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小鹿由加里インタビュー

2009年08月12日

インタビュー構成:森本万紀子

この夏、滋賀会館で行われるContact Improvisation Meeting Japan(CIMJ)は、コンタクト・インプロヴィゼーションという身体技法をさまざまなアプローチから学び、同時にコンタクト・インプロヴィゼーションを通したダンスと社会との関わりを考える機会をも与えてくれる、注目のワークショップ・カンファレンスです。

今回は、このCIMJに制作として携わっている小鹿由加里(おじかゆかり)さんにインタビューしました。フリーランスの若手ダンス制作者として、関西圏を中心に躍進中の小鹿由加里、通称オジー。農学部出身のダンス制作者という異色の経歴の謎を解き明かしながら、観客からはなかなか見えにくいダンスの制作という仕事の内実に迫ります。

またPEOPLEではこのCIMJのディレクターである坂本公成さんと森裕子さんにコンタクト・インプロヴィゼーションを軸にお話を伺いましたので、そちらも併せてぜひご一読ください。

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農とアート
「幼い時から農業に目をつけていた」



森本 農学部からダンスの制作へ、というあまり例を見ない経歴に興味津々なので、まずはよくプロフィールに書かれている「けっこう幼いうちから農業を目指していた」という生い立ちから、お話が聞きたいなと。

小鹿 実家は自営業、家も町中で、農業とは無縁だったんだけど、ある時、姉が小学校の社会科の授業で聞いてきた農業や環境問題の深刻な話を聞いた時、「私が守らな」というヘンな正義感を抱いたんですね(笑)。それ以来、農業や環境に興味を持つようになりました。
 家の近くにある河原でキャベツとか普通に食べるものが育てられている状況に、「すごいな。こうやってできるんだ。自分でも出来そうだなあ」と思って、ホームセンターで苗とか種を買ってきて自分でもやってみたんだけど、なかなかうまくいかない。なかなかうまくいかないけど、種や苗のこの形が、いちごなり何らかの口に入るものになるという過程が面白かった。
 いつしか中学校出たら農家になると決意していたんだけど、親に理解されず普通に高校へ入学。そして大学は迷いもなく農学部に入学。その頃まではアートや芸術の、「ア」の字も「ゲ」の字もなかったです。

森本 じゃあアートとの出会いは大学で?

小鹿 大学でいろんな友だちと出会って人脈が広がっていくうちに、デザインとか表現が面白くなってきた。特に刺激を受けたのはいつも口ぐせのように「僕の人生は芸術と女と酒だ」と言っていた研究室の先生。しょっちゅう飲みに連れて行ってくれては、アートの話だの、世界をまたにかけて恋をしただのという話を誇らしげに聞かせてくれて(笑)。おんなじ話を何回も聞いてるうちに、いつしかこういう生き方はいいなと思うようになっていた。
 大学に入って実際に農業を少しずつやるようになって、白菜農家にバイトに行ったり、奈良の明日香村で田んぼに足を突っ込んで本業としての農業なるものに触れてみたんだけど、いかんせん体力的に無理。バイトはクビになるわ、農作業に行っても、作業するよりもとれたての米を食べたり、飲んだりして過ごしてた(笑)。でもそこで感じる感覚はすごく良くって、体力以外で私が入っていく術はないだろうかと思っていた時に、そばにあったのがアートだった。

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左:大根を収穫した時
右:「苗から結球し、野菜になって口にはいっていくのが不思議で、その過程に居合わせたいと思った」



小鹿 一時はアートばかりで、もう農業は終わりかなあと思った時もあったけど、大学院に進学して何か新しいことをしたいと思った時、ちょうど農村部で行われているアートプロジェクトというものがある、ということを知ったんです。で、これだ、と。さっそく「農村とアート」というテーマをたてた。担当教授からも「誰もやってないし、よくわからんから、好きにやれば。」というお言葉をいただき、独走で進めることができました。
 リサーチに行く先々には面白い人が多かった。婦人会や農家、近所の人が、作家や芸大生と一緒になって動いていて、アートを通じて人が縦横関係なくつながって、ひとつのものをつくったり、場をつくってた。
 それまでアートは、ただモノをつくって出すだけのもの、おシャレで格好いいものと思い込んでいたから、そういう、人が集まることで新しいアクションを起こせるアートの存在を知って、ますますアートに魅力を感じたんです。

古後 実際、どんなリサーチ先に参加したんですか?

小鹿 はじめは、『灰塚アースワークプロジェクト』。広島の灰塚というダムの底に沈んでしまう村で、岡崎乾二郎さんやPHスタジオさん、芸術や建築系の学生たちが滞在し、村が沈むまでの間に村の人たちとどういうアクションをアートで起こせるかというプロジェクトをやっていました。
 私は研究者として参加したんですが、その時にアーティストから痛烈な非難を浴びた。「みんなが現場をどうしようかと一生懸命になっている時に、君は起こったことだけ見て評価するのか」と。そこで、この研究者という立場からは中の人から正直なことを引き出せないことが分かったし、それはほかのプロジェクトでも同じでした。
 当初は博士課程に進むことも考えていたけれど、机上のみの研究や単なる傍観の立場からは本質を知ることはできないと思って、現場の人と同じ場所に身を置きたいと思うようになったんです。


アートの現場で働く
「“制作者”という言葉が根づかなかった時代の、これ何の作業やねんって思いながらやっていた活動」



小鹿 それで現場レベルで関われる場を京都で探していた時に、 “アートスタッフネットワーク(以下、アースタ)”に出会いました。樋口(貞幸)さん(現在はアートNPOリンク事務局代表)が始めた組織で、アートの現場で一緒に動く人を募集していた。そこでボランティアを始めました。
 ちなみにアースタ出身の人たちは、現在制作を仕事にして活躍している人たちが多いです。

古後 具体的な活動内容は?

小鹿 京都の暑い夏ワークショップの受付とか、神戸アートビレッジセンターの『アート・アニュアル』の搬入手伝いとか、ART COMPLEX 1928のライブ受付とか、美術や舞台を中心に、いろいろな仕事があった。当時2000年頃のボランティアというのは、単なる奉仕活動の印象が強かった時代だったから、意識を持った人によって行われるものとしては、画期的なものでした。
 その頃はまだ “制作者”という言葉が一般的に知られていなかった時代で、これは何という役割になるのかしらん(笑)って思いながらやってた。
 樋口くんはその頃からずっと「アートはアーティストだけじゃ出来なくて、もっと観客とか社会とかスタッフとか、いろんなものを含んでつくっていくもんだ」って言っていて、それは今でこそ当たり前のことだけど、当時の状況はそうではなかった。だからこそ、アースタには、作品をただ見るだけじゃなくて、その展覧会なり舞台なりがどういう風に成り立っているのかを知りたい、という下心を持った人たちが集まっていたと思う。

『京都の暑い夏 京都国際ダンスフェスティバル』チラシ
『京都の暑い夏 京都国際ダンスフェスティバル』チラシ

小鹿 アースタの仕事で多かったのが、チラシ撒き。すごい地味な作業だった……。
 チラシ撒きがイヤになった時期があって、なんで無償で、頭下げて、店を回らなあかんねんって思ったりしたこともあった。でもその仕事を通してどういうところに劇場やアートスペースがあるのか、置ける場所や置けない場所、チラシのはけ具合がいい場所などなど、町を知ることが出来たし、そこにどういう情報の需要者がいるのかを知ることが出来た。今、情報をどこに送ったらいいのかを仕切れたり、手伝ってくれるボランティアにも、チラシの町置きがただ置くだけの作業ではないことを伝えられるのは、こうしたアースタの活動があったから。現場に身を置いたことで得たことがいっぱいある。

古後 どこが制作者になるラインだと思いますか? 

小鹿 そこに自分の意志があるかどうか。たとえばチラシ撒きにしても、受付を担当するにしても、自分だったらこういうチラシの撒き方をしようとか、受付だったら、当日はお客さんをこういうふうに迎えようとか。自分のアイデアなり伝え方が込められるようになったら、制作者としてやっていけるんじゃないかな。さらにそこに対価がついてくると、さらに確かなものになる。


制作という仕事
「制作の作業の育てる感が、植物を育てるのと似ていたのかもしれない」



森本 小鹿さん自身は、そういうボランティアからどういう経緯をたどって制作者として独立していったんですか?

小鹿 2002年のしげやん(なにわのコリオグラファー・北村成美)の『ダンスマラソンVol.2』の制作者募集の話がアースタに来て、「じゃあ行ってみるわー」って軽い気持ちで行ったのが始まり。ところが行ったらけっこう求められることが多かった! 新聞社へのお知らせやチケットづくり、スタッフの手配、場のつくり方、会期までのお客さんの楽しませ方。それらを把握して、どう進めていくかをコーディネートする責務が与えられたわけです。その頃から「制作」って言われるようになったのかな。

『北村成美のダンスマラソン』
『北村成美のダンスマラソン』

小鹿 それまで制作はただの単純作業の連続だと思っていたのが、公演をつくりあげるまでの要素を一挙に担うことで、制作というのは、それらをどうつないで公演に至らしめるかを行うことだと気づいた。その辺が、水をやったり陽にあてたりして、種から食べ物にしていく、農業のおもしろさと似ていたのかもしれない(笑)。

森本 ここで農に戻ってきた、ようやく(笑)。

小鹿 戻ったね(笑)。この頃は、アート/環境/農業とノンジャンルで「何かを提案する場をつくっていく」ということに、たくさん関わっていた頃でもある。例えば『Be Good Café KYOTO』。環境や戦争といった社会的課題をいかにポジティブに、楽しく考えられるかを提案するトークサロンだったんだけど、ここではテーマごとにカフェのコンセプトを考えたり、紹介する町のお店を探してマップをつくってた。あと『復活市』という環境NGOが主催するイベントでは、古材市やてづくりマーケットが開かれる中、『身体の復活!』というテーマでダンスのワークショップを開いたりしていた。
 ひとつの事柄を伝えるために、真正面からの入り口ではない扉を探す傾向が強くなった時期だった。性格がひねくれてるからかな、いつもまっすぐ歩いて入ろうとはしないのが如実に現れてる(笑)。

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左:京都橘女子大学の企画では「デザインする農」をテーマにワークショップを開催。
右:京都府園部の農塾で。「もみを畑の保温に使うなど、環境の中にあるものをフルに利用するという農の知恵は制作にも影響した」



森本 そういう場をつくっていく中で、制作者としての具体的な仕事内容は?

小鹿 まずは伝えたいことがあって、その伝えたいことをどういう形で提示するかという企画をつくる。一方で、実際に現実にどうやって落としていくかという事務的な部分がある。うーん、制作には企画と事務の2種類があると思うな。
 それをどのくらいの割合で担うかは、それぞれの場合によるかな。企画と事務が7:3のケースもあるだろうし、立案は自分以外の人がやって、事務的な部分だけを担う制作もあったり、逆に制作者が立案し、そこにアーティストが入っていくという場合もある。いろいろなタイプがある。
 私の場合は、何かフレームや作品世界がもともとありきな状態からはじまって、そこから自分の思う拡げ方に持っていくやり方が多いです。


茶水
「今まで自分が2本柱でやってきたことも、1つにつながる」



小鹿 制作を始めてからも農業とアートの活動は別々でやっていたんだけど、相互リンクできる企画ができないものかと考えるようになった。「芸術だけのためのダンス」とか「環境を守るための農業」という考え方では、関わってくるものも偏ってくる。それに農業にしてもアートにしても、本来は同じ人間が暮らしている世界から生まれたもので、人間の社会の都合で分断されてしまっただけ。元に戻すことは自然なことだと思った。それができればわざわざ頭を2種類に切り替えて考える必要はなくなるなぁ、と。そこででてきたのが、『茶水』。

森本 『茶水』って?

小鹿 2005年からはじめた裏方ケータリングサービスのこと。発端は、西陣にあるファクトリー・ガーデンという織物工場を利用した劇場で、ダンスカンパニー・セレノグラフィカの隅地(茉歩)さんに呼ばれて、彼らの公演前後に『ウェルカムカフェ』を開いたことから始まります。地産地消系の食材を使ったり、使い捨て容器は使わずに葉っぱを敷いてみたりと、少しコンセプトを持ったものにしてみた。それが好評だった。
 その後、隅地さんから「台湾には正しい食事を俳優や女優に提供する職業があって、『茶水』と言うんやて。そういう活動にしたら?」と提案されたのを受けて、この活動を『茶水』と名づけて始めました。

森本 それからはセレノグラフィカのイベントだけでなく、いろいろなところでやるようになったということ?

小鹿 うん、自分の制作公演だったり、知り合いの劇団からも呼んでもらった。『茶水』の前身にもなった、しげやんのダンスマラソンの「炊き出し」では、ピリピリする現場に手づくりの食べものがあることで、「~さんが今日はあれをつくってきてー」という会話が照明さんとスタッフとの間で飛び交ったりする様子が、現場にいい風を送っていた。
 そんな経験もあって、まずは長い仕込みの期間をコンビニ弁当や適当な食事ですませがちな裏方スタッフさんの『茶水』を始めたんです。

森本 お客さんにも提供したりするの?

小鹿 今年3月に滋賀会館で行われた公演『旅の道連れ』は。Monochrome Circusの坂本公成さんが19人の出演者と19のデュエットをつくって舞台の上を旅する、という作品だったんだけど、そこで『茶水』がロビーにカフェを出店しました。表舞台なんだけど、意識は“裏方”。メインの存在にはならず、場を作る要素としてたたずむ。これが茶水のポリシー(笑)。

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左:裏方さんのごはん風景
右:食器もリターナブル容器


小鹿 茶水の目論みは、生産者や農村部に住む人と、表現をしている人が“食”でクロスすること。茶水を介して、農村部の人は表現する人に食材を提供し、表現する人は、農村部の人に表現に触れる機会を提供するという関係をつくりたい。きちんとした食べ物をつくっている人をサポートし、表現する人をサポートする関係づくり。分野は違うものを食でつなぐ。
 将来的にはそれをもうちょっと発展させて、農村の空き家か何か場所を借りてアーティスト・イン・レジデンスを行えればと思っています。アーティストは農村部から制作場を提供され、食材を安く提供してもらう。代わりにアーティストはその土地の人にワークショップを提供したり、援農をしたりする。その土地の祭りを知ったり、盆踊りの振付をして地の文化に入り込むのもいい。こんなことが実現できれば、自分が今までやってきたことがつながる。


コンタクトとの出会い
「コンタクトバカだよね、小鹿さん」



森本 農とアートの2本柱の中で、アートの中でもダンスに特化してきたのはいつ頃?

小鹿 2000年にコンタクト・インプロヴィゼーションに目覚めて以来、コンテンポラリー・ダンスと言われるものに触れるようになった。コンタクトに目覚めなかったら、ダンスの魅力を知ることはなかったな。制作にもならなかっただろうな。

森本 じゃあコンタクトとの出会いは?

小鹿 アースタのボランティアで暑い夏の受付に入った時。受付だけやるつもりだったんだけど、ワークショップが始まる時に「オジーも入りなよ」って言われたのがきっかけ。入ったらすぐに「じゃあ、相手の身体の上に横たわって~」と言われて、男の人の上に身を委ねるという衝撃的な体験をしたのが、コンタクトとの出会いだった。

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小鹿 そこで不思議な心地よさを感じたのをたよりに、ワークショップも通いだすようになった。それまでけっこう人と会うのがイヤだったり、言葉でうまく伝えられないという、コミュニケーションをとることに障害を感じていたんだけど、コンタクトは踊るというダンスとしての楽しさと同時に、コミュニケーションの考え方を大きく変えてくれた。自分自身がすごく変わることが出来たし、周りの見え方も変わった。人に見せるだけではない、何か新しい可能性がここにあるかもしれないって思ったんですよね。今では「コンタクトバカだよね」って言われるくらいにワークショップや企画はコンタクトにからんだものが多い。


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「いろんな人や分野がコンタクトを軸にクロスオーバーするプロジェクト。イベント性を持った”プロジェクト”をつくる」



森本 8月に滋賀会館でやるCIMJ(Contact Improvisation Meeting Japan)は、小鹿さんがバカなコンタクト(笑)のカンファレンスで、しかも『茶水』も入ってきている様子。これまで小鹿さんがやってきたことが、どんどんひとつにつながっていっている。

小鹿 CIMJは、コンタクトバカなのがおおっぴらにできる企画ですね。ここ3年くらいの間にコンタクトに興味を持つ人の幅が増えてきたことを受けて、コンタクトが持つ表現の幅や社会との関わりについて、ワークショップやダイアローグで検証しようという企画です。

cimj2CIMJ: Contact Improvisation Meeting Japan in Shiga
コンタクトだよ全員集合!
2007年8月8日~11日  会場:滋賀会館
http://www.cimj.net/

プログラム:イクスチェンジ・ワークショップ
      ロビー・ダイアローグ
      ダンス・ツアー


主催:財団法人滋賀県文化振興事業団
共催:京都の暑い夏事務局




小鹿 「イクスチェンジ・ワークショップ」はコンタクトを用いた表現の幅を探り、講師同士が持っている伝え方を交換するワークショップです。「ロビー・ダイアローグ」は、地方やさまざまな分野において、コンタクトが行われる環境はどうあるのか、求められてものは何かを考える場。そうそう、ここでは「茶水」が盛り上げ役としてカフェをオープンさせます。「ダンスツアー」は単純に楽しんでもらえるイベントですが、滋賀会館という場所ならではの作品が鑑賞できるでしょう。
 またCIMJでは、場に関わる人の種類を増やそうと考えています。そのひとつが茶水で、食の側から関わる人。そしてもうひとつがドキュメンテーションのボランティアです。これは、ワークショップやダイアローグの文字記録をするスタッフなんだけど、感覚的なものを言語化することや、記録する重要性を知ってもらいたいし、ドキュメンテーションすることで、ワークショップを受けたり、話を聞いたりするだけではできない面白さを味わってもらえると思う。意識のあるボランティアさんなら、単なる奉仕労働とはとらえずに価値を見いだしてくれるのではないかと思います。


つなげる力
「制作者って“つないでいく”ということが求められるんじゃないかと思う」



小鹿 制作者って“つないでいく”ということが求められるんじゃないかと思う。たまに私が主宰している企画制作事務所のunderlineという名前をpipelineに変えようかなと思ったりもするくらい。制作者には誰がどこでどんな活動をしているのかを知り、つないでいくことが求められると思う。
 ダンスを伝えたいと思ったら、ダンスが他の何とつながることができるのか、どういう対象との可能性があるのかを、企画として打ち出せる方法を考えるから、それにはつながりを知らないとできない。

森本 その辺は小鹿さんがフリーの制作者だからこそつないでいける部分かもしれない。

小鹿 確かに。劇場やアートセンターなどの組織に所属することで成り立つ制作の仕事も大事なんだけれども、フリーでやっているメリットは、いろいろな組織やジャンルとの恊働作業をする中で、組織ごとの違いを客観的に捉えられるようになること。そこをもっと生かして、異なる性質の組織や分野をつなぎ、新しいコトをつくっていきたいですね。

森本 今日はありがとうございました。

(2007年6月22日 塩屋)

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