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うーちゃんとくまさんのダンス談義 2009年冬 (1) (上念省三)

2009年04月1日

疲労しつつある私たち
 1月下旬から3月にかけてって、すごく公演が多いけど、長い期間のプロジェクトや選考のまとめの公演があって、面白かったね。「芸創→精華連携企画 コネクト vol.2」もその一つ。11月に芸術創造館で7つの団体が作品を上演して、審査員(川下大洋、服部滋樹、ヤノベケンジ、谷口純弘)によって選ばれた作品が、改訂の上、上演されたわけです。

 2団体の作品が上演された中で、案外ダンスだったというか、なんちゃって、って感じでダンスだったのが、寺田未来(てらだ・みな)作・演出の『ノヽ□→、ぁナょナ二∧(*°▽°)/』(2月1日、精華小劇場。もう1団体は夕暮れ社弱男ユニット)。

 タイトル、よく入力できたね(笑)。「ハロー、あなたへ」ね。寺田さんが女子高生の制服姿で見せるへたくそなダンスは、痛い感じもしたけど、そんな中途半端さや痛さが、全体にうまくいきわたってたよね。お話としては、携帯の出会い系サイトで知り合った「男」(山本圭祐)と「女子高生」(寺田)の出会えない「出会い」の顛末を描いた、チャンチャンッて感じの他愛ないコメディなんだけど、なんて言えばいいのか……、ミクスドメディアだったよね。

 生身の身体と映像(上田茂)がミックスされていたということと、映像にシンクロして物語を語る身体と、オペラの音楽に合わせて唐突に踊る身体とが分裂しながら共存していたということ、両方の意味でミクスドメディアだったと言っていいかな。

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う 携帯上のサイトで交わされる文字がプロジェクタで舞台上に映し出されるのを読みながら、舞台の身体の速い動きを見るのは、結構忙しかったね。原語で上演されるオペラや演劇、日本の古典芸能でも字幕つきの上演だと、こういう忙しさになるけど、意味あいはちょっと違うよね。

 翻訳ではないわけだし、作品の一つの要素として重要なものだったんだろうね。携帯サイトの上での出来事だということ、つまりヴァーチャルなリアリティが強調されるわけだし、サイト上でのコミュニケーションっていう奇妙なまだるっこしさや、肉声のない無機的な感じが強調されてるのかな。誰が物語を語っているのか、という主体が匿されているようでもあり、いろんな意味で、とても効果的だった。

 舞台の上で起きていることが、間や前に文字が入ることで、映像と同じか、映像のまた向こう側にあるような感じにさえなっちゃう。生身なのに、生々しさをどうにかしてしまいたい、みたいな。

 いたたまれなさや居心地の悪さが、作品全体のトーンとして流れてたよね。お話としては、「女子高生」というのはサイトの上だけで、実は店内に居合わせた疲れた「おばさん」だったと思わせておいて、本当はしょぼい喫茶店の無愛想なウェイターだったという落ちで、他愛ないんだけど「男」と「おばさん」の妄想がオペラをバックにしたダンスの形で疾走していくのがすごかったわけだ。「出会い」の物語の筋には結局何の関係もない「おばさん」なのに、彼女の妄想がものすごい勢いで膨らんでいく。しかも、不思議なことに不在の「女子高生」も、無関係の「おばさん」も、すごくリアル。「おばさん」と「男」のダンスは、素人丸出しみたいなのに、生々しくて、けっこうエロかった。

 あのダンスが、すごくうまかったら、どうだったかな?

 難しいね。あれが熊川哲也と吉田都みたいだったら(笑)、2人の技量や身体が圧倒的だから、お客さんが舞台を見上げるっていう関係になるわけだよね。そうしたら、この作品の魅力だといえるゆるさ、ぬるさが成立しないよね。寺田のプロフィールに「演劇界、ダンス界でつまみ食いを重ねて来た」ってあるけど、そういう「ちょっとかみ」な感じがうまく伝わってきた。がっぷり噛み付くんじゃなくて、ちょっと噛んでるだけ。

 作品っていう形で世界を創ろうとする時に、閉じて完璧なものを創ろうとする人と、そうじゃなくて、スカスカしてゆるいものを創ろうとする人がいるよね。

 スカスカになっちゃった、っていうんじゃなくてね。

 うん。それは、お客さんとどういう関係を持とうかということがテーマだといえるのかな。

 完璧なものであろうとすることに、嫌気がさしてる、っていうこともあるんじゃない? もちろん、どちらかだけっていうことじゃないし、関連してることだろうけど、「すごい!」と思われるようなものを見せること、「すごい!」と思われるようなものを見せる自分であること、に飽き飽きしている以上に、嫌悪感を持っているとか。

 でも、舞台には立っちゃう。別の公演のことを思い出したんだけど、話題変えていい?

 どこへ行くのやら。

 その1週間前に観たschatzkammer、森川弘和振付・出演の『A4』(1月24日、アトリエ劇研。構成・演出=森本達郎)。A4の紙が舞台に山のように積まれていて、腰掛けた森川さんが紙と戯れたりするんだけど、時々取り損なって「失敗したなぁ」みたいにニヤッと恥ずかしそうに笑うでしょ。

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Photo: 森本達郎(T. Morimoto)

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く チャーミングですよね。

 あれって、わざと?

 うーん、どっちでもいいように思うんだけど、完全な振付じゃないとしても、すべて成功する、つまりうまくキャッチできないことがないことは、求められてないんじゃない?

 回りくどいねぇ、「ない」が4回! ……要するに、何度かキャッチし損なうことは、作品の一部だよね。

 そうすることによって、作品に風穴が開くと言うか、お客さんがリラックスしたのは、面白かったね。たとえばMonochrome Circusの『水の家』(最近では2008年12月末、アトリエ劇研)の森川さんは、とてもハードな印象があったけど、ここではぐっと親しみやすい印象があった。森川さんでも失敗するんだ! みたいな。

 でも、計画的に失敗している?

 失敗する私、を見せている。

 ダンスの「私」って、誰?

 えっ?

 寺田未来さんは「女子高生」や「おばさん」を演じてたっていうか、装ってたというか、役になってたでしょ。バレエならオデットになったりするわけだし、ちょっと乱暴に言っちゃえば、中村七之助さんが『鷺娘』を舞う時は、鷺娘になってるように見えたよ(二月花形歌舞伎、松竹座)。森川さんの二つの作品は、schatzkammerでは森本さん、Monochrome Circusでは坂本公成さんの作品として、構成や振付がされているわけだけど、それぞれどういう森川さんであろうとするのかしらん。

 うーん、本当のところはよくわからないけど、自分というものの意識の落としどころみたいなものを、少し変えてるんじゃないかな。演劇みたいに台本があるわけじゃないから、「下町生まれの実は貴族のご落胤」とかいうような配役があるわけじゃないけど、ハードでいようか、少しゆるい存在であろうとか、そういうのはあるんじゃない?

 ゆるキャラみたいな、キャラクター作りをするわけか。

 どうだろう? それが振付とかいう形で外部から与えられる部分が大きいのかどうかとなると、また微妙なところだろうね。でも、ピシッと決めた、ハードボイルドな自己像というのには、疲れちゃったな、という感覚は、かなり広がってると思うよ。

 ゆるキャラでいくことで、自分自身も癒せるんだよね、きっと。お客さんにも癒しになるだろうね。肩ひじ張らずに観てられるっていうか、仰ぎ見るんじゃなくて仲間感覚っていうか、同じ側にいるって感じになるんじゃないかな。

 うまくいけばね。

 えっ?

 ゆるいだけじゃ、イライラしない?

 ……たしかに。

うーちゃん:演劇や宝塚歌劇が好きな、ウサギ系生命体。くまさんに付き合って、ダンスも見始めた。感性派。小柄。

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くまさん:コンテンポラリーダンスが好きなクマ系生命体。最近、古典芸能にも興味を持ち始めている。理論派。大柄

『ノヽ□→、ぁナょナ二∧(*°▽°)/』 作・演出:寺田未来 出演:山本圭祐、寺田未来 映像:上田茂
2009年2月1日 精華小劇場

schatzkammer『A4』 構成・演出:森本達郎 振付・出演:森川弘和
2009年 1月24日 アトリエ劇研

produced by 上念省三(じょうねん・しょうぞう)
演劇、宝塚歌劇、舞踊評論。「ダンスの時間プロジェクト」代表。神戸学院大学、近畿大学非常勤講師(芸術享受論実習、舞台芸術論、等)。http://homepage3.nifty.com/kansai-dnp/
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