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【暑い夏09】パフォーマンスとシンポジウムについてのレポート

2009年06月29日

第14回京都国際ダンスワークショップフェスティバルの中で行われたショーイング『Dance Performance for the Prosess Turning Point~3つのプロジェクト~』とシンポジウム『Ability & Disability』について簡単にではありますが、ご紹介をしたいと思います。




Dance Performance for the Process Turning Point ~3つのプロジェクト~

舞台監督:渡川知彦  照明:井村奈美

当日はワークショップに参加した人たちや一般のお客さまも来場し、会場はほぼ満席。ゴールデンウィークがスタートしたことや、フェスティバルもいよいよ折り返し地点を迎えたことなどもあるのか、リラックスした空気と熱気の入り混じった独特な雰囲気が漂っていた。

Performance1
出演/振付:トンミ・キティ(フィンランド)


photo: Toshihiro Shimizu
photo: Toshihiro Shimizu



急きょ上演が決まった小作品。

トンミ・キティ氏は昨年のフェスティバルに参加予定だったが、ケガにより中止となっていた。今年はそのリベンジともいえる。あまり日本では紹介されることのないフィンランドのダンス状況を知る上で貴重なショーイングだった。

背が高く、髭をたくわえた外見からは(フィンランドからの来日というイメージが大きいためか)森の番人といった素朴な印象を受けた。舞台上に立っているトンミ氏の身体は、ごく自然にその場にいるような力の抜けたニュートラルな状態であるように感じさせた。おそらくその背景には「身体に負担をかけない」ダンサーとしての叡智があるのだろう(*シンポジウムの記事をご参照下さい)。パフォーマンスは背を丸くかがめながら両肩を前に垂らし、小さく声を出して静かに全身を揺するなどミニマムでシンプルな動きが主だったものであるが、大地から種が芽を吹くときのような静かな力強さを覚えた。種ははじまりであるとともに、蓄積された過去のエネルギーの凝縮でもある。長きにわたってダンサーを続けてきたトンミ氏の身体には舞台ごとに芽吹くダンスの種が宿っているのかもしれない……。そんなことを感じた。

Performance2 “lost”
演出/振付:坂本公成(Monochrome Circus)
出演:森裕子(Monochrome Circus)
照明:藤本隆行(dumb type)


photo: Toshihiro Shimizu
photo: Toshihiro Shimizu

LED照明とダンスによる作品。

舞台上には小型のLED照明(幅は30㎝ほどだろうか)とそれらを電源と繋ぐための配線がいたるところを這いまわっている。通常なら配線といった類のものは観客の目にふれることがないように隠されるものだと思うし、物理的に仕方がない場合でもテーピングでまとめられるなどの配慮が見られるはずだ。しかし、このパフォーマンスではむき出しのまま。ザラザラとした違和感が私の中には貼りついていた。

白いシャツに黒いパンツスタイルの森裕子は、もともと中性的な印象のあるダンサーだが、この日はその雰囲気がさらに色濃く打ち出され、性別を感じさせなかった。

冒頭、森は床に伏せてあるLED照明を1つ1つランダムに起こしていく。暗闇の中で輝きを放ちながら起きあがってくる照明は森の顔を強く照射するが、あるタイミングで静かに輝度を落としていく。その様子は灯したロウソクの炎を吹き消すときの静けさに似ていたが、一方でそのエネルギーを森が顔色ひとつ変えずに取り込んでいるようにも見えて不気味だった。配線の這いまわる床、感情の見えない人物、冷たく透明に移りゆくLEDの輝きなど、そのどれもがBGMのノイズ音と混じりあいながら1つの矛盾を描き出していた。それは「確実に定められたスコアの上を進みつつ、どこへ向かうのか分からない不安」に揺れ動いているような矛盾だ。

ラストシーン、森はすべてのLED照明を舞台奥に客席とは反対側の壁に向けて並べていく。ズルズルと配線を引っぱりながら動かされていく照明機器たち。物言わぬそれらは静かに光を放ちながら壁を照らし出し、森は腕組みをしながらその姿を見つめる……。作品はここで終わった。

作品がはじまる前のザラザラとした違和感の正体は未だわからない。だが、私たちの生活は配線を引きずりながら移動していた照明器具たちのように「何かと繋がった不自由さ」によって確保されているのではないかと感じた。単純な発想だが、1つの事例を考えてみよう。パソコンは電源やネットワークと繋がっていなければ何の役にも立たない。しかし配線やケーブルは日常生活の視界からは追いやられて机のうしろで黙り込んでいて、それが当然だ。インターネットにアクセスしながら自由に情報を入手し、発信している私たちは結果として「不自由なもの」を通して「自由」を手にしているとも言える。だが、それは果たして本当なのだろうか。森が腕組みをしながら見つめていた壁には何が見えていたのか。唯一、舞台上でなにものにも繋がれていなかった彼女はその身に孤独を湛えながらも、冷徹に世界を見ているように見えた。

「自由」は、切り離された孤高の上にのみ存在するのかも知れない。作品タイトル『lost』から、そんなことを考えた。

Performance3
演出/振付:イニャーキ・アズピラーガ(ベルギー)
出演:森井淳(j.a.m. Dance Theatre )他、D-4受講者


photo: Toshihiro Shimizu
photo: Toshihiro Shimizu

オーディションをかねたワークショップ参加者によるショーイング。

演出と振付を担当しているイニャーキ・アズピラーガ氏はこのフェスティバルの名物講師ともなっている人気者。ハイパー・クラスというダンス経験者のための「ハイボルテージでアグレッシブなコンタクト・パートナリング」を担当している。このパフォーマンスは彼とハイパー・クラス参加者によるショーイングだったが、ノリのいいクールな音楽に乗せて舞台を駆け抜けるように横断しながら展開される振付はどれも「カッコイイ!」ものばかり。難解な解釈を必要としない、躍動感とスピードは見ている者をさえダンサブルな気持ちにさせてくれる。3人が1チームになった動きでは、1人が走りながらジャンプし、2人が見事にキャッチ。そこからすぐさま次のアクションへと移行していくというように、一連の動作が気持ちの良いタイミングで行われていくところや、「スゴ技」を難なくやってのけられるところがきっと「カッコイイ!」と感じさせるポイントなのだろう。ダンサーたちが舞台上を横切っていくと一陣の風が吹き過ぎるようだった……。いや、実際風が起きていた。彼らは「踊る風」になっていたのだ。

Performance4
演出/振付:チョン・ヨンドゥ (韓)
出演:関西若手ダンサー数名


photo: Toshihiro Shimizu
photo: Toshihiro Shimizu

2010年でこのフェスティバルは15回という記念すべき節目を迎えるという。その記念作品のひな形となる作品。

演出・振付を担当しているのは韓国のチョン・ヨンドゥ氏。ボディーワークのクラスも担当している彼(他にクリエイションのクラスも担当)はじっくりと自らの身体を見つめる作業を行いながら作品を創造していくダンサーのようだ。幅広い西洋のコンテンポラリーダンスのテクニックに東洋の身体をあわせもつ彼独自のメソッドは「知覚の方向性」「時間の構成」「呼吸と動きの関係性」などに焦点をあてていくという。

冒頭、舞台の右手で静かに幕があがる。1組の男女がいて、男は女の正面から静かに足を体幹に巻きつけ腕をまわして抱きつく格好になる。その後は男が女にアプローチしながら床に横たわらせ、儀式のような一連の動作をくり返していく。この動きは、はじめこそ求愛の姿のようにも見えたが、作品の中で何度もくり返される中で「見え方」がさまざまに変化していったように思う。

このパフォーマンスではBGMをまったく使っていなかったが、不思議とあるリズムに裏打ちされたような緊迫感があった。まとまった動きがくり返され、やがて5人ほどのダンサーたちから歌うような声が発せられたとき、その不思議さが溶解したように思う。歌声は発されていなかっただけで、ずっとその場に存在していたとのだ。なぜなら動きはその歌声のリズムとピッタリと呼応し、一体となっていたように思うからだ。私が感じていた緊迫感はダンサーたちが互いの状態を共有するためにはりめぐらせていた意識の糸に起因していたのかも知れない。

作品の大雑把な構成は男女ペア、ユニゾン、男女ペアと集団というように展開されていったと記憶しているが、ラストシーン近くの男女ペアと集団でのシーンが特に興味深かった。舞台左手で「ヨーホイ、ヨーホイホイ」というような歌声ともかけ声ともつかない言葉を「ひざまづく、両腕を上げる、上げた腕を下げながら顔を伏せる、立ち上がる」という動きとともにくり返す集団と、冒頭の「女に抱きつく男」の動きの対比。そこには脈々とくり返される人の営みが垣間見えてくるように思えた。男と女の結びつきからはじまるその流れは、やがて母と子の結びつきに移り変わっていく。愛の姿の大きな変遷がそこにはあったのだ。

民族性などという言葉で括ってしまうつもりは毛頭ない。だが、この作品には色濃くアジア……、韓国の風土を感じさせるものがあったように思う。時代や環境が変わっても流れ続けるもの。チョン・ヨンドゥは身体を深く見つめながら、そうした流れにさえも目を向けているのではないだろうか。ショーイングを締めくくるに相応しい、奥行きの深い秀作であった。






シンポジウム「Ability & Disability」
進行:坂本公成(Monochrome Circus / 京都の暑い夏プログラムディレクター)
パネラー:小曽根史代(NPO法人芸術家のくすり箱 事務局長) 桑原弘樹(江崎グリコ株式会社Team POWERPRODUCTION プロダクトマネジャー)トンミ・キティ(振付家・ダンサー/フィンランド)


ダンサーとは「身体を鍛え上げながら、表現活動」をしている人たち。どんな職業であっても身体が資本であるということに変わりはありませんが、彼・彼女たちが身体を酷使しているということは言えそうです。そうなれば当然、ケガや故障に見舞われる頻度は上がっていきます。しかし、日本においてはまだまだダンサーやアーティスト(=自由業)に対するそうした事態へのサポートはほとんど聞かれません。あくまでも「自己責任」と「自助努力」に一任されているのが実情。こうした厳しい状況について、ダンサーはもちろん、ダンスを取り巻く環境からも考えてみようという試みがこのシンポジウムだったと思います。

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先ず進行役の坂本さんから「なぜこういったシンポジウムを企画したのか」について、坂本さんご自身のケガの体験(頚椎を損傷)が紹介されました。長くダンサーを続けていくことや加齢の問題……。避けては通れないケガ・故障とどう向き合っていくのか、パネラーや参加者とともに考えてみたいということでした。

NPO法人芸術家のくすり箱 事務局長の小曽根史代さんは、子どものころからクラッシックバレエをなさっていたそうですが、大学生のころにヒザに大きなケガをしてダンサーを断念したご経験やこのころに関わりを持った医療関係の方々とのコミュニケーションをきっかけに「人の健康」に関心を持たれたそうです。社会人になってからは鑑賞者としてダンスにふれる日々でしたが、改めてアーティストへの尊敬を深めると同時に彼・彼女たちの置かれた過酷な状況に愕然とされます。会社員にはいわゆる「労災」(就業中や通勤時のケガ、業務が原因で発症した場合に支払われる保険)というものがありますが、自由業であるアーティストには用意されていません(小曽根さんのお話の中で「労災」という言葉が出たときに坂本さんが一瞬「ろうさい?」と聞き返される場面がありましたが、耳慣れないものになっているのだと感じました)。こうした状況を改善するため立ち上げられたのが『芸術のくすり箱』だそうです。


『芸術のくすり箱』のご紹介(下記HPより引用)

 芸術家のくすり箱とは、芸術家のヘルスケアを多方面から総合的にサポートする日本初のNPO法人です。芸術家の貴重な才能がつぶされることなく有効に開花する仕組みを作り、芸術文化の普及と発展に寄与することを目指します。
身体を資本として表現活動する芸術家の多くは、身体を酷使しながらも、なかなか普段は身体のケアに手が回らないのが実情です。特に、アスリートと同様、身体的に特殊な機能、能力を発達させる必要があることも多く、普段の身体のケアや、怪我の発生時の治療やリハビリ、復帰にむけた身体のコンディショニングなどには、専門的な知識を要する場合が多々あります。
 しかし日本では、そのために必要な情報や研究の蓄積・共有は遅れており、また保険適用外のコンディショニング費用は高額であるため、多くの芸術家や芸術家を目指す若い学生たちは十分な身体のケアができずに活動している、というのが現状です。この状況を改善すべく、『芸術家のくすり箱』では次の事業を行います。

セミナー事業
パフォーマンス向上に繋がる身体のケアに関するセミナー・講演会開催

ヘルスケア助成
ケガからの復帰を目指す等、身体のケアを特に必要とする優秀な人材に対し、治療・コンディショニングについて費用および情報面から支援し、芸術家のヘルスケアの重要性を広く啓蒙

調査研究・支援
調査研究への協力、学会への参加および研究成果の現場へのフィードバックの場作り

情報提供
芸術家のヘルスケアに関する情報を収集し、ウェブサイト等で発信


トンミ・キティさんからはプロのダンサーである責任として自らの身体を知ることが大切だというお話がありました。福祉国家であるフィンランドで暮らすトンミさん。大学にはダンサーに関する部門があり、卒業すると国家のアーティストとして擁護されているとのこと。そうした環境下でダンサーとしての意識が育まれていくともおっしゃっていたように思います。また、加齢については「アーティストを長く続けていくということはケガや故障は避けられないということでもあります。30代くらいまではどんどん伸びていけますが、それ以降は“出来ること/出来ないこと”を明確にしながら深く探求する時期。私は現在53歳ですが、今後は後進に自分の経験などを伝えていきたいと考えています」とも。ケガのための手術を受けたあとは、ご自身の身体であっても“別の身体”を手に入れたような感覚で、自分のものにするまでに時間がかかることなども話されていました。別の日に見学させていただいたトンミさんのワークショップでは、ゆっくりと時間をかけながら行われるウォームアップが印象的でしたが、こうしたていねいな身体への向き合い方がプロのダンサーとしての責任意識につながっているのかも知れませんね。

桑原さんは江崎グリコ株式会社でサプリメントの開発・スポーツ選手のコンディショニングなどをサポートされているそうです。プロレスの世界の「ダウン癖」(試合中にすぐ倒れてしまうような状態で、これは身体が本能的に自らを守るために働く機能だとか。この状態が出はじめると引退説が流れる?)の話題やダンサーに多い貧血は足の裏を強打することで赤血球が破壊されて起きる特殊な貧血であるといったこと、公演まではアミノ酸、公演途中からはクエン酸を摂取することで効率的なパフォーマンスが実現出来ること、動物性のヘム鉄を摂取することで酸素の取込みが良くなることなど、興味深いお話が盛りだくさんでした。

三者がそれぞれご自分の活動を紹介された後は、クロスディスカッションが展開。小曽根さんからは具体的な『芸術家のくすり箱』でのサポート実例の紹介があり、ダンサー特有のケアが必要であること、桑原さんがアスリートのためのサポートをしているような現場での具体的な実例が必要である、連携するなどの動きも必要ではないか、というお話が出ていました。トンミさんからはアーティストはいかにクリエイティブで身体を大切に出来るかが重要なのに、ついついクリエイションの方にウェイトが置かれてしまってケアすることが手薄になってしまいがちなので、バランスが大切とのお話が出ました。

シンポジウムではパネラーの経験を交えたお話が聴けるところが魅力。公式の文書などには載らないような個人的な体験談や工夫、その場で生まれる新しい知見などはとても大きな気づきや学びを与えてくれます。ダンサー、アーティストの環境を考えるということは、大きな視点で社会全体を見通すきっかけにもなりますね。

「踊る」「見る」「書く」「考える」「交流する」。ダンスを立体的に体感するフェスティバルの中で、このシンポジウムもまた意義の深いものだったと思います。



亀田恵子(かめだ・けいこ)
大阪府出身。2005年日本ダンス評論賞第1席受賞、評論活動をスタート。2007年京都造形芸術大学の鑑賞者研究PJT.に参加、Arts&Theatre→Literacyを発足。会社員を続けながらアートやダンスを社会とリンクすべく模索する日々。

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