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【暑い夏11】そして対話はつづく −2011年ドキュメント編集後記−

2011年08月8日

 ダンスといえば、今を謳歌する営みであり、ワークショップは体験型の催し、祭りは人々を一つにする社会装置である。こう並べると、ダンス・ワークショップ・フェスティバルというものが、参加し踊る「今ここ」に充足し、外部に向けた反省を伴う言語活動から遠いのも道理である。にもかかわらず、そこに「一緒にドキュメントをしませんか?」と看板を出して何年にもなる。

 そもそもダンスをドキュメントできるのか? といったことは気にしていない。どんなかたちであれ、関わる人々の受け止め方を映し出す”テクスト”が複数集まればいい。狙いはシンプルで、「京都の暑い夏」で見聞き体験したことを、なにがしかのメディアに”翻訳”して、外部の人−つまり体験していない人−にアクセスできるかたちにすることだ。それは翻って、ダンスのコミュニティの外部を意識して、ダンスというものを見つめ直すことでもある。

 こちらに長年お邪魔しているのは、主宰者の理解と支援もさることながら、このフェスが、個々の生や社会性とリンクする価値を生み出す場として興味深いからだ。本来、芸術の先端的な領域は、それに触れる者を存在ごと実験に巻き込んで、生きる基盤である心や体についての認識を新たにするきっかけを含んでいるものだと思う。一方で人は、自らを顧みなくてすむ意味を芸術に求めがちだ。「暑い夏」ではそれが、つまり誰にも理解できるダンスの意義やアーティストの意図への関心が、ワークを通してそれを受け止める自分、ひいてはともに動く他者、空間や環境への意識へと巧みに導かれてゆく。あくまでビギナーの見方だが、それは多様な講師の実験が隣り合っていて、参加者が気づきを得るのに格好のコントラストをなしているからのようにも見えるし、ここの講師たちが各々の探求を促す姿勢において共通しているからかも知れない。「暑い夏」では、自分にとっての意味はもちろん、”ダンスの意味”だって、先生が与えてくれるとは限らないのだ。 

 ここには注目すべき転換の契機がある。言わば、教育から学びへ、送り手から受け手へといった、劇場では未だ成し遂げられないでいる受容の方向づけの転換だ。少し広いスパンで舞台舞踊を眺めれば、ポスト・モダンダンス、そしてとりわけピナ・バウシュ以降、観客のものの見方や心の傾向を映し出す鏡の構造を備えた作品は増え、手法だってあの手この手である。現代の芸術作品は、現行の価値観に対する発見や問いを共有し、議論を開く場を要請していると言ってよい。美術においては、芸術が革新的な力を発揮するのは、その価値が特権的立場にある一握りの者の選択においてではなく、個々の受け手の享受において生み出される時だという信念に基づき、鑑賞教育が推し進められている。少々大きく出るなら、意味を与えられることへの依存を脱する体験というのは、今まさに求められていることではないか。

 「暑い夏」でのドキュメント活動は、少なくともダンスの要請に応える試みだ。併せて行っているビギナークラスのトーク・ファシリテーションとともに、「対話」をつなげてゆくことをめざしている。2008年のテーマ「身体との/身体による対話Bodylogue」を思い出すなら、「対話」は、個々人の間の言葉のやりとりにとどまらず、今年のトークでたびたび話題になった身体に備わる反応能力(response-ability)を行使した、世界との間で日々営まれる交渉をも含む。この応答関係は、フェスの期間中そこここで展開していて、その一端は、「暑い夏」の井戸端会議、ビギナークラスのアフタートークで目に見えるものとなる。アフタートークとは言っても、コンテンポラリー・ダンスの公演で慣行となり果てた、アーティストに作品を語らせる類のそれとは違う。そこでは、先生/生徒、質問する人/答えを与える人といった役割が固定せず、ダンスとダンス外部の論理がエキサイティングに交差する。傑作なのは場のダイナミクスで、先生に振りをもらった日は皆、自ずとアーティストにお話を聞くモードに、ペアワークの後ではフィードバックをシェアし合うモードに、集団の中で個として動くワークを体験した日は、深いところで聞き合い語り合うモードに、集団の身体がチューニングされる。数年来、経験者に助けてもらいながらトークのファシリテーションをしているが、こういった、「個」に発しその日にふさわしい「共」のかたちをとる対話の連鎖こそを、ダンスのサークルを超えて増幅してゆきたいのだし、ドキュメントでも延長してゆきたいと考えている。

 さて、かようにダンスを語ることは重要なのであ〜る。などと声高に叫ぶまでもなく、本フェスティバルでは、発見を他者とシェアし、交換する楽しさを推進力に、対話は続いてゆくだろう。嬉しいことに、事前にボランティアに応募してくれた人の他に、ビギナークラスで出会った人の中から、毎年誰かしら体験レポートを「書いてみたい」と手を上げてくれる。大歓迎だ。ただし、ドキュメント・ボランティアが結構大変な手間をかけてミッションを遂行していることも、この際お伝えしておきたい。そもそも扱うのは”曰く言い難いもの”で、アーティストが提供する非日常だ。ふだん使っている語彙にすんなり収まるはずがない。加えて「体験してない人に伝わるのか」と駄目出しもしている。でも出来上がったものを見ると、未知のものと触れた新鮮な驚きもさることながら、手持ちの語彙への違和感や有用性に分節された日常言語への抵抗を乗り越えたらしき跡にこそ、引きつけるものがある。ダンスの体験をとおして分節されたテクストの、そこここにきらりと光る表現をご高覧ください。

古後奈緒子(こご・なおこ)

撮影:庵雅美
撮影:庵雅美

今年は初の試みをいくつも重ねて、本当に余裕なくここまで来てしまいました。自発的にこまごまと気を利かせて動いてくれた皆様、寛大な目で見守ってくれた事務局の皆様、本当にありがとうございました。 ぺこり。

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