document/a(c)tion interview

【暑い夏13】わらしべ長者インタビュー(2)

2013年06月5日

 このインタビューのおおもとの動機は、ダンスへの現在形の関心を、体験レポート以外のやり方でも拾い上げることにあります。基本の質問は、「①ふだん何をされていますか」、「②どういう経緯で参加を?」「③ここでどんな発見がありましたか」と、アンケートのようにシンプル。ところがふとしたはずみでやりとりは一気に加速し、気づけばジェネラル・クエスチョンとは別の枠組みで時間は大幅延長・・・。  さまざまな地域とバックグラウンドに根ざす10人の参加者との“まなざしの間”に転がり出てきてくれた言葉、フレーズ、個人の歴史をどうぞお楽しみください。

 

「本質に至るプロセス〜Visual Thinking Strategyとダンスの親近性〜」亀田恵子さん kameda_sachin_small

 

 亀田恵子さんは、「暑い夏ドキュメント」を始めた頃からの理解者、協力者であり、相談を持ち込むごとにドラえもんのように、ツールを授けてくれた知恵袋でもある。例えば2009年にフェスティバルの学びの質に応じて、アフタートークのナビゲーションをファシリテーションに切り替えたいと話したとき、グラフィック・ファシリテーションなるものがあると教えていただいた。また「もっとたくさんの受講生の声を拾いたい」と相談したときは、「アンケート解析の方法を学んだところなので、やってみましょう」と設計から集計までこなされた。2011年には参加者をその場で動員して「わらしべ長者インタビュー」をまとめ、聞き書きの面白さに目を開いてくれた。しかし筆者はのび太さながら、過去に授けられたツールを活かしてきたとは言い難い。そこで今年は真っ先に亀田さんにインタビュー。ダンスを伝える方法にどのように出会い、何を大事にされているのか。

 

 亀田さんは名古屋の某企業に勤めながら、Art&Theater→Literacy(以下ATL)の活動を行っている。ATLは「劇場作品を言葉にしたい」という思いに発して、「アート・リテラシー」に「シアター」を組み合わせた彼女の造語。ダンスや演劇についてものを書くようになってゆく中、自分のやっていることを説明するために考えた名義だという。現在は執筆のほか、松本で出会った人々と一緒に6年前から毎年10月に演劇のイベントを制作してもいる。また、言葉にすることをゲームっぽくアレンジしたワークショップもより展開してゆければと考えている。

 

 気になるフルタイムの仕事とそれ以外の時間を利用した活動のバランスは、どうなのだろう。振り返ってもらうと、うまく釣り合っている時期はなく、アート関係の活動に傾いていたら、そこで得たことが仕事の上での認識とつながっていったとのこと。企画業務という彼女の仕事に求められるのは「本質を掴む力」だから、と。ここで、Visual Thinking Strategy(以下、VTSと呼ぶ)が登場する。VTSとは対話を通して作品の意味に到達することを促す美術鑑賞の方法で、近年日本でも鑑賞教育の枠組みにおいて注目されている。いろいろなやり方があるのだろうが、筆者がこのやり方を知った『まなざしの共有』では“作者の意図”や“専門家の知識”は敢えて無視と、美術界の価値体系にとっては一見、革命的。亀田さんは、ダンスを見て言葉にするという個人的な課題から出会った興味を持ち、京都造形芸術大学のVTSプログラムに参加された。ちなみに、訳あって舞台に関係するものだと勘違いして行ってみたら美術鑑賞のメソッドだったという。必要なものに無意識に手を伸ばしているのは、今回のインタビュイーの共通点だが、亀田さんにとって「考えることを考える訓練」と言われるVTSはとりわけ、先の「本質を掴む力」につながったという。どういうことなのか。「具体的には、ナビゲーターがいて、作品を見ながら参加者はいろんな目線で、どのように見えるかを言い合う。その際、必ずなぜそう見えるかという理由をセットで言うことになっているので、必然的に発言する前に考える。その経験を積み重ねていくと、結局は本質を掴むところにいけるんですよ。」

 

 実際、VTSを始めてからは、作品が「格段に見えるようになってきた」だけでなく、「仕事の上でもなぜ今日は仕事がはかどったのか? 何があったからだろうかと考えるようになった」という。その結果、効率化を推進する上で、一般的な常識では回り道のようなやり方が、結果につながっているということに気づいたりもした。「例えば指示する相手の話をよく聞いたり、引っ張る側が弱みを見せたり、思わぬ失敗をした時に、相手が成長したり、言った以上のことをやってくれるということが見つかっていった。」一方で、VTSの一番の醍醐味は「自分がこうだと思った感覚がどんどん変化してゆき、そのことが悪いことでなく、かえって素晴らしい、何より楽しいということが健康に体験される」ところにあると強調する。「一般社会では、『ぶれている』と言われたり、信用を失うことにつながると、自分の意見を変えることが怖い。だがVTSでは、『この絵はこう見える』と言った後で、別の角度の見方が加わった時、『なるほど!』という転換が許される。むしろ視点が広がって、ならばと自分の意見もふくらんで成長させてゆける。そこは、萎縮してしまいがちないろんな場面で参考にできるのではないでしょうか。」

 

 肝心なのは、「答え」としての「本質」でなく、そこに至るプロセスのようだ。そしてこのプロセスをひたすら経験するという点で、「暑い夏」はVTSと親近性があると亀田さんは言う。

 

「このフェスティバルに来るようになって以来ずっと思っているのですが、ダンスのワークショップって、できることに方向づけられているわけではなくて、時間をずっと経験しているんですよね。参加するクラスにもよるのでしょうが、特にここに来ている人たちは、先生たちの教えてくれる技を習得するというより、先生方のさまざまなダンスへのアプローチを、その時間の間共有し体験する。先生たちは当然ゴールにいるのかも知れないけれど、その途上をまず自分の体で味わうことが大事だと知っていて、それを体験させるすべを知っている。終わった後に成果を出せとか、結論を言えとか、定量的なことは問われない。そういった体験は無駄に消えてゆくわけではなく、蓄積されていって一つの塊になっていくのではないでしょうか。あの先生は呼吸についてこう言っていた。この先生もそこと絡む話をしていた、ではその重なり合う部分は何だろうと考えていると、ぼやって浮かび上がってくるような。そこは世間にはない固有性かなと思います。」 一方、ドキュメント/アクションにとって、大切なご指摘も。 「VTSの本質は作品が言わんとしているところなので、このやり方が身についている限り、作品と一対一の主観的な向き合い方でもあまり独りよがりなことにはならない。一方ダンスは、自分の体験に始まり体験に終わる、そこから自分を対象として見つめ、客観的に言葉で取り出すことは難しくなるけど、ここの講師は体験に跳び込むことと、それを外から眺めることと、両方促しているとも感じます。」

 

 両者の間を行き来する状態、あるいは同時に両方を行っているような境地。それはまさしくこのフェスティバルが、継起的に鍵を与えてくれる謎であり、そしてアクションとしてのドキュメントがめざすところでもある。このように、膝をぽんぽん打ちたくなるような亀田さんのお話にも、その鍵がちらり。 「絵を見ている人はすべてをしゃべろうとする傾向があるので、それに対してVTSのナビゲーションは、言葉の交通整理をしてかいつまむ必要がある。その時、自分っていう価値観によって判断しながら聞くと全然だめで、わりと体の中を空っぽ、空洞状態にして事実をそのまま受け返すんです。そういう状態で聴くと何が起こるかというと、自分は枠組みの中にいて—中庸にとか正確にとかVTSには規則がいろいろあるので—、そこで話す人たちにはもっと大きな枠組みの中で自由にしてもらう、それを上から見ているような感じになるんですよ。」

 

kameda_momo_small

 

「おばあちゃんの体の使い方が気になってきた」白石将生さん

 

 白石将生さんは、公成&裕子の「水曜コンタクト」から本フェスティバルを知って、3年目の参加になる。今年はノアム・カルメリのD-1とD-2クラスを数日受講し、全身に張り巡らされた筋膜と骨格による身体運動の捉え方が新鮮だった。その話を聞いた上で骨と骨の間を解放し、呼吸を通しながら実際に動いてみると、動きが自ずとつながってゆく感覚が得られた。「リリース」を心がけつつも「動くためにはどこかしらに力を入れねばならない」というジレンマに対するノアムのアドバイス「(自分で動こうとするのでなく)重力など自分の外にある自然から力を得る」も腑に落ちるものだった。そういえば最初に教わった即興の先生も、音や環境から影響を受けたところを動きの起点にし、そこから作用、反作用が生まれてゆくという話をしていた。仕事のため受講は例年飛び石だが、通しで受けたかったなと思った。何より楽しかった。

 

 まちづくりの仕事に携わる会社員の白石さんは、ダンサーの奥様に「引っ張られて」4、5年前に踊り始めた。基礎もないし、しっかりレッスンを受けることはできないが、休日を利用して即興、コンタクトインプロヴィゼーションなど様々な舞踊家のワークショップを受講している。人が体について持っている多様な価値観を知れば知るほど、他人との関わりに対して応じる体の言語が増える気はする。ダンスとのつきあいは「生活と結びついている感じかな。」切実なところでいえば、デスクワークばかりで軽いヘルニアすら出てきたので体を動かしたい。そうこうするうちに、言葉の上のコミュニケーションに限られないような人と人との関わりに面白さも感じるように。

 

 人との関わりと体の動かし方についての視点は、まちづくりのお仕事などとも関係してくるのだろうか。素人の質問をいろいろぶつけてみたら、丁寧に考えを述べてくれた。話題はモノクローム・サーカスの『Trope』のコンセプトにも用いられたアフォーダンスの考え、昨今のまち歩きイベントやツアー・パフォーマンス、そして都市の“効率”に処するすべにまで。都市に関するものも含め、今まで行政が担ってきたサービスは、財政や人口構造の点からいずれ成り立たなくなっていくだろう。そんな中、「住んでいるところを誇りに思えるような活動をするとか、日々の生活を楽しんでいくといったことでも、市民、住民が主体的になることがますます大事なってゆくのでは」と。鍵になるのは一人ひとりの主体性、そして「おばあちゃん」。ご自身がどんどん体を動かさなくなってきて、便利な生活をしていないおばあちゃんの体の使い方が気になってきたのだという。「僕自身は、現在のシステムをどうこうというよりは、自分のおばあちゃんの世代が豊かな生活をしていたというあたりを参考にして、例えばお金の交換にみられる今の価値の流れとは違う、してあげたりしてもらったりといったかかわりの中で価値が循環するようなことを考えてゆきたい。例えば、まち歩きで歩きながら体を動かし、おばあちゃんから体の所作を学び、気づきを得る、そういうことならやってみたいですね。」

 

IMG_1247_small

 

「ふだんとは違う人々の中で、短期間集中で学べるのが魅力です」 Marah Arcilla & Kathy Mui 

 

 フィリピン出身で数年来香港で働くマーラは、海外から初のリピーターとなる。3年前、フィリピンのアーティスト、ドナ・ミランダの勧めでこのフェスティバルに単身やって来た彼女は、今回香港の友人、キャシーを誘ってきた。「言ってみれば、キャシーは私がここに輸入してきた初めての外国人ね」と笑う。  キャシーはHong Kong Academy of Performing Artsを卒業したばかり。 このアカデミーは、海外からのゲスト講師も長期招聘して、平日は毎日朝から夕方まで学ぶことができた。だが一旦卒業してしまうと学ぶ機会は減る。「先に進むためにもっと学びたい。でもアカデミーで学んだ者のレベルにふさわしいクラスは少ないんです。私たちは香港で踊る人々の中では少数派ですから。なので、クラスのレベルと、短期間に集中して受講できる点で、このフェスティバルは魅力でした。」毎日3つのクラスを8日間受け、合間に初めての日本を満喫している。

 

 一方マーラは、ふだんと違った環境で学ぶことに意味があるという。「世界の反対側から来た先生、よその国の受講生と、お互いに知っていることをシェアするのは素晴らしいことです。単に新鮮な空気を得るためだけでも、来る価値がある。」ヨガの講師をしている彼女は、各講師の教え方にも関心を持っている。「自分で教えていることを、いろいろ振り返って考察できるので。それに、アジアと西洋で教え方も違うかも知れない。」

 

 実際どうだったのか。違いは地域よりジャンルなどにもよるのでと断りつつ、マーラは今回学んだ講師は、オープンマインドで、教えるよりシェアする、受講生自身に探求させる余地が大きいと述べた。そして2人とも、受講したクラスに共通する傾向に触れ、興味深い質問を返してくれた。「どの講師も、できるだけ体に負担をかけず、重力を使って動くやり方を教えていますね。全員の講師がリリース・テクニックに基づいていると見受けられるけど、だとしたら、今日たくさんあるテクニックの中から、リリース・テクニックを集中して教えているのはなぜなの?」と。確かに、プログラムの方向により、基本の重なり合う講師がいる。Aクラスの講師アビゲイル・イェーガーも、他のクラスを見学し講師と話す内に見つけた共通点をいくつも挙げてくれた。ただそれは、名のあるテクニックの中から特定のものを強化しようということでも、その道の専門家が集められたということでもない。このフェスティバルの歴史、今年のテーマの射程などをかいつまんで説明しながら、ダンスのワークショップフェスティバルといえば、テクニックのヴァラエティが前面に立つのが一般的なのかも知れないと思った。

 

 最後に、未来の参加者に向けて伝えたいことはと水を向けると。

 

マーラ「何が起ころうとも、あらゆる状況に対して開かれていること、自分を投入することが大事だと思います。それは学ぶにあたって大切なことだし、同時に心を開いてゆく方法だと思います。特に私たち外国人は、違う文化の中では丁寧に、異なるものにどう自分を関わらせてゆくかを研究してゆくことが大事だと思いました。」 キャシー「私は“Just pack and come! ともかく荷物をまとめていらっしゃい”って言うわ。ここの人はとても優しくて、道がわからなかったり、まごまごしていたりしたら助けてくれます。恐れることはありません。」

 

Marah_kathy_small

 

「ふだん生活している上では絶対にすれ違わないような人たちと時間を過ごすことに価値がある」西村祐沙さん

 

 この春に京都の大学を卒業し、神戸で勤め始めた西村祐沙さんは、「暑い夏」には2010年から参加している。1年目はコンタクトのみ、2011年はビギナーを通しで、その年のショーイングを見て昨年はエリックのクリエイションクラスを受講した。このフェスティバルには、人がいろんなところから来ている印象。ふだん生活している上では、絶対にすれ違わないようなジャンルや国籍の人たちが来ていて、フェスティバルの間その人達と時間をすごすことに価値があると思う。昔から人生のテーマを「引き出し広げ」と思っている祐沙さんにとって、このフェスティバルは参加する度、自分の知らない世界とどんどん触れ合ってゆける。  フェスティバルのことは、コンテンポラリーダンスのワークショップ「ココロからだンス」の発表公演で見つけたチラシで知った。「ココロ〜」には高校時代に自分も出演したことがあり、ナビゲーターの佐藤健大郎さんのワークでやったコンタクト・インプロヴィゼーションのことを覚えていた。もう一回あれができるんや、と申込を決めた。

 

 コンタクトに出会ったのは、5歳で始めたバレエにいったん距離を置き、学校の部活動の枠組みを超えて演劇やダンスの公演に活発に参加していた時期だった。多感な年頃にもかかわらず全然抵抗がなく、「こんなに人にべたべた触っていいんや」という驚きとともに、「もっといろんな人と踊ってみたい」と欲が出たことを覚えている。佐藤さんのワークでも流れを重視していたので、ウェーブに乗るとか、意図しないところで動きが生まれたり無意識下で動かされたりといった、ちょっとスピリチュアルなところに足を踏み入れる感覚が好きだったのだが、2010年の「暑い夏」にはさらに強烈な体験が待っていた。びわ湖ホールでの最初のジャムの時、半分トランスだったのか、動かされつつも場が全体で盛り上がっているのがはっきり見えていて、スローモーションなみに全部を把握できるといったことをいきなり体験した。子供の時に読んだバレエ漫画でそういう状態があること、それがスポーツをやっている人の間で「ゾーン」と呼ばれていることは知っていた。「私はそこまで行けたんだか、そこに行きかけたんだか、ともかくそれから『コンタクト、やばい!』って。」

 

 ちなみにインタビューの間となりで合いの手を入れる梶浦さん(インタビューはこちら>>>)も、このフェスティバルでコンタクトを始め、みるみるはまって今や坂本公成さんの出張講義のアシスタントを勤めるまでに。2010年は祐沙さんが受講すると聞いただけで即申し込んだため、ちょっと慌てた祐沙さんは、二人で行ったダイアログ・イン・ザ・ダークを思い出して、「あれを気に入ったかじさんなら、いけると思う」と言ったとか。 Kaji_Yusa_small

 

 以来、公成&裕子のコンタクト・レッスンを定期的に受けるようになり、どっぷりはまっている。最初は感覚で動いている部分が強かったが、次第に体の動かし方やテクニカルの部分も面白いと思うように。もともと体を動かすメカニズムには意識的だったので、「バレエを踊ってきた体に、コンタクトコンタクトが踊れるメソッドをインストールされてる」感覚。バレエはコンタクトやコンテンポラリーダンスではよく、対極にある体の動かし方の例として出てくるけれど、この区別に祐沙さんは意味を感じない。バレエをやっていた有り難みは今になっても感じるし、いろんなダンスを経験した上でもう一度バレエに戻ったらどんな感覚なのか、今から楽しみでもある。  祐沙さんにお話をうかがっていて興味深かったのは、すでにある区別に囚われずにものを見るところ。京都演劇フェスティバルに関わり文化政策に興味を持ったことをきっかけに、大学は政策学部に進学。卒論では「芸術祭における地域コミュニティ活性化について」というタイトルで「瀬戸内国際芸術祭」、「混浴温泉世界」などの芸術祭を取り上げ、地域とアートの関係、キュレーションなどの問題を扱った。しかし就職したのは、祐沙さん自身もよく遊ぶ、ゲームソフトをつくっているエンターテイメント企業。祐沙さんの中で、いわゆるアートとエンターテイメントは切っても切り離せないのだ。劇団四季の会員だし、ディズニーランドのリピーターでもある。目下、ディズニーがダイアログ・イン・ザ・ダークにインスパイアされ行う企画に興味津々で、梶浦さんと喧々囂々。「一つの事象をアートの側から見たらこう、エンタメとして見たらこう、と話をするのも楽しいし、いろんな側面を持った一つの作品やイベントとして見ればいい。」卒論に紹介した瀬戸内国際芸術祭でMonochrome Circusが公演した「直島劇場」で、踊る側と見る側の関係が幾重にも反転したように、アートには固定した役割に由来する関係を超えさせるものがあるのかも知れないと思う。恋愛とか、ジェンダー的なところも、どんどん区別がなくなってゆけばいいと思う。そんな祐沙さんは「暑い夏」で、ビギナークラスのアフタートーク後の飲み会を強くお勧めする。「ナヴィゲーターとフォロワーというワークショップの場での関係がリセットされて、人間と人間のコミュニケーションができるから。」

 

「個別の問いや感性を分かち合うために」Amalia Alba、Sonia Garcia、Lucie Collardeau

 

 アンジェ国立現代舞踊センター(CNDC)の交換留学生、アマーリア、ソーニャ、ルーシーにとって、本フェスティバルは7月の修了前の研修旅行のような意味合いを持つ。CNDCでの2年間は、少人数がさまざまなワークを共にし、親密な関係を築いてきた。「外に出て新しい経験をするのにちょうどよい時期」とルーシーは言う。  もとは個人間の交換関係を若い世代に渡してゆこうと始まったプロジェクトも、双方で展開した。今年予定されていた研修先は京都を含めて3都市。行き先は必ずしも希望どおりではないためか、京都に対する期待は見事にばらばらだ。アマーリアは日本の伝統や儀式、そしてダンスの現在形に関心を持っていたのに対し、ソーニャはメディアを介したイメージや歴史から日本人にいい印象を持っていなかった。旅の経験の豊富なルーシーは、様々な文化、歴史に等しく興味がある。幸い、実際に体験された京都は等しく好印象を与えた様子。生活する人々をよく観察するソーニャは、見られていることに気づいた人がなぜだか皆ほほえみ返してくれることを挙げ、人々の穏やかな様子に先入観が覆されたという。コロンビア出身のアマーリアにとっては、外国人に対して人々が優しく、関心を持って接してくれるところが印象に残った。時間をとって寺院や庭を見て回ったルーシーは、対立するものがバランスよく隣り合っていると。本フェスティバルが、この都市のいろいろな財産に負っているところがよくわかる感想である。

 

 ワークショップの収穫を尋ねると、一つはエマニュエル・ユインのC-1クラスで、アンジェで見た作品『Spiel』の創作プロセスをシェアできたことだという。笠井叡や室伏鴻といった、アンジェに招聘された舞踏家の仕事を間近で目にした彼女らは、その特異な身体のあり方に強い印象を受けた。今年は舞踏のクラスはなかったが、一緒にワークに参加している受講生から、CNDCの学生とはまた別の身体性、ダンスへのアプローチを知ることができた。もう一つ重要なのは、身体のfluidityに焦点をあてたプログラム。振付のコンセプトや実験に関わることが多いCNDCに対し、ここでは動きの流動性を自分の体で再発見することができたのだという。  彼女らがCNDCで行っていることは、「教師や招聘アーティストが常に問いを共有し、それぞれ違う答えを見つけ、交換する」というソーニャの言葉にうかがい知ることができる。それはユインの仕事や彼女がその一翼を担ってきたフランスの芸術文化の前線の一端を示すが、同時に京都、あるいは日本の舞台芸術の問題系にも触れる。感性にかかわる実験を理解に方向づけられた観客といかに共有するのか。個別に見いだされた問いをともに探求する場をどのように準備するのか。この問いに対して彼女らは、劇場のアドミニストレーターが若い観客に向けて、あるいは学校、病院、福祉施設のために、感性にはたらきかけるプログラムを組んでいることを教えてくれた。3人でダンサーと観客に分かれて少し実演してくれたのだが、それは触覚も含めて見る者との間に感性のリンクをうちたて、その関係の中でともにダンスを生みだす試みのようだった。この装置はフランスで、振付家、ダンサー、研究者、批評家、ジャーナリスト、劇場の教育担当者など、多くの人の間で試みられているらしい。非常に刺激になると感謝してインタビューを終えようとしたら、アマーリアが最後にどうしても言いたいことがあると。

 

 「アビゲイルも言っていたけど、このフェスティバルの参加者は、相手が伝えようとしていることにしんとなって、全身で耳を傾けるでしょう? 知らないことを理解しようとするとき、このような姿勢があれば、講師の説明を理解するより遠くへ行けると思うんです。わからないことに対して、理解できなくても理解しようとすることは、ダンサーにとってとても大事なことだと思います。この集中の質は、私たちがここのフェスティバル、参加者達、日本人から本当に吸収したいことだねって、みんなで話していたんですよ。」

 

撮影:森下瑶
撮影:森下瑶

 

「食べるのと同じ体によいことに、ダンスからもアプローチできる」松田すみれさん  お話をうかがうまで、ダンスとチョコレートのつながりなど考えてもみなかった。だが、古来栄養価の高さとともに精神への作用も認められていたカカオは、アメリカ西海岸の大規模なダンス会場では、アルコールの代わりに売られているという。そして、松田さんを「暑い夏」に導いたのも、この「踊れるチョコ」だと言えるのだ。  銀閣寺の近くでcacao magic(カカオ・マジック)というローチョコレートのカフェを営む松田すみれさんは、クラブ・シーンが盛り上がっていた頃10年ほど、東京とロンドンでDJをしていた。寝食を忘れてレコードを買い、聴き、踊りに行き、DJする生活は充実しており、好きなことをとことんやったら仕事にもなる、こうやって生きていこうと思っていた。ところが健康を害して徐々に方向転換。「植物の生命力をそのままもらい、食べたものに成っていくことを通して、体の状態にとどまらず、ものの考え方や出会う人・ものも変わっていく」ことを促すraw food(ローフード)という食餌法に出会う。同時にその実践者たちのライフスタイルと結びついたダンシング・フリーダムやエクスタティック・ダンスといったダンスカルチャーにも。「食べることで自由になっていったり、考えることがポジティブになっていったりする。同じ事をダンスという体を動かすことからもアプローチできるのが面白かった。」なので京都でも踊る機会を探していて、そのつながりで知っていたコンタクト・インプロヴィゼーションのレッスンに友人が来る際、一緒に参加してみた。一方「暑い夏」のことは、なんと昨年の期間中にカフェに来てくれた外国人のお客さんたちから聞き、受けてみたいと思っていたのだという。  こうして初参加となった今年は、まずはコンタクトをと受けてみたビギナー初日に、通しで受講に切り替えた。結果、「素敵に踊りたいけどどうしたらいいのかわからなかった」松田さんは、大事なことを確認できたという。一つは、どのようなダンスであれ、まず体を緩めることから始めればいいのだということ。それぞれ違うダンスに方向づけられたクラスが全て、最初は寝転んだりして体をリラックスさせることから始まった。そうして内面をオープンにし、自分自身になったところで、具体的な動きや振りへという流れでいいのだろう。もう一つは、森井淳さんのクラスの振り移しで、「できると思ったらできる」と実感したこと。ローフードでもポジティブワードを使おうという考えがあるので、頭ではわかっていた。だが振付を苦手だと思っていた松田さんは、クラスの間は「できない」というところに陥ってしまった。けれども「頭でやっているから」という一言をきっかけに、次の日「できるもん」と再挑戦したら、なんとすんなりできたのだ。このように実感しながら得られたシンプルな基本は、日常の立ち居振る舞いにも作用したように思う。「フェスティバルの期間中も毎日カフェを営んでいましたが、お店で動く中でも、よい感じの動き方を試してゆき、そうするうちに、ふだんの生活のリズムができてきたんですよ。」

 

撮影:下野優希
撮影:下野優希

inter/viewにひらけた眺め+インタビューのススメ  ここまで読んでいただけたみなさま、ありがとうございました。みなさまにはこのシリーズが「わらしべ長者的」たるゆえんが、きっとおわかりいただけたことと思います。「ダンス」というキーワードを手に交換を持ちかけていっただけで、ご覧のとおり。もちろん、この収穫が立っていた場所に負っていることは言うまでもありません。  その中で、数年前から観察してきたある傾向も、確認することができました。それは、ダンスとの関わりで育まれる探求心が、いきなりWhat is dance?に向かうのでなく、Why does the dance matter to me?を通過しているようだということ。その初期の兆候は、2009年の高田祐輔さんのレポートに記録されていますが、現在はさらに、個々人のベースからそれぞれの間を探る試みが行われているようにも思われます。現在進行形のダンスは、そうして新たな公/共の場のあり方を探っている段階なのではないでしょうか。  そのことと関連して今回は、インタビューのやり方についても目から鱗の体験がありました。アーティストにインタビューをさせていただく機会の多かったこれまでは、限られた時間で“いいお話”をいただくため、できるだけ下調べをして質問を準備し、インタビュー中は聞き役に徹ししようと心がけてきました。けれども今回、やりとりがまさに“間”でドライブしたのは、ふだんはなるべく出さないようにしている「私」の問いを差し向けてみたときでした。その過程で自分の問いも磨かかれ、私が本当に知りたかったのはこういうことだったのか、「inter/view」ってこういうことだったんだ、と。  そんなインタビューの醍醐味に新たに気づかせてくれたインタビュイーのみなさま、きっかけをくださった亀田さん、そしてセンスのいい人々を集め続けるこのフェスティバルに感謝しつつ、最後に未来のドキュメンテーターになるかも知れないみなさまへ。  「インタビュー」を口実に気になる人ともお話でき、そして自分の問いも深めることができる、一粒で二つ美味しいダンスの「ドキュメント/アクション document/a(c)tion」。機会があれば是非ご利用ください。

 

古後奈緒子(こご・なおこ) 先日、先輩の講義に呼んで頂き、dance+の活動を振り返る機会をいただきました。自転車操業を8年も続けるなんて・・・と反省しつつ、「暑い夏」を含むフェスティバルのドキュメント活動が、dance+のかたちをつくってきたということに気づきました。当初、訝しがっていた講師たちが何かと情報をくれるようになったのも有り難いこと。写真は、東京に行く前に立ち寄ったイニャーキのくれた、ヨーロッパのダンスのドキュメンテーションのパイロット・プロジェクト。特にダンス教師の方、check it!document_small

Translate »