
福角宣弘(ふくすみ・のぶひろ)
01
★本番前にシンポジウムでのデモンストレーション出演。
★公演中に雷雨になり自然の演出もあり素敵だった。
★馴れない場所、環境の違う場所での公演は、重ねる度に新たな発見があったりといろんな循環を感じてます。

02
★みんなさんにサポートしてもらい公演、移動等、無事終える事ができて、感謝!

03
★違った場所でどんなパフォーマンスが生まれるか。
楽しみですね!



星野文紀(ほしの・ふみのり)
01
公演中に劇場内の窓を全て開放したところ、天窓から土砂降りの雨が劇場内に入り込んできました。
室内に滴り落ちる雨と遠いどこかで鳴り響く雷鳴が公演の空気を一変させてくれました。

02
街中や劇場付近で、たくさんの変なおっさんに出会いました。以下はその中の1人のメモです。

「ドクターバリーマリー」
小型ラジオからオペラが漏れている。それを左耳にずっと当てているおっさん。巨大デブ。目がものすごい鋭い、ずっと睨んでいる。
オペラの話。
ヘルツォークの話。
モンゴルの話。
キンスキーの話。
日本語の発音の響きを聞いている。
中国、台湾、ダマスカル、シリアの話。領域、街、人。
空が好き、雷、雨雲、雷鳴、月。
タバコをずっと作らされる、吸いながらこんなもん体に悪いと怒る。
持っていたのは水。日本人が嫌い、か嫌われている。ぼやく。
俺のフォーマルはこれだ。おっさんはキンスキーさんになった。 お前のフォーマルは何だと聞く、僕は現場さんになった。聞いてからは僕の質問には答えず、ずっと睨み続ける。
オペラをただただ自慢してくる。
こいつは批評家らしい、音楽は詳しくない。ワーグナー、ベートーベンに匹敵するのがこのオペラだ。

03
01と02の経験のような偶然性や予期しない出来事、間違い。そこから生まれる間や戸惑いを大切に思っています。そういった瞬間に居合わせたい、また引き起こせるような存在として関わっていきたいです。



西岡樹里(にしおか・じゅり)
01
朝、ティクバの劇場で木のフロアーに転がって身体を伸ばしている時に、ニコやカロルがコーヒを飲みながら「おはよーコーヒーできてるよー」って頭の横を歩いていった事とか。ティクバの食堂でそこで働いている人や、他のティクバのメンバーと一緒にヨーグルトのかかったポテトサラダを昼食に食べた事とか。そこから福ちゃんと車道を越える稽古場までの道を帰ったこととか。ティクバのメンバーが生活している所で過ごすことが出来た事。

自分なりに誠実に、心地良く生きようとすると、誰かや何かにぶつかってしまう事。

02 
ダンサーとはどんな役割のことを指すのか。考えるようになりました。

03
場所は変わっても、このプロジェクトで精一杯生きることを続けてみたい考えています。



福角幸子(ふくすみ・さちこ)
01
対話だけど格闘技のようなパフォーマンスだったこと。またそれぞれの主張を言う感じ。
個々のもっている持ち味が重なりあうところと、違いをいろいろな場面を通して見いだせたこと。

02
日本と違って素朴な感じがよかった。発展国だけど、余計なものがない。例えば、電気の使い方のような。
衣食住が最低限なところが落ち着いた。

03
振付家は、私が自分自身で見つけられない部分を引き出してくれるのだけど、可能ななかで、振付家が考えられないことをやってみたい。あっと言わせてみたい。

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