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【暑い夏13】わらしべ長者インタビュー(1)

2013年05月27日

 2年ほど前に偶然はじまった「わらしべ長者インタビュー」。これは、会場内でご縁のあった方に声をかけ、このワークショップフェスティバルに参加したきっかけなどをドキュメントチームがインタビューするというものだ。ドキュメントチームはこれまで、自ら体験したワークショップなどをレポートとして言語化・記録するということに継続的に取り組んできているが、ここ数年は(ビギナーを対象とした)クラスのあとにアフタートークを試みたり、“今、ここ”での記録をファシリテーショングラフィックを活用した臨場感あるものにする工夫をするなど、ユニークなアプローチで“ダンスと言葉、フェスティバルに関わる人たち”の姿を浮き彫りにしてきている(私も5,6年前からこの取組みに参加)。

 

 今年はドキュメントチームのたまり場にもなっている京都芸術センター2階の大広間から「わらしべ長者インタビュー」をスタートした。 「ダンス支える環境に惹かれて」福井幸代さん  福井さんは第11回のフェスティバルから参加しているベテランスタッフだ。インタビュー時、明るく弾むように話す彼女の周りにはフェスティバルに参加しているダンサー数名もいっしょだった。このフェスティバルはスタッフも積極的にワークショップに参加するし、自らがダンサーであることも多く、スタッフと参加者(ダンサー)との境界は曖昧だ。こうした点について「アットホームな雰囲気」と表現する参加者もいて興味深い。

 

 「ダンスのワークショップを初めて受けたのは大学生のころでした。当時、大学でインテリアを学んでいましたが、モノづくりをするときに“モノをつくる身体”について興味がわいてきたんです。」という福井さんだが、フェスティバルにはすぐさま参加したわけではなかった。「(興味を持った)はじめの年は、チラシを見て見送りましたが、2年目になって“やっぱり受けよう!”と思って参加しました。参加したときの感想ですか?何というのか、エネルギーに圧倒される感じですね。場で起きていることに動かされている自分がいました。」と笑う。参加は結果的に2年越しとなったが、イメージしていた内容にはギャップを感じなかったそうだ。「初めての経験で、他に比較するものがありませから、ギャップみたいなものは感じませんでしたね。ただ、他の参加者や講師と自分の動き・身体とのギャップは感じました。」という。日常動作の中では気づきにくい人の身体から生まれる動きの個性に、改めて気づいた福井さん。「年に1度、いろいろな気づきを得たり、リセット出来たりしています。“祭り”みたいなものでしょうか。今はスタッフとしても参加していますが、自分の興味関心がこうした場を支えている環境にも目が向いてきたからかも知れません。これからも興味は移り変わりそうですが、見えるものが変わっていくことは楽しいですね。」
 ダンスを通して、福井さんの世界はこれからも広がっていきそうだ。

 

5月2日(木)@京都芸術センター大広間

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「次の日もまた踊りたい・・・そんな自分と出会うえる場所」豊永洵子さん  

 

 豊永さんは大学で舞踊学を専攻する学生だ。ご自身に「普段は何をされているのですか?」と質問してかえってきたのは「踊りながら学生をしています(笑)。」というものだった。“学生”よりも“踊りながら”が前に来るのが今の気持ちに沿うという。
 3歳からジャズダンスに親しんだ彼女だが、今はコンテンンポラリーを踊っている。
「ジャンルへのこだわりはありません。いろんなダンス観や人、表現・作品があるので、こだわる必要がないと感じています。ジャンルにこだわることではなく、人間力が必要になると思っています。なぜ自分は踊っているのだろう?ということを大切に感じます。」ダンスに対する真摯な姿に思わずハッとさせられる。「・・・きっと、今いる環境の影響だと思います。大学に入って舞踊を学問という側面からも捉えなおしたり、“ダンスは人間の根源的なもの”ということを知ってさらに知りたい、知ったからにはもっとこうしたい、という気持ちを抱くようになりました。フリーランスで踊っていただけでしたら、今のような考え方をしていなかったと思います。」と少し控えめに笑う。しかし、いきなりトップギアで今の状態に至ったわけではなさそうだ。「大学に入った1年めは、正直足止めをくらった感じがしました。でも、この部分が精神的な成長につながったと思っています。今になってやめなくて良かったと思います。」彼女を支えたのは、大学でのさまざまな出会いだったそうだ。

 

 豊永さんがこのフェスティバルに参加したのは大学の先生の勧めから。参加しているのはエクスチェンジプログラム。“世界を見据えた場”に魅力を感じたそうだが、受講期間についても魅力的だと話してくれた。「最近、1週間の間に2回の本番を経験して、“やりきった”という感じや“詰め込むことで得られる満足感”を持つことは出来ました。でも、ダンスを続けていく上でのコアな部分・・・上手に踊るスキルじゃないことが抜けている気がしたんです。“ゆっくりと物事に取り組めることで分かること”がここにはあると感じています。次の日もまた、踊りたいって思える自分がいますね。」豊永さんのダンスへの取組みははじまったばかり。「今後の人生の中で“生きる・働く”ということとダンスをどう絡めていくかが課題ですね。」可能性・・・そんな言葉を彼女のインタビューから感じた。

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「カラダを使った会話が楽しい」梶浦聡さん

 

 大広間でドキュメントチームのスタッフと気さくに話す梶浦さん。彼にとって、このフェスティバルは今年で3回目となる参加だ。「ワークショップに参加したきっかけは彼女が参加すると聞いたから。演劇をしている彼女から“コンタクト・インプロヴィゼーション”というものがあるということは聞かされていましたが、おもしろそうだったので“じゃあ、僕も。”という流れでした。」梶浦さんは1度参加してすぐに興味を持ったという。「相手の意識を自分の中で解釈して返してあげると、相手から反応がかえってきますよね。そんなやりとりがカラダを使った会話のように思えて、すごくおもしろいと感じました。」「メールのやり取りなどで顔文字など使って相手が返信してくると、その人らしさみたいなものを感じます。ワークショップの中でも、そんな意外な反応に出会うと嬉しくなりますね。もちろん、自分自身の反応の意外性にも。」

 

 意外性や相手とのコミュニケーションを楽しむ梶浦さんは、ダンスのゲームソフトも楽しんでいる。「(実際にゲームの画面を見ながら)これは、webカメラで踊る人の姿をとらえて、画面のキャラクターと同じ動きが再現出来ているかをみていくんですけど・・・結構、楽しいでしょ(笑)?」ポップなヒットソングのリズムは確かにワクワク楽しくなる。彼の視点は、ダンスという枠をこえて広がっていく。「ダイアローグ・インザ・ダークってご存知ですか?真っ暗闇の中を目の不自由な方のガイドでツアーを体験するものなんですが、とてもコンタクト・インプロヴィゼーションと近い感覚を覚えたんです。彼女はワークショップを受けたあとに、僕はワークショップの前にこのガイドツアーに参加しましたが、それぞれに“近いね”という感じでした。例えば目を閉じて歩く、というようなコンタクトワークで感じる相手を知る、触感、動きの流れといった部分がそうですね。また、一般的にはタブーだと思うのですが、初対面の人とふれるという部分もそうですね。・・・まあ、そんなにふれたら仲良くなるよね、とは思いますけどね(笑)。」

 

 さまざまなジャンルにダンスの楽しさと共通する魅力を見つけ出していく梶浦さん。「彼女は表現の1つとしてダンスにふれていますが、僕は楽しむためにふれています。同じダンスという共通項を持っていますが、ふれ方の意識が違うみたいです。」ダンスへのアクセス方法は自由・・・そんな伸びやかさを彼の言葉の中に感じた。

5月2日(木)@京都芸術センター大広間

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「ダンスを続ける理由」山本和馬さん

 

 高校生まで新潟にいた山本さんがダンスをはじめたきっかけは、ある意味で非常にユニークだったといえるかも知れない。「入学したとき、帰宅部っぽいかなと思って入部したんです。でも、実際は帰宅部どころか1年を通してもお休みの日が20日もないという状況でした。」と当時を振り返る山本さん。「部員は55人が女子で、男子は2人だけでしたし、女子といっしょにバレエをやったり先輩と居残り柔軟などしていましたね。やめようと思いましたが、やめさせてもらえない状況でした。」そんな山本さんに1度目の転機が訪れたのは夏。神戸の学生コンクールで踊る男子学生の格好よく踊る姿を見たときだ。自分も彼らのように踊ってみたいと思ったという。だが、まだこの頃の彼はダンスと自分の関係については手探り状態が続く。コンクールには団体で参加、優勝も経験したが自分がやりたい、やりたくないに関わらず踊っている心境で、踊っているというよりは踊らされているという感覚の方が強かった。「ある日、NHKの番組でダンサーの近藤良平さんが「わからなくても続けていればいいこともある。」と話しているのを聞いて、ああそうか、と思いました。どんな高校ダンスでも状況は同じじゃないでしょうか。」と淡々と話していく山本さん。  

 

 2度目の転機は大学に入学してからだった。それまでは自分とダンスの関係について考える機会はなかったが、岡山の大学に入学してからは状況が違った。「感じるとは何だ?何を感じながら踊っているのか?」かということを問われるようになったという。このギャップの大きさに「わけがわからない」と混乱した山本さんだったが、この混乱は彼にとって“おもしろい”と感じる状況でもあった。さらに山本さんは自分とダンスの関係の変化について話してくれた。「自分が何を感じながら踊っているのかという気持ちになっていないと、見えてこないものがあるのかなと思うようになりました。単なる動きになってしまうのか、表現として成り立つのかが違ってくるように感じます。」

 

 最初のフェスティバル参加は3年前だったが、その時は学業との兼ね合いで通しでは参加できなかった。その悔しさがあり、今回の参加では通し参加を選んだ。「岡山に住んでいるのですが、本行寺というスペースで開催されたじゅんじゅんさんのワークショップに参加したことがあります。そこでアートファームの大森さんという方とご縁が出来て、このフェスティバルのスカラシップ*2に推薦していただきました。前回は3回くらいしかクラスを受けられなかったので、今年はエクスチェンジプログラムに(通しで)参加しています。」エクスチェンジ制度は国際プログラムで、選ばれれば海外へ出て行くことになる。「知らないことがたくさんあります。いろいろなものを見たいですし、いろいろな人の教え方を知りたいと思っています。」と希望を語ってくれた。

 

 ダンスを続けている理由については、最後にこう話してくれた。「大学のとき、ダンス部の顧問が学校側の都合で退職させられたあと、後任の顧問とケンカして僕も退部してしまったんです。キャプテンだったんですけどね。でも、そんなときにダンスを通じて出会えた人たちが僕を救ってくれました。このつながりが大切だと感じています。出会えて良かったと思っています。」帰宅部だと勘違いしてダンス部に入部した山本さん。気づけば「わからないままやめたら、もったいないよ。」と、後輩に近藤良平さんの言葉を伝えるようになっていた。自分とダンスの関係・・・それは山本さんの人生の歩みそのものでもあるようだ。

5月3日(金)@京都芸術センター大広間

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「生徒が、自分そのままで表現できるダンスを考えたい」畝木真由美さん

 

 8年間小学校の教諭を務めたあと、短大の保育課で身体表現を教える仕事に転職。現職が今年で3年目になる畝木さんは、フェスティバルへの参加は今年が初めてだ。参加した感想については「頭をたくさん使いますね。」と笑う。ダンスのワークショップといえば、一般的には身体を使うイメージが強いが・・・「あ、きっとそれは自分の仕事とつなげたいと思いながらクラスを受けているからかも知れませんね。ポイントをメモにしたりしていますし。クラスでの学びはもちろんそうなのですが、今回参加してみて、アフタートークが新鮮でした。」と目を輝かせる。アフタートークというのは、ビギナークラスのあとに開催されているフィードバックのような場だ。講師と参加者、そこにナビゲーターが加わり、今体験したばかりのワークについて感じたり考えたことをシェアしている。疑問の確認や、ワークの背景にある講師の考え方にふれる機会として参加者には人気があるコーナーになっている。「自分自身が長く学校教育に携わってきた影響が強く、先生は生徒を正しい答えに向けて導き、正解を出せるように成長させていくという感覚があるようなんですが、アフタートークの場で教育以外の人たちがいろいろな視点で話されるのを聞いているとすごく発見があると感じます。」と畝木さん。「子どもが好きで学校教諭になりましたが、この“正解に導かなければならない”という点に違和感を覚えていました。現職では生徒たちを“その気にさせる”場作りをめざしています。でも、この場作りがとても難しい。授業を受ける生徒の中にはダンスが好きではない子もいますから、伝える講師の私が意識していないと場は出来ません。このフェスティバルで教えていらっしゃる講師のみなさんは、場作りというか“その気にさせる”ことがとてもうまい。いろいろなアイデアをみることが出来ますし、伝え方や雰囲気の作り方を知ることが出来ます。とてもありがたいし、贅沢ですよね(笑)。」

 

 普段は指導することを主眼にしている畝木さんだが、今年は自分も踊りたい、身体を動かすことをしたいと感じつつ、仕事にも役立つからと、広島からの参加を決めた。「ART COMPLEX HIROSHIMAの玖島さんから、このフェスティバルを紹介していただきました。私以外にも同じように広島から参加している人たち・・・広島組がいますよ(笑)。」インタビューをしていて気づくのは、このフェスティバルのネットワークだ。岡山から参加している山本さんはこのフェスティバルのスカラーシップ推薦者のじゅんじゅんさんのワークショップを受講したことをきっかけに参加しているし、畝木さんや広島組のメンバーもスカラシップ制度の推薦者である玖島さんからこのフェスティバルを紹介されている。全国にこのフェスティバルの根が豊かに機能しているのだ。加えて、講師陣は世界で活躍するダンサーたちが集まっている点もこのフェスティバルの大きな特徴だろう。「申し込むときには“国際”ワークショップフェスティバルと聞いて、英語に自信がなかったので心配でしたが、通訳の方もダンス経験者ということや、言葉だけではなく伝わってくる雰囲気があるので、問題なく参加できていますね。」クラスは英語で進んでいくことがほとんどだが(英語でクラスを受けることも内容に含まれるもの意外は)通訳がつく。通訳を務める人たちもダンス経験者であるため、訳される言葉も感覚的にズレはないように思う。

 

 「学校では、ダンスというと“難しい”“親しみが少ない”という印象が強いと感じています。これは私自身の課題とも感じているのですが、生徒がそのままの自分で表現できて、先生にとっても教えやすい方法を考えていきたいですね。“創作ダンスなんて出来ませ~ん”という環境を変えたいなって思います。」畝木さんの想いは小学校の教諭をしていたころも、短大生を教えている今も変わらない想いに貫かれている。「ダンスに広がりを持たせること。」畝木さんが教えてくれたのは、そんな希望に満ちた言葉だった。

5月3日(金)@京都芸術センター大広間

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「ダンスで日々変わっていく自分を実感。」井出圭名子さん  

 

ふんわりとした優しい雰囲気の井出さんは、1つ1つの言葉をていねいに語る方だ。大学を卒業して1年になるという。子どものころにバトントワリングに親しみ、学校に入ってからはテニスを楽しんだ。しかし、故障を経験する中で「どうしたら怪我をしないように出来るのか」といったところに興味関心が以降していったという。大学ではリベラルアーツやケアについて学んだ井出さんだが、学内の舞踊学部の公演をみて「楽しそう!」と感激。学部が違っていたが、お願いして特別に1年の間、ダンスのクラスに参加させてもらったというから、なかなか行動的だ。

 

 大学卒業後は介護の仕事に就くが、今年の4月に退職。「介護という仕事の意義など、1つ1つ掘り下げていきたい気持ちが強いのですが、現場では人を駒のように扱う気がして悩みました。・・・今は模索期間、とでもいう時期ですね。」と、今の状況を話してくれた。今回参加したきっかけは、仕事で悩んでいた時期にふと思い出した大学時代のダンスの先生だった。井出さんご自身としては、リセットするよい機会だと考え、先生にメールを出した。「先生からのメールには、“あなたはそのままでいい”という言葉がありました。これは、アビーさん(A-1、A-2講師のアビゲイル・イェーガー)の言葉と重なる部分でもあると感じました。“力を抜くことで伸びる”と“ありのままでいること”の関係とか。」

 

 井出さんは仕事の中で感じたさまざまな葛藤や悩みは、実は幼い頃から感じていた苦しさともオーバーラップしていたという。「人との距離のとり方、コミュニケーションのとり方で悩んでいました。人目が気になってしんどかったですね。子どものころから“変わっている”といわれることもあり、そんな自分を受け入れることが辛いと感じていたんだと思います。」と当時をふり返る。ワークショップに参加して感じたのは、長い間感じていた辛さへのヒントだったという。「ワークでは(参加者それぞれが)自分自身の身体と向き合うことを知る場です。“こうしなくちゃいけない”とか“こうしないと怒られる”ということがありません。楽しいよね、という気持ちや意見を言う・・・講師から引き出してもらえるという感覚があります。これまでの自分には力が入っていたんだな、とか、レールを外れるのが怖いと感じていたんだとな、と思いますね。」インタビューを行った日はまだワークショップの会期中だったが「等身大の自分でやってみようと感じていて、今はダンスから力をもらっている感じです。」とイキイキとした表情をみせ、「ワークはキャパシティをオーバーしそうなくらい楽しいです。自分のアンテナがつぶれそうなくらい。ワークの後は、スクランブル交差点などで人と人がぶつからずに歩いていることが不思議になっておもしろくなったり、それまではイライラしがちだった満員電車でもどうやって、その中に入っていくかを考えて楽しくなったり(笑)。ワークで学んでいくと、“もっとこうしたい!”という気持ちも感じています。」と、ダンスで日々変わっていく自分を感じているようだ。  これからダンスとどうつきあっていくかは、今も悩んでいるという井出さん。毎週どこかのダンスクラスに通うか、出会いの中で知ったクラスに通うか、それともダンスのない元の生活に戻るのか・・・。「いろいろな人がいて、いろいろな道があります。しばらくはアルバイトをしながら、興味のあるものを探したい。生き方、考え方を極めたいですね。」じっと前を見つめるように話した井出さん。これからはじまるビギナークラスに参加するという。このワークでも、きっと彼女はさまざまな出会いや発見をするのではないかと感じた。

5月3日(金)@京都芸術センター大広間

「知らない世界を知る楽しさ。」吉森雄作さん

 

 この「わらしべ長者インタビュー」を続けていく中で感じたのは、各地域で活躍するダンス牽引者とフェスティバルとのつながりだ。吉森雄作さんのお話の中でも、こうした地域でダンスをひっぱる人の影響を感じた。ダンスはさまざまな可能性をはらんでいるものの、やはり「人」の存在がなければ広がりは望めないのかも知れない。人が人をつないでいくその先で、ダンスは豊かにその可能性を花開いていくのだろうと思う。

 

 広島でじゅんじゅんさんのワークショップを受けたことをきっかけに、今では週に1度、ART COMPLEX HIROSHIMAの玖島さんのワークショップに参加するまでになった。「ワークショップの後には、それぞれの体験をフィードバックする時間があって、おもしろいです。玖島さんは身体のことをよく知っておられて、私は自分のことをこんなに知らないのか、と。知らない世界を知る楽しさがありますね。」

 

 それ以前にも演劇活動をされていた吉森さんだが、ダンスでは身体を動かす楽しさや表現することに魅力を感じるという。「自由に動いていいという点や、こういう風に身体を使うとこう動ける、といった発見があるのが楽しいですね。」と話す。「ノアムさん(D-2講師ノアム・カルメリ)のワークでは、水の入ったペットボトルを使って、身体が水だとイメージして動くと、本当に流れるように動けました。」と感激。「ダンサーはいろいろな引き出しを持っておられて、身体の動かし方が多様です。身体もやわらかい。でも、自分の身体はかたいですし、動かなさ加減にギャップを感じますね。」とやや苦笑いを浮かべる。普段は会社員として働いておられるという吉森さんだが、「働くこととダンスですか?仕事は仕事、ダンスはダンス、として考えていますね。」というスタンス。しかし「ダンスと接することで見えてくるものがあると感じていますよ。」と、ダンスと日常生活との関わりについて分析している。ダンスは職業としての可能性も持っているが、それ以上に生活を活性化するエネルギーのようなものを持っているのだろう。それは「知らない世界を知る」ことであったり「発見」であったりと多様だ。「まだまだ勉強中です。講師ごとのアプローチの差が興味深いと感じますし、いろいろな作品もみたいと思います。身体だけで表現する、私にとってはわからない世界をもっと知りたいと思っています。」吉森さんの好奇心は、これからもさまざまな未知のドアを開いていくだろう。

5月3日(金)@京都芸術センター大広間

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「京都から世界へ・・・循環の中で育まれた夢のかたち。」堀江善博さん

 

 このダンスワークショップフェスティバルには、新たな一歩を踏み出そうとする若手ダンサーのネットワークづくりや活動の飛躍をサポートするシステム「Youth Tank Project」がある。フェスティバルに参加している講師や海外で活躍するディレクターによるオーディションが行われ、海外で研修を受けたり作品を発表する機会を提供する「京都×アンジェ(フランス)交換研修制度」「ウィーン×京都ダンスエクスチェンジ」がそうだ。このフェスティバルに参加するダンサーの中には、このシステムを活用したいという人もいる。また、スカラーシップ制度は、各地域にいる推薦者が意欲的なダンサーの経済的負担を軽減したり、ネットワーク開拓をサポートするものとして機能している。こうした制度はダンスを通じて世界を知ることの出来る貴重な機会でもあり、ダンサーの人間的な成長の一助にもなっている。

 

 私が参加した最終日にインタビューしたのは、名古屋で活動する堀江善博さん。彼は2010年度の交換研修生制度でフランスへ留学した経験を持つ。留学当時のことをユーモアを交えて楽しく話してくれた堀江さん。しかし、オーディションに合格したときは、少し驚いたという。「講師のエマニュエルは、僕がそれまで踊っていたやり方とはまったく違うアプローチ。選ばれたときには正直驚きました。オーディションに際して書いた応募の動機に“日本人の魂をみせたい”というようなことを書いたのですが、それを受け止めてもらえたのかも知れませんね。」と、当時を振り返る。

 

 フランス留学時には、日本とはまったく異なる環境が新鮮だったという。「(現地に)行ってみたら、空気が違うと感じました。アルバイトなどで日々の生活が分散せず、ダンスのみに集中できる環境があった。生活のサイクルが“ゆったりとしている”のを感じたんです。」日本にいるときから海外のダンス作品は好きでいろいろ見ていたという堀江さんだが、現地で見た作品はそれまでのイメージと異なるものも多くあったという。「ウルティマ・ヴェスなどの作品が大好きで、僕自身も所属しているafterimageというカンパニーで踊っているのはスピード感やガンガンいくようなものでしたから、現地でもそんな作品を見られると思っていました。ただ、そうでもないという感想を持ちました。ゆるいというか、僕自身としては物足りないと感じたんです。」そんなとき、研修施設に日本から来ていた長内裕美(元・H・アール・カオス)と出会い、現地で開催されたダンス公演に作品を出すことになった。いっしょに作品をつくったのは同じ制度でともに渡仏していた望月崇弘さん。「作品のタイトルはフランス語で『火曜日』にしました。内容は日本語のテキストも入れて、とにかく自分たちなりに元気いっぱいのものにしたつもりです。日本語のオチなど当然わからないとは思いましたが、それでも“日本人はおとなしいだけじゃない”というリアルな日本人像が伝わったように感じて、楽しかったですね。」もともと学生演劇からスタートしたという堀江さんの作品は、ときにコミカルでギャグ的センスに彩られる。このスタイルは彼が所属している名古屋のカンパニーafterimageとも通低する部分。彼がダンスをはじめたきっかけも、演劇部の先輩でもあったafterimageの服部哲郎さんの影響だったという。「服部さんが愛知芸術文化センターの記念事業に出るから見に来いと誘われたんです。それで、出かけてみたら学ランを来た男たちが上手に出来ないのに踊ってる。なんだこれ!?って衝撃を受けました(笑)。」当時、愛知芸術文化センターは10周年の記念事業として近藤良平・コンドルズが一般市民を巻き込んだダンス事業を実施していた。

 

 afterimageは名古屋を拠点に活動するダンスカンパニー。今では名古屋の中堅的存在として成長しているが、彼らの活動はこの記念事業がきっかけ。堀江さんは、afterimageの設立メンバーでもある。「卒業して俳優の道をめざしていましたが、少し違うと感じはじめていた時期でもありました。そんなとき、服部さんや菅井さん(afterimage)に名古屋駅の若宮の高架下に呼び出されました。行ったらスピーカーがあって、「堀江、好きに跳べ!」って(笑)。これが楽しくて。クラブで踊るのとは違う、はじける感じがいいなって感じました。」実は服部哲郎さんも、このフェスティバルから海外に出て行ったダンサー。「服部さんとは、これからもafterimageを続けていきたいです。それに加えて、自分なりのパフォーマンスもつくっていきたい。他ジャンルの方とコラボレーションする中で、自分の知らない自分を見つけていきたいですね。僕自身、我が強いという自覚があるので、いろいろな人と関わっていくことで、自分を見つけられたらと考えています。まだまだ足りないものばかりで・・・。今もやりたいことと出来ることの間にギャップを感じます。一歩一歩、詰めていきたいですね。」このフェスティバルをきっかけに海外のダンス環境や舞台を経験してきた堀江さんの夢は、これからもまだまだ続く。「もうすぐ30歳なんですが、後悔していたくないなって、ずっと感じています。30歳になったとき、自分に対して胸を張っていられる自分でいたい、そう思っています。」愛知から京都、京都から世界へ・・・その循環の中で育まれた夢は、きっとまた世界へ羽ばたいていくのではなだろうか。このフェスティバルから巣立っていくすべてのダンサーにエールを送りたくなる、そんなインタビューだった。

5月4日(土)@京都芸術センター大広間

 

インタビューを終えて。

 

 今回、私は8名の参加者にインタビューをさせていただく機会を得た。8人がそれぞれの暮らしの中でダンスと接し、さまざまな道のりを歩まれていることに心を揺さぶられた。フロアでみんなでワークに集中しているときとは異なる、ひとりひとりのプロフィール・・・。そこにあるのは、豊かで深い物語だったと思う。1つ1つの物語はまだまだはじまったばかりで、これからも紆余曲折を経ていくようにも感じられる。しかし、その揺らぎこそがダンスのようにも思う。ある人はダンスを「自分の知らない世界を開けていく扉」のように感じ、ある人は「日々の生活を変えていく力」と感じ、またある人は「出会いの大切さ」だと感じている。多様な価値観を支える大きな蝶番のようにダンスが機能しているこの姿は、私たちに深い示唆を与えてくれているように思う。ダンスと私・・・次に語ってくれる人を楽しみにしようと思う。インタビューにご協力いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

 

亀田恵子(かめだ・けいこ) 大阪府出身。工業デザインやビジュアルデザインの基礎を学び、愛知県内の企業に就職。2005年、日本ダンス評論賞で第1席を受賞したことをきっかけにダンス、アートに関する評論活動をスタート。2007年に京都造形芸術大学の鑑賞者研究プロジェクトに参加(現在の活動母体であるArts&Theatre→Literacyの活動理念はこのプロジェクト参加に起因)。会社員を続けながら、アートやダンスを社会とリンクしたいと模索する日々。

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