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【暑い夏10】すべてがDになる。

2010年07月4日

F ビギナークラス Beginner Class
コンテンポラリー・ダンスって何? どんなことするの? そんな疑問に応える、毎年大好評の通称「サラダ・ボール・プログラム」。ダンスに興味ある方へのイントロダクション・レッスンです。世界で活躍する「暑い夏」人気講師による様々なスタイル、考え方のダンスに触れることができるプログラム。ワークショップ終了後には講師との交流の場「アフタートーク」。そして、講師とスタッフ&有志による「懇親会」へと流れ込みます。身体的にも知的にも刺激的な〈場〉です。



prof_ericエリック・ラムルー (France/Caen フランス/カーン)
カーン国立振付センター芸術監督。カンパニー・ファトゥミラムルーをエラ・ファトゥミと共同主宰する。優れた身体能力に裏付けられた大胆なムーブメントと、高い音楽性に支えられたロマンティシズム、そして実験精神に基づいたオリジナリティーの高い振付/美術で、’90年バニョレ振付家コンクールに『ユザイス』でデビューするや、アヴィニヨン演劇祭、リヨンビエンナーレなど一躍注目を浴び、国際的に活躍している。’99年フランス政府派遣アーティストとしてヴィラ九条山に滞在。日、仏、コンゴ3カ国共同製作作品『Just to …』を上演中。



ビギナー
撮影:久保花子

5月6日。
会場は京都芸術センター2階の講堂。公演を見に来た事はあるけれど、明かりに照らし出された「素顔」を見るのは初めてかもしれない。何処から来て、何処に向かっているのか、関係性を形作る、一切のバックグラウンドが分からない人ばかりだし、初めてのWSは何がどうはじまるのかも分からない。圧倒的な非日常感。たとえていうなら、小学校1年生の最初の日、だろうか。 

建築物は不変の環境として、時には立ちはだかって拒絶し、時には何年も前から知っているかの様に一瞬で包み込んでくれる。開け放たれた窓辺に立つと、ひんやりとした風が親密に吹き寄せてくる。ぺたんと床に座ったり、寝そべったりして、久しぶりの木の感触を楽しむ。うつ伏せになって、そのままゴロゴロと転がっていきたい衝動にかられる。「完全に」、とりあえず、ストレッチをやってみたりする。

2000年冬、映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見てからダンスが面白いと感じるようになり、コンテンポラリーダンスや舞踏を時々見る。機会があれば能が見たいとも思う。今回、WSに初めて参加する。「何か新しい事をやってみよう」という心境で、僕の場合は5~7年周期で巡ってくる。

講師のエリックが現れ、一同が集められる。各自に風船が配られる。この風船はかなり特殊で、膨らましにくく、結びにくい。要注意だ。

最初は1人でのワーク。風船を自分で放り投げ、床につく前に風船を手の平を使わずに、地面に落とさないよう、端から端まで移動する。風船を優しく扱い、音をたてないように動くように指示される。僕にとって久しぶりの体育館で、ついつい音をたてるのが面白くなってしまう。 

別の講師のヴィンセントはインタビューの中で、「屋内の木の床と屋外の地面の上」に違いは無いと話していたけれど、僕は断然、板張りの床の上が楽しい。自分で音をたてるやいなや、反響して消失する。自身の声に耳を傾ける装置のようで、それは胎内にも似ているのかもしれない。閉じた円環に包まれると同時に、外へも開いていて他者に伝わる。考え事が勝手に他人に察知される事は無いし、体の動きならではだ。そいう根本的な事に思いは巡る。

次は、2人1組。手のひらを使わずに体や足、頭に背中で風船が落ちないように動き回る。お互いがお互いをコントロールできない以上に、ただただ、風船に翻弄される。そういう苛立ちは1分くらいで立ち消えて、無条件に楽しいと思えるようになる。

風船はヘディングされ、首に静かに音も無く落ち、肩へ滑り、腕をつたい、相手の二の腕に受け止められる。視界の中と外を自由に行き来し、不規則に跳ねるや鎖骨へ着地、肩ににじりよるも、窓からの風に煽られて中空へ。2人の胸の間や、背中と胸の間に落ちると、風船は2人の間で支点の様な役割をすることもあり、均衡点を探して試行錯誤する。「コップに水半分。もう半分? まだ半分?」じゃないけど、慣れてくると「もう10センチ」が「まだ10センチ」になって、昔やってたバレーボールみたいに必死に「繋ごう」とする。数分前に名前を交換しただけの相手と無言のパートナーシップ形成されて、目に見えて必死さが伝わってくるし、新しい動きを試そうとしているのが分かる。

15年ぶりに体を動かして汗をかく。15年間、行き場を失って自己の内側に淀んでいた感情と化学反応をおこして軽やかに負の円環から、解き放たれる感じだ。よく聞く「デトックス」という言葉の意味と大事さと楽しさが、分かった気がする。

最後は3人でペアを作り、AがBに風船を投げる。Bが風船をキャッチしながらステップを踏んでポーズを作る。それを見ているCはBを真似る。もちろんBの動きは予測できないから、いくら真似てもずれる。でもそれが狙いらしく、CはBから派生した形態を生み出す。

2人1組で風船を「キャッチボール」する時の楽しさは無くABCどの役割も、主体性が無く全て相手の出どころ次第だ。

2人でコミュニティーと呼べるのだろうか。それとも3人目が必要だろうか。というような事を時々考える。考える破目になる。別に哲学的な問いとか、そういうのでは無く、自分自身、あまり社交的では無いので、現実問題として立ち上がってくるだけだ。2人いればコミュニティーだと思っている。

帰路につく。梅田地下、阪神百貨店前の「信号の無いスクランブル交差点」。誰もが何処かに向かっていて目的を持って歩いている。その歩行の軌跡は決して重なる事はなく、見ず知らずの人とコンタクトをもたらす事は無い。「ここにいない誰かと繋がりを維持すること」は劇的に容易になったけど、「ここにいる誰かと、きょう今から繋がる」事のハードルは僕みたいに内気なタイプにとって何も変わっていない感じだ……。

もし、今ここに風船があったら? 案外、誰もがフツーに熱中し始めるんじゃないだろうか。意外に簡単な方法で繋がり始める事が出来るんじゃないだろうか? そう思うと、アフタートークでエリックがコミュニティーについて触れていた事を思い出す。円を組んで座っている参加者たちを前に「今ここにも瞬間的ではあるけれども、コミュニティーを形成している」と。

身体で表現する事を選んだダンサーや振付家たちが、どうして言葉にこだわるのだろうという素朴な疑問を、アフタートークでエリックにぶつけてみたが、うまく要旨が伝らなかった。けれど、ダンスはインプロビゼーションだけで成り立っているのではなく、その背後には想念や思想があるという、考えて見れば当たり前の事を忘れていた。だけど、そういう疑問が浮かんでくるくらいにWS中は頭の中はフィジカルな動作の事で一杯だった。考えるというよりそれは動物的なものに近い。



5月8日。
明日から仕事。ノイズ囲まれた職場環境なので、不協和音の連なりが音楽になる瞬間が確かにある。映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のように「全てが音楽になる」は白昼夢を見なくても僕にとっては現実世界だ。「全てがダンスに成り得る」と言っていたエリック。こればかりは白昼夢頼りになってしまう。あのWSは日常生活の中でどれほど力を持つのだろうか。

5月9日。
あれから70時間が過ぎようとしている。あの興奮は加速度的に形を失いつつあるが、輝きは増していくばかりだ。あらゆる「初めての体験」に共通して起こる、この色褪せていく感じが何とも言えない。

6月5日。
あれからまだ1ヶ月だというのに、もう、ずーっと前のような感じがする。1ケ月は短くも長く、長くも短い。Life is short.とにかく、経験して良かった。これをきっかけに能の事を勉強して母と一緒に鑑賞したいと思うようになった。


(2010年5月6日受講)


ビギナー ビギナー
撮影:久保花子

山根敬章(やまね・たかあき)
動くものには目がない「撮り鉄」あがりのダンスファン。長期に渡る漏電期間中。

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