2009年07月22日

宣伝美術:木村敦子
宣伝美術:木村敦子

8月8日(土)、9日(日)に、伊丹のアイホールで、高嶺格の演出による『Melody♥Cup』が上演される。同ホールの「Take a chance project」で制作された、『もっとダーウィン』(2005)、『アロマロアエロゲロエ』(2006)に続き、アイホールワークショップ&パフォーマンスで制作された『リバーシブルだよ人生は』(2007)以来、2年ぶりの新作だ。これまでの作品で見られた、装わない身体の不気味さ美しさを印象づける、非論理的でありながら緊密に結びついてお互いに強め合う独特のシーンの連なりが今回どのように生み出されるのか? 「未来のためのプロジェクト―タイ・日本—」という副題を持つ本作では、どのような新たな関心が出てきつつあるのか? 7月初旬から始まったリハーサルの10日目に、高嶺格氏とタイのパフォーマーに話をうかがった。

通訳・翻訳:岩澤孝子
構成:古後奈緒子
写真提供:AI・HALL

日時・場所 2009年8月8日(土)19:00
2009年8月9日(日)13:00 / 17:00  
アイホール
Tel = 072-782-2000 / Fax = 072-782-8880
Mail = ihfo@aihall.com
詳細情報はコチラ>>>
演出 高嶺格
出演 ♥Dearborn K. Mendhaka♥Pakorn Thummapruksa♥Ratchanok Ketboonruang♥Preeyachanok Ketsuwan♥Nattiporn Athakhan♥朝倉太郎♥伊藤彩里♥木村敦子♥児玉悟之♥トミー(chikin)♥ニイユミコ(花嵐)
♥諸江翔大朗、ほか

  今回のプロジェクトはどのように始まったのですか?

高嶺 まずは出演者探しに悩みました。アイホールに委嘱を受けたのが1年前で、出演者をどうしようかというのがずっと頭にありました。それでまずは、昨年の9月に上海のアートフェアで会って一目惚れしたディアボーン(Deaborn K. Mendhaka)に出演を打診しました。でもそれからずっと出演者が決まらなくて、4月にとうとうプロデューサーの小倉さんが業を煮やして、とりあえずディアボーンに会いにタイに行ってみようということになった。で、行ってみたら、なんとディアボーンが「オーディションがあるから」と声をかけて人を集めてくれていて、いきなり数人と面接をしました。あと、役者でありプロデューサーであるKOPさんという人がいろんな人に会わせてくれて、1週間で出会ったタイ人の中から結果的に5人のキャストが参加することになりました。で、6月に入ってから日本でも声をかけて集めていった感じです。最終的には日本の人がちょっと多くなって、タイ人5人と日本人7人。このメンバーで、7月1日から稽古を始めたところです。

  初めに人ありきなんですね。

高嶺 というと聞こえがいいですが、それ以外は何もないので。いつものことですが、今回もまた作品の手がかりになるストーリーやコンセプトを持たないまま始めてしまってね。そんな状態で出演者を選ぶというのは、正直非常に困難です。今年、日メコン交流年でタイとの交流がいろいろあるので、その一環で企画された公演だと思われがちなんだけど、ディアボーンがたまたまタイ人だっただけで……。「タイと交流するぞ!」的な意気込みとはちょっと違うのです。タイはとっても好きだけど。

  出演者を選ぶ決め手となったのは?

高嶺 さっきディアボーンに「一目惚れした」と言いましたけど、彼女は舞台に立った経験はないんです。なんか面白いなこの人、と思っただけ。タイの出演者はみんなそうです。ほとんど知らない状態で選んでいる。ギグ(Pakorn Thummapruksa)なんか、タイを案内してくれたKOPさんの弟で、ある日たまたま運転手として姉に引っぱりだされて来てただけ。日本側でも朝倉太郎なんかは舞台は初めてで、しかも1回会っただけ。そこには自分なりの選ぶ基準があると思うんだけど、1人1人で違っていますね。それで、いざ集まって稽古を始めてみると、実にいいメンバーだったりするわけです。目は狂ってなかったと。実は、自分でパフォーマーを探すのは今回が初めてなんです。これまでだと、学生の授業公演がベースになっていたり一般公募で集まった人がいたりして、そこはスルーできていたんですね。このプロジェクトで初めて、「人を選ぶ」という作業に対してもの凄く抵抗があるということも意識させられました。
  パフォーマーとしての力量を評価するといったことに対してですか?

高嶺 う〜ん。というか、僕はどうも、自分でこれをつくろうと思って、その設計図を書いて、それに見合う材料を買い求めて……みたいなやり方から、なるべく逃げようとしている気がするんですよ。例えば去年山口や仙台でやった展覧会[*]でも、廃材をたくさん使っているんだけど、廃材は自分で選んだものというより、たまたまそのときに集まってきたものであって、出会いは偶然なわけです。偶然の出会いをきっかけにストーリーや構成を考えていく。たぶん、コンセプトなりを設定して、他のすべてをそのために従わせてつくっていくことがいやなんでしょうねえ。もとからそういうところはありましたが、最近特に。

* 2008年7月5日〜10月13日「大友良英/ENSEMBLES」で制作された『orchestras』@山口情報芸術センター、2008年11月29日〜12月24日「大きな休息」@せんだいメディアテーク

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  コンセプトを決めずに作品づくりを進めるやり方は、過去の制作の中である程度定まってきているのですか?

高嶺 はじめにあるか、ないかという違いですよね。僕の場合はやりながら見つけていくという。はじめにあった方が人を納得させやすいし周りは仕事しやすいからねえ、その方がいいとされてますが、それは一長一短だと思います。先に決めなかった場合っていうのは、圧倒的にフレキシブルなので、その場、その人に合わせていける。オーダーメードみたいなものです。ただ短時間でつくらないといけないから、できることが限られてくるというデメリットはある。あと、瞬発力が命なので、集中的に体力がいる。
 これが方法論としてあるかというとですね、まったく心もとないです。僕ねえ、なんか頭がどうかしているのかと思うんだけれど、全然思い出せへんのです。もう何年も、場所も変えて人も変えていろんな実験をやっているわけでしょう。なのに、前にやったことをどんどん忘れていくから、『リバーシブルだよ、人生は』でも、出演者に「メモっといて」って、お願いしていたくらいで。本当にこれ、どういうことなんかな? 良いように考えたら、アイディアがどんどん湧いてくるとも言えるけど、僕的なジレンマで言うと、毎回「明日何しよう?」って。毎日なんですよ。

  舞台以外の作品づくりでは毎日白紙状態なんてことは……。

高嶺 美術作品だと、たまにクリアなときがあります。完成像がはっきり頭の中に見えて、スケジューリングまでが瞬間的に一気にわかるときがある。昨年のYCAM(山口情報芸術センター)での大友展のときが顕著なんだけど、このときは今言った2つを両方同時にやっています。つまり、劇場スペースのインスタレーションは、先にクリアなビジョンがあって、それに従って完成を目指していくというつくり方をしていて、奈落のインスタレーションは、「迷路をつくります」とだけ言っておいて、設計図なしで現場に入って即興勝負でつくり上げた。アイディアはいつ出るかわからないけど、早く出たときはラッキーですよね。それが舞台作品となると、「いける」と思う瞬間はだいたい3日前くらいに来る(苦笑)。

  パフォーマンスは何故ぎりぎりまで何も決まらないのでしょう?

高嶺 それは人間がやってるからでしょう。人間てほんとにひとりひとり違うから、同じことをやっても意味が全然変わるでしょ? 役者本人が動いているのを見ながらじゃないとアイディアも出ない。舞台作品は、ほんまに複雑な要素が絡みあっていて、さらに時間の組み合わせが無数に加わるので、解釈しなくちゃいけない意味の量が膨大にある。その膨大な意味を、どのタイミングでどんな風にもっていくかなんて、頭の中では考えていられないから、試行錯誤して見つけていくしかない。そこで「よい偶然」を起こしていけるように、いろんなパターンの組み合わせが頭の中で無数に繰り返されているように思います。

  お話をうかがっていると、「決めない、判断しない、思い出せない」といった把握も、目的や論理に従う作品づくりとは対極にある姿勢では一貫していますね。それらが「よい偶然」につながると?

高嶺 そこを前向きに説明する方法があると思うんですけどねえ。これは今日のリハーサルでのお話を聞いて、ちょうど今考えていることなので、うまく説明できるかわかりませんが。

  リハーサルで話題になっていた「空っぽ」や「無」などはその手がかりと捉えられているのでしょうか。

高嶺 その前に、もともと僕には、作品のつくり手としての自分が、フィルターのようなイメージで捉えられるんです。僕は昔から、自分の中に確かなものがあるとは信じなくなっていて、作品づくりでも、自分の世界を表現したりってことには興味がない。自分の身体を通過した何かが別の何かになっているといったことを純度の高い形でやるには、つまり通過するときに、僕の価値観やエゴをなるべくくっつけないようにするにはどうしたらいいのかと考えるんですが、それは難しいこと。そこは無というわけには行かなくて、通過するときに何かしら屈折が生じるので、そのバランスをとるにはどうしたらいいのかしら。そんなことを考えてきたので、今回出演するニイさんがされている舞踏では「身体を空(empty)にする」というトレーニングをすることや、ギグが話していた仏教の「無」っていうこととなんかが気になりだした。
  仏教とのつながりを意識するきっかけとなったのは?

高嶺 仏教に、己を無にしていくとか、自我を否定してゆくみたいな教えが含まれていることは知っていたんだけど、自分の創作のやり方とつながるかもと考えたのは今回が初めてかも。それは今回たまたま、出演者の中に、チベットで修行をしていたギグがいたからだと思います。彼はチベットで2年間、超禁欲的な修行をやっていたんですが、にもかかわらずそれをあっさり捨てて、今はインテリア・デザイナーやDJをやっている。その潔さと軽さ。それと、これまたたまたま出演者の1人、伊藤彩里さんの実家がお寺なので、この間お堂で稽古でもしようかってことになって、せっかくだからお父さんにお経をあげてもらったんだけど、終わった後のお父さんとタイ人のやり取りを聞いて、いろいろ思うところがあったんですね。そのあたりをクリアにするためにも、今日は美学・哲学に造詣の深い吉岡洋さんをリハーサルにお招きして、お話をしてもらったんです。

  「ふだんの感覚にかたちづくられている世界が、判断を止めたときに消える〜」といったお話がありましたね。

高嶺 面白かったのは、人間と動物の間が明確に区切られるものではないといったお話です。人間は動物と連続する力を潜在させていて、人間の世界では動物的勘とか第六感とか言うその力は普段何かにブロックされていて、このブロックをはずせればそれが発揮されるんだろうなとは、僕も普段から思っている。知覚された内容について判断しないとか、論理的な道筋みたいなものを求めないということが、そこにつながるらしいということも。ここで胡散臭いことを言うと、僕は創作って、途中からどんだけ奇跡が起こせるかにかかっていると思うんです。そのとき、感覚をオープンにするっていうことを頼みにしているんだけど、その感覚に蓋をしている言語や判断や予見がはずれる瞬間があるということは経験的に知っている。その瞬間を狙ってものをつくるということはできないけれど、そこのポテンシャルを最大限に開花させたい、そこだけで作品をつくれないかと考えてもいる。動物がつくったらどうなるか、くらいの勢いで。たぶん、今日説明した何もないところから創作するやり方も、シナリオを準備してしまうと、それにあてはまらないものが見えなくなって、感覚を開く可能性を最初から摘んでしまうことになるので、勿体ないからなんですね。
 一方で、そのときに疑問に思うのは、価値判断をしながら無であるといったことは同時にあり得るのかといったことです。作品て、最終的にはお客さんが判断するものだから、動物のように感覚を開いてつくったものでも、最後には人間の、しかも自分以外の複数の目を最大限に想定しているわけです。そこでは、様々な価値判断がギューっと濃縮されてあるはず。それをどう収められるのかな。というか、それと自分が空っぽでありたいということとがどう折り合いがついているのかなと。作品がどこに向かうのか、なにを目指すのかのヒントが、ここらへんにありそうな気がします。

  ありがとうございました。リハーサルの中で出てきた関心がどのように展開してゆくのか楽しみですね。


♥ タイ人アーティストへのインタビュー ♥
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  ワークショップの中で、興味深いと思ったこと、自分にとって大事だと思ったことは何ですか?

Deaborn K. Mendhaka それは、舞踏ですね。やったことなかったので。というか、ここに呼ばれてやってくるまで、こういった経験は全くしたことがなかった。ですから、ここでやっているすべてが面白い。ウォームアップから何から何まで。身体を鍛え、集中力を高められるような気がします。今の私自身はまだまだ弱いんですけれど。もっと鍛錬を積んで、ある程度の域まで達したとすれば、自分がもっとよくなれるはずだと思っています。

Natiporn Athakhan 私はマカンポン[*]で活動していていたので、タイ人と一緒にやってきました。それと比べて、ここでいろいろなワークショップを通して感じるのは、今一緒にやっているメンバーは、実に一生懸命だということです。一生懸命に加えて、作品に対する集中力がすごいんです。ま、それは、今まで私が関わってきた作品での場合と比べると、という意味なんですけれど。もしかしたら、これが私にとって新しい経験なので、そういう風に感じるだけなのかもしれません。例えば、ワークショップに参加していて、私なんかは、すぐに疲れが出てしまうんですけれど、でも、彼らは途中で投げ出さず、とにかく何かが見えるようになるまでやらないといけない、という感じで最後まで真剣に取り組んでいるんです。彼らのそういう姿が刺激になって、私も一緒にやってみようという気持ちにさせてくれます。本当はしんどいんですけれど、彼らがまだ一生懸命やっているのをみると、なんだか私もやらなきゃって思えるんです。

* 1981年設立のタイの現代演劇集団。舞台での公演に限らずコミュニティシアターや教育演劇など、その活動の幅は広い。
Pakorn Thummapruksa このプロジェクトに選ばれたとき、最初は少し驚きました。いや、実は「少し」なんてものではありませんでした。というのは、自分はデザイナーであって、パフォーマンス系のアーティストではないからです。でも、これは自分にとって本当にいいチャンスでした。名のあるアーティストと一緒に仕事ができたし、それに、格さん自身がすごく興味深い人物だからです。ここにきて、新しいテクニック、つまり、ムーブメントに関わる新しいテクニックを学ぶことができましたし、アーティストたちの関心についても個々に知ることができました。なので、今回、自分が思っていたよりもさらに先に進める感じがしています。本当によい勉強になりました。このプロジェクトというのは、「何もない」ところから始まっているわけですよね。プロジェクトを進めるプロセスの中で、現場の僕らの恊働によって、どんどん何かが生まれていく。そういうプロジェクトです。これは。僕にとっては、ここで毎日行われているワークショップやその他のすべてが新しい経験なわけで、それが自分にとって、とても新鮮だし、よい影響を与えていると思います。

Preeyachanok Ketsuwan 最初は戸惑いました。ここで、一体何をしにきたのか、何をしたらいいのか、全くわからなかった。舞台では、呼ばれた私たちが、1人ずつ、ソロでパフォーマンスさせられるのか。私はふだん、ヴィデオパフォーマンスをつくったり、インスタレーションをつくったりしているので、とにかく、すべてが新しいことだらけ。タイ人同士もお互いに全然知らなかったので、知らない人だらけ。なので、どうなるかわからない難しさもありますけれど、何か面白そうなものができそうな可能性は感じています。私が関心をもっていることは、うーん……。このプロジェクトが求めていることの一つに、「エクスチェンジ(交流)」がありますよね。それで、私が関心を持っているのは、最終的に、それぞれが、例えば、タイ人は何を表現するのだろうか、日本人は何を表現するのだろうかということ。そして、それらがどう重なりあうのか、また、それらが一緒になったとき、私たちは一体どこにいるのかということに関心があるのです。というのは、私は、今までこんなこと考えたことも、もちろんやったこともないので、全然(先が)見えてこないからなんです。

Ratchanok Ketboonruang 最初、私たちは格さんから、まず何らかのインフォメーションがあると思っていたのですけれど、全く(作品の)概要も基本的な考えも知らされなかったんです。これから何がおこるのか、何をすることができるのか。知らされるのかと思っていたら、その答えは「まだ何もわかっていない」とのことでした。実はまだ今もわかっていないんですけれど。いえ、もちろん、私たちは最初に比べれば少しわかってきているのですが。私たちが何かをやるときは、既に、もうきまっている(全体像がわかっている)というのが、普通ですよね。あるいは、ディレクターに既に決まった何かがあるのが、普通です。ですから、これが私にとって、とても興味深いことなんです。それに、日々のワークショップを通して、日本のアーティストが教えにきてくれるので、毎日違うことを私たちは学んでいるんです。時には同じエクササイズを繰り返すこともあります。けれどもその同じエクササイズを行うときには、その一つ一つをじっくり考え、問い直すことができるので、そのプロセスの中からも何か学ぶことができます。こうした様々な実践のおかげで、最後にこの作品が出来上がったとき、自分も作品に参加していることを実感することができると思います。そして、この作品はとてもエキサイティングな面白いものになるだろうと思っています。

(2009/7/10 京都芸術センター)



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高嶺格(たかみね・ただす)

美術作家。作品は多岐に渡り、パフォーマンスもやれば書道もやる。つまりノンジャンルである。90年代ダムタイプのパフォーマー。ダンス作品のコラボレーション多数。2005年より舞台演出を開始し、これまでにアイホールで発表された3作品は、その挑発性が評判をよんでいる。



関連リンク
log-osaka web magazine PEOPLE_vol.71 高嶺格 part1
http://www.log-osaka.jp/people/vol.71/ppl_vol71.html
log-osaka web magazine PEOPLE_vol.72 高嶺格 part2
http://www.log-osaka.jp/people/vol.72/ppl_vol72.html
dance+ archive「高嶺格インタビュー」
https://danceplusmag.com/manage/j1/2574
dance+ archive「高嶺格『リバーシブルだよ人生は』に見る「セカイ系」的世界観。 」(樋口ヒロユキ)
https://danceplusmag.com/manage/j1/2592

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